妹と捜しに行きました。
琴美が引越しするとホームルームで聞いてから1週間が経った。あれから琴美は引越し準備のため、1日も学園に来ていない。
「お兄ちゃん、本当に琴美お姉ちゃんに会いに行かなくていいの?」
「ああ……いいんだよ、明日香」
すべてが静まり返った深夜。俺の部屋のベッドにちょこんと座り、そう話しかけてくる明日香。
俺は机に向かって座ったまま、後ろから話しかけてくる明日香の問いに答える。
学園で琴美が引越しをするという話を聞いたその日、俺はそのことを明日香に話したのだけど、その話を聞いた途端、『琴美お姉ちゃんに会いに行こう!』と明日香は言ったきた。だけど俺は、それを断った。
もちろん明日香には『どうしてなの!?』と聞かれたが、そう聞いてくるのは当然だと思う。
だから俺はちゃんと話した。琴美と会って俺の思いを伝えたことを、行ってほしくないと伝えていたことを。だけど結果はこのとおりだ。
しかしこれは、当然と言えば当然の結果だと思う。だって俺がしたことと言えば、行ってほしくないと琴美に伝えただけ。それしか今の俺にはできなかったから。
一介の高校生にできることなど、高が知れている。それは琴美だって同じこと。
仮に琴美が“引越しなんてしたくない”――などと琴音さんに言ったところで、それがすんなりと通るぐらいなら、最初っからこんなことにはなっていないだろう。
明日香は俺の話を聞き、その日は琴美に会いに行くのを止めてくれた。それなりに俺の心中を察してくれたんだと思う。
「お兄ちゃんは本当にそれでいいの?」
しかしその話をしてからは毎日のように、『琴美お姉ちゃんに会いに行こうよ』と、明日香は俺の説得に来ていた。
「だって、どうしようもないだろ……」
椅子をクルリと回転させ、明日香の方を向く。
俺だってこの結果に納得しているわけじゃない。だけど世の中には、どうしようもないことってのは確実にある。人ができることには限界ってものがあるんだ。
「そんなのお兄ちゃんらしくないよ……」
明日香はそう言うとベッドから下り、寂しげな表情を浮かべながら部屋を出て行った。
「にゃ~ん…………」
いつの間にか俺の部屋に入って来ていた小雪が、足下で小さく鳴き声を上げる。
「おいで」
そう言って太ももを両手でポンポンと叩くと、小雪はスッとジャンプをして太ももに乗り、身体を丸めて座った。
太ももには動物特有の心地良い温もりがあり、そんな小雪を優しく撫でながら、俺は独り言を呟いた。
「俺、どうしたいんだろうな……」
そんな呟きを聞いたからか、小雪がそのつぶらな瞳でこちらを見てくる。
そしてそのまま一言『にゃう~ん』と鳴くと、再び頭を元の位置に戻して心地良さそうにしていた。
× × × ×
翌日の休日、今日はいよいよ琴美が引越し先へと行ってしまう日だ。
いったい何時に引越し先へと行くのかは分からないけど、分かったところでどうしようもないことに変わりない。
そうは思いながらもやはり気になっているからか、ほんの少ししか眠れなかったにも拘らず、午前5時頃には目がばっちりと覚めていた。
「お兄ちゃん、起きてる?」
目覚めてからぼ~っと天井を見つめていた俺の耳に、扉をコンコンと叩く音と明日香の声が聞こえてきた。
「起きてるよ」
「良かった。入っていいかな?」
「いいよ」
そう言うと同時に上半身を上げ、ベッドの横に足を下ろした。
明日香は静かに扉を開け、そっと部屋に入って来る。
「どうしたんだ?」
「私、琴美お姉ちゃんに会って来ようと思うの」
「えっ?」
「お兄ちゃんも一緒に行こうよ!」
そう言って俺の手を握ってくる。握ってきた手の力強さからは、いつもの明日香にはない強引さのようなものを感じた。
「でも……」
それでも俺は、明日香の言葉に賛同しかねていた。
「お兄ちゃんは琴美お姉ちゃんが大切なんじゃないの?」
「な、なんだよ急に」
「私ね、お兄ちゃんが琴美お姉ちゃんを見ている時の目は、私を見ている時の目に似てるって思ってたの。お兄ちゃんは私をとっても大切にしてくれてる。だから分かるの。琴美お姉ちゃんを見ている時の優しい目、あれは大切な人を見ている目なんだって」
「…………」
我が妹ながら、俺のことをそこまでしっかりと観察していたことに驚く。
それと同時に、目だけで心の内を知られてしまったという事実に気恥ずかしささえ感じていた。
「ねっ、行こうよお兄ちゃん! 琴美お姉ちゃんにせめて“さようなら”くらい言おうよ!」
「――分かったよ明日香、琴美に会いに行こう」
俺はベッドから立ち上がり、出かける準備を始めた。
そうだよな、ここでモヤモヤしてたって仕方ない。明日香の言うように、せめてさようならくらいは言っておこう。
急いで準備を済ませた俺は、明日香と一緒に琴美の家へと向かい始める。
そして家を出て5分も経たない内に琴美の自宅前へと着いた俺たちは、すぐさま玄関のチャイムを押した。
しかし何度呼び鈴を鳴らしても、中から誰かが出て来る気配はない。
「――あら? 姫野さんに用事?」
何度か呼び鈴を鳴らしていると、琴美の家の向かいにある家から出て来たおばさんが声をかけてきた。
「あっ、はい。そうなんです」
「だったらちょっと遅かったわね。姫野さんは引っ越し作業が終わったからって、30分くらい前に出て行ったわよ?」
「あ、あの。どこに向かったかとか分かりますか?」
「えっと……確か飛行機に乗るって言ってたから、空港じゃないかしら?」
「空港ですか、ありがとうございます。行くぞ明日香」
「うん!」
時刻は午前7時を過ぎたところ。
何時の飛行機に乗るかは分からないが、30分の差なら会える可能性は十分にある。ここまで来たら意地でも会わないと気が済まない。俺は明日香と一緒に駅へと向かい、空港への道を急いだ。
電車を乗り継いで行くこと約50分。空港に着いた俺たちは急いでロビーへと向かい、そこで手分けをして琴美を捜すことにした。
搭乗ゲートに向かうための手荷物検査ゲートを抜けられたら、こちらにはもう接触のしようがなくなる。
既に搭乗ゲートがあるフロアに行っている可能性も否めないけど、それでもわずかな可能性にかけて琴美を捜す。
とりあえず30分ほど捜して琴美が見つからなかった時には中央ロビーで明日香と落ち合うことにし、その間は必死になって琴美を捜した。似ている背格好の人物を視界に捉えては、確認していくの繰り返しだ――。
「琴美お姉ちゃん見つかった?」
「いいや、こっちには居なかったよ」
琴美を捜し始めてから30分後。
中央ロビーで明日香と落ち合ったが、お互いに琴美を見つけることはできなかった。これだけ捜して居なかったのだから、既に空港には居ない可能性が高い。
だけどどうしても諦めがつかいない俺と明日香は、それから更に約1時間ほどをかけて琴美捜しを続けた。
「――やっぱりもう行っちゃったのかな……琴美お姉ちゃん」
「そうだな……」
捜している途中、何度かアナウンスで呼び出しもかけてもらったが、それでもやはり琴美に会うことはできなかった。
「帰ろう、明日香」
「でも……」
「これ以上ここに居ても仕方ないさ。琴美に会えなかったのは残念だけどな」
俺はそう言って苦笑いを浮かべる。
もう少し早く琴美に会おうと決断していれば、少なくともさようならくらいは言えていたかもしれない。後悔というには小さなことかもしれないけど、それでも俺の心を沈ませるには十分だった。
明日香にもさようならを言わせてあげられなかったし、駄目な兄貴だよな。
そう思いながら小さく溜息を吐くと、少し沈黙の時間が流れた。
「――明日香、せっかくここまで来たんだ。なにか美味しい物でも食べて帰ろうか」
そう言って無理やりに微笑んだ。そうでもしないと、今にも泣いてしまいそうだったから。
「うん、美味しい物を食べて帰ろう」
俺は明日香と手を繋いで空港をあとにした。
その時に明日香と繋いだ手の温もりが、少しだけ俺の心を癒してくれたような気がする。
そして空港を出て美味しい物を食べに行ったあと、俺たちはすべてを忘れるかのように遊んで回った。それはもう、外が暗くなるまで。
× × × ×
「ついつい夢中で遊んじゃったな」
「うん、楽しかった」
自宅がある街の最寄り駅に着いた俺たちは、ゆっくりと帰路を歩いていた。
時刻は19時を過ぎていて、普段からわりと静かな住宅街は、更に心地の良い静寂に包まれている。まるで俺と明日香の2人しかこの世界に居ないような錯覚すら感じるほどだった。
「――ん? どうした?」
歩いて帰っていたその時、自宅近くの十字路で明日香が足を止め、ある方向を見ていた。
「あっ、ううん。なんでもないよ」
そう言ってにこっと微笑んでから、再び歩き帰路を歩き始める。
明日香が見ていた方向にあるのは琴美の家、やはり会えなかったことが心残りなのだろう。
「――あれ? おかしいな」
自宅前まで来た時、俺はその異変に気づいた。出て行く時には点けてなかったはずのリビングの明かりが点いていて、カーテンの隙間からその灯りがもれていたからだ。
「電気、確か点けてなかったよね? お兄ちゃん」
「ああ」
明日香もその異変に気づいたらしく、俺の背中にしがみついてそう言ってきた。
まさか泥棒か――と、一瞬そう考えたが、泥棒が堂々と灯りを点けて部屋を物色ってのはおかしいよな。
「明日香、ちょっとここで待ってろよ?」
そう言って静かに玄関の鍵穴に鍵を入れ、ゆっくりと回して開錠する。それからそっと扉を開け、まるで忍者のように足音を立てずに家の中へと入って行く。
どうやら灯りが点いているのはリビングと台所のようで、台所からはガサガサとなにかを探っているような音が聞こえてくる。
やはり泥棒かと思った俺は、護身用にと玄関から持って来ていた靴べらを構えて台所へと近づく。
護身用武器としては心元ないけど、なにもないよりはマシだろう。
そして俺は意を決し、何者かが居る台所へと入った。
「誰だそこに居るのは!」
「キャア――――――――ッ!」
靴べらを構えてそう言いながら台所に入ると、甲高い女の子の悲鳴が響いた。
その声に俺も驚いてしまったけど、よく見ると目の前にはしゃがみ込んで震えている女の子の姿があった。
あれっ? 俺、入る家を間違えたりしてないよな? と、思わず周りをあちこちと見回してしまう。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫!?」
女の子の甲高い悲鳴が聞こえたからか、明日香が大慌て俺のもとへと走って来た。
「あ、ああ、大丈夫だけど……」
「あれ? この人は?」
目の前でしゃがみ込んで居る女の子を見て、明日香は首を傾げながら俺にそう聞いてきた。
「いや、誰と聞かれても……」
「あ、あれっ? その声は……涼くんと明日香ちゃん?」
目の前でしゃがみ込んでいる女の子は、そう言いながらゆっくりと頭を上げる。
「「えっ!?」」
頭を上げた女の子の顔を見て、俺は更に驚いた。
そこに居たのは、自慢だと言っていたロングヘアがショートカットになっている琴美だった。
「こ、琴美?」
「もう、涼くん驚かさないでよ」
はあっと大きく溜息を吐く琴美。
いや、驚いたのは俺たちの方なんだが……。
「な、なんで琴美がここに!?」
「あっ、ごめんなさい。訪ねた時に鍵もかかってなくて中に誰も居なかったから、不用心だなあと思って中で留守番をしていたついでに、夕食を作らせてもらってたの」
なんで琴美が俺の家で夕食を作っているんだろう。てか、引っ越したんじゃなかったんだろうか。
「あ、あの、琴美お姉ちゃん。引っ越したんじゃなかったの?」
心の中で相当混乱状態にあった俺に代わり、明日香が琴美にそう尋ねてくれた。
「えっ? あ、うん。お母さんの仕事の関係で1週間くらい引っ越しが早まって大変だったけど、ちゃんと引っ越しは終わったよ?」
引っ越しが終わったって……じゃあなんでこんな所に居るんだ?
「あの、琴美お姉ちゃん。お母さんと一緒に遠くに引っ越したんじゃないの?」
「えっ?」
琴美が驚いた表情で俺と明日香を交互に見ている。多分、俺と明日香も今の琴美と同じような表情をしているに違いない。
お互いに混乱する中、状況確認と整理のため、3人でリビングへ行って話を始めた。
「――えっ!? 隣に引っ越して来た!?」
お互いに話の辻褄を合わせるために話をしていたのだけど、つまり今回の件を要約して話すとこうなる。
俺の気持ちを伝えたあの日、琴美は琴音さんに対して『自分はこの街に残りたい』と告げたらしい。
だけど本来なら、そんな話は通るはずもない。だが琴美もそれは重々承知の上だったとのことだ。
そして案の定、琴音さんも最初は『それは無理』――と言っていたらしい。
だけどそれでも琴美は諦めずに琴音さんと交渉を続けたらしく、交渉3日目にして突然、あることを条件にこの街に残る許可が得られたとのことだった。
それは琴美に1人暮らしをさせるために出された絶対条件で、その条件の一つが、“俺の家の隣に引っ越すこと”だった。
この時に聞いた話で俺も初めて知ったのだけど、この家と同じく、隣の家も親の持ち物だったらしい。
正確に言えば俺が住んでいる家は親の持ち物、隣の家は爺ちゃんの持ち物らしいのだけど、爺ちゃんたちは田舎の家に住んでいるのでその管理は全部俺の親に任せていたらしい。
そして俺の母さんと琴音さんは小さな頃からの親友だったらしく、今回の件を琴音さんが母さんに相談したことにより、今回の引越しが実現したとのことだった。
「――涼くんのお母さんは、『涼太には連絡を入れておくね』って言ってたんだけどなあ……」
「いや、全然そんな連絡は受けてないな」
「おかしいなあ……」
困った表情を浮かべながら首を傾げる琴美。
どうせあの親のことだから、“あとで言えばいいや”――くらいに思ってて忘れてしまってたんだろう。よくあることだ。
「でも先生にも引越し作業で休んで、それが終わったらちゃんと出て来るって言っておいたんだけどなあ」
そう言えば先生が琴美が引越しをすると言ったあの日、確かに引越しの準備のために休むとは言っていたが、“転校する”とかの話はしてなかったような気がする……。
「いや、まあ……そう言ってたかも」
「もうっ、お兄ちゃんたら早とちりなんだから!」
隣に居る明日香がぷくっと頬を膨らませる。
でもそのあとに見せた表情は、どこかほっとした柔らかな感じに見えた。
「わ、悪かったよ」
俺は深々と頭を下げた。自分の思い違いとは言え、本当に恥ずかしい。
「でも、ありがとね。涼くんのあの言葉がなかったら、私はきっとここには居なかったから」
「そっか、良かったよ」
「これからもよろしくね。涼くん、明日香ちゃん」
深く頭を下げる琴美。そして頭を上げたあとに見たその顔は、今まで見てきた表情で一番の可愛らしい笑顔だった。
俺は不覚にも、その笑顔に見惚れてしまう。
そのあと3人で琴美が作った料理を食べながらこれまでの色々な話をして過ごし、明日香と2人で片づけをしたあとで、また少し雑談を交わしてから琴美は隣の家へと帰って行った。
× × × ×
その日の深夜。布団に入った俺のもとにフラリとやって来たサクラと、今日の出来事を話し込んでいた。
「――そっか、じゃあ全部上手くいったんだね」
「まあ一応な。俺はなにもできなかったけどさ」
「そんなことないじゃない。涼太くんがその気持ちを琴美ちゃんに伝えなかったら、きっとこの結末はなかったと思うよ?」
「そうなのかな?」
「そうだよ。それに行動を起こすっていうのはなにも、“物理的になにかをする”ってことだけじゃないもの。例えできることが一つしかなくても、その一つを実行したことで、相手が一の行動や二の行動を起こす切っ掛けにもなるんだから」
「なるほどな」
サクラの言葉に妙に感心してしまう。普段は軽い発言が目立つサクラだが、こういった時の発言には目を見張るものがある。
「でもまあ、とりあえず良かったね」
「おう。ありがとうな、サクラ」
「うん。それじゃあおやすみなさい、涼太くん」
サクラはそう言うと、自分で作ったベッドに飛んで行った。
「おやすみ、サクラ」
そう言って目を閉じると、すぐに心地よい眠りの波が訪れ、俺はそのまどろみに包まれていった。




