妖精が話をしてくれました。
夢を見た翌日の深夜。部屋の電気も点けずにパソコンの日記を見ながら、相変らず夢で見たことをずっと考え続けていた。
この日は自分がなにをしていたのか定かに覚えていない。学園へ行ってなにを勉強したのか、誰とどんな話をしたのか、そんなことすらまともに覚えていなかった。
覚えていることと言えば、昨日見た夢の内容についてずっと考えていたということだけ。
いつもは目覚めると同時に内容をほぼ忘れてしまっていた夢だけど、今回は夢の内容を覚えていた。いや、覚えていたと言うよりは“思い出した”――と言うべきなのかもしれない。
だって夢で見た内容は、すべて現実に起こったことだから。
「なんで今まで忘れてたんだろう……」
まだ小さかったあの頃のことを、再びゆっくりと思い出してみる。
当時通っていた幼稚園。そこでは妹を持つ友達が多く居たからか、いつしか俺も妹がほしいという願望を強く持つようになっていた。
そしてそんな願望がピークを迎えようとしていたちょうどその頃、母さんが新しい命を身篭ったことを知り、俺は大いに喜んだ。
母さんのお腹が少しずつ大きくなる度に、俺の期待も同じように膨らんでいったのを思い出す。
そして小学生になって間もなく、お腹の中に居るのが妹だと分かった時の喜びは相当なものだった。もうすぐ妹に会える――そんな嬉しさと楽しみがもうすぐ訪れることに毎日わくわくしていた。
でも、その妹と会うことはできなかった。
その出来事が起こったのは、小学校一年生になって間もないある日のこと。
俺は臨月を向かえてしばらくした母さんと一緒にタクシーに乗り、交通量のそんなに多くない昼間の道を通りながらいつもの産婦人科へと向かっていた。
大きくなった母さんのお腹を撫でながらまだ見ぬ妹に話しかけ、交差点で信号待ちをしていたしていたその時、急に車の後方から強い衝撃が襲い掛かり、俺と母さんは座席と座席の間に挟まれる形になった。
俺は幸いにも軽傷で済んだが、母さんはその事故で重傷を負い、結果としてお腹の中に居た命までも失ってしまう結果になった。
そしてもうすぐ会えるはずだった妹を突然失った悲しみが大き過ぎて、俺は来る日も来る日もずっと泣き続けた。そんな俺を気遣ってか、父さんも入院中の母さんも、毎日優しい言葉をかけて慰めてくれていたのを思い出す。
そういえばあの時は、琴美にも随分と慰めてもらったもんだ。
「ホント、なんで忘れてたんだろう……」
俺には妹が居た……いや、正確には“妹が居るはずだった”――と言うべきだろう。
本来なら居るはずだった妹の名前は、幼い俺が考えた“明日香”という名前。そして隣の部屋で寝ている幽天子の妹も明日香という名前。
最初こそそれは偶然の一致だろうと思った。でも幽天子の明日香と出会ってからのことを色々と思い返した今では、もしかしたら隣で寝ている明日香は、俺の妹として生まれてくるはずだった明日香なのではないかと思えて仕方がない。
もちろん確証があるわけじゃない、すべては俺の推測に基づくもの。
「――あっ、涼太くん、まだ起きてたんだね」
少し疲れた表情でフラフラと飛びながら帰って来たサクラ。
パソコンの右下に表示されている時間を見ると、既に午前2時を過ぎていた。どうやらかなりの時間パソコンの日記を見ていたようだ。
「ちょっと気になることがあってさ」
「気になること?」
サクラはそう言いながら机の上に飛んで来て、ペタリと女の子座りをする。
「ああ、明日香のことでちょっとな」
「…………」
いつものサクラなら、『明日香がどうしたの?』みたいな感じで聞き返してくるのだが、今回はなんの反応も示さなかった。
「なあサクラ、明日香や由梨ちゃんみたいな幽天子の名前って、誰が決めてるんだ?」
「……どうしてそんなことを聞きたいの?」
サクラは俺の方を見ることなく、カーテンが閉まっていない窓の方を見ながらそう問い返してきた。
「それは――」
続きの言葉を口にしようとして、俺は少し躊躇した。それを口にしてしまうと、なにかが変わってしまいそうな予感がしたから。
「それは?」
いつもとはまったく違った平坦な声音でサクラは言葉の続きを促してくる。
「……いや、なんでもないんだ」
「そっか」
サクラはそう言うと、こちらを見ることなく机の上にある自分専用のベッドに向かい、素早く布団の中に潜り込んだ。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
その挨拶に答え、マウスを操作してパソコンをシャットダウンさせてから窓の方へと視線を移す。
パソコンが消えた部屋の中は暗くなり、カーテンの開いた窓から射し込む月の光だけが、どこになにがあるのかを薄ぼんやりと教えてくれている。
しばらくその月明かりをぼんやり見たあと、開いたカーテンを閉めることなくそのままベッドへと移動し、布団の中へと潜り込む――。
「涼太くん、寝ちゃったかな?」
布団に潜り込んでからしばらく経った頃、時計の秒針がチッチッと動く音だけが聞こえていた部屋の中に、サクラの小さな声が混じって聞こえてきた。
「…………」
「寝ちゃったみたいだね」
俺はその問いかけに答えず、ゴロンと寝返りだけをうった。
「人生ってさ、不公平だよね。長く生きる人も居れば短命な人も居る。幸せな人も居れば不幸な人も居る。どこにも平等なんてない……」
俺からの反応がないにもかかわらず、サクラはそんな話を始めた。
布団の中に潜ったまま、その独り言のようなサクラの話に耳を傾ける。
「天生神なんてやってるとね、尚更そう思うことがあるんだ。でね、私たち天生神が所属するヘブンズゲートは、この世に生まれた小さな命が理不尽にその命をなくした場合、それを救済しようっていう組織なの――」
自身の心の中を吐露するかのようにしてサクラは静かに話を続ける。俺はそれをただ黙って聞いていた。
「――それでね、さっき聞かれた幽天子の名前は、生前の名前をそのまま使うの。転生プロセスにおける危険性を考えれば、あまり好ましいことではないんだけどね。でも名前って不思議なもので、転生プロセスにおいて幽天子の存在を現世に固定させる上で重要なもの。だから私たちは、生前の名前をそのまま使うことにしているのよ。――ちょっと話し過ぎちゃったかな、私の独り言はここまで。おやすみなさい」
サクラがそう言い終わると、部屋の中に再び時計の秒針の音だけが聞こえ始める。
「ありがとう、サクラ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声でお礼の言葉を言う。
しかしサクラの話を聞いた俺は、更に疑問を増やす結果となってしまった。
なぜなら俺がサクラの力で明日香の生前を見て来た時、明日香は母親から“美羽”と呼ばれていたからだ。
そのことを考えると、サクラの言っていることは辻褄が合わない。
もしかしたら明日香が生まれてくるはずだった俺の妹では――などと思っていたけど、サクラの話を聞く限りではその可能性はないということになる。
でもなぜか俺は、その考えを捨て去ることができなかった。
 




