幼馴染に思いを伝えました。
母親の琴音さんから琴美が図書館に居るであろうことを聞いた俺は、少し早足でそこに向かっていた。
読書好きな琴美のことだから、別に急がなくても図書館の椅子に座って本を読みふけっていると思う。
それでも入れ違いになったら嫌だなと思っているからか、自然と歩んでいる速度が上がっていく。
そして約10分ほどで図書館へと辿り着いた俺は、中に入ってから琴美を捜して回っていた。
この街で一番大きな図書館とはいえ、中はそんなに広いわけではない。
だから琴美を見つけるのはそう難しいことではないと、この時はそう思っていた。
しかし何度館内を見て回っても、琴美の姿を見つけることはできない。
琴美は本を読み始めると集中して時間を忘れるタイプだから、今回も図書館のどこかで静かに本を読んでいると思っていただけに、俺は少し焦りを感じていた。
「――なにか本をお探しですか?」
琴美を捜して図書館の中を何週かした時、係員の女性が声をかけてきた。
図書館の中を何周もぐるぐると回っていれば、ちょっとした不審人物にも見えるだろうから仕方ない。
「あっ、すいません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」
「なんでしょうか?」
「綺麗な長い黒髪で、その両サイドに赤いリボンをつけた高校生の女の子を見ませんでしたか?」
「ああー、見ましたよ」
係員の女性は俺の問いかけに即答した。
こんな風に即答されるってことは、琴美って随分とこの図書館に通ってるってことなんだろうな。
「あの、その子がどこに行ったとか分かりませんか?」
「いつもはあそこのお気に入り席で本を読んでるんですけど、今日は珍しく本を数冊借りて出て行きましたよ。『天気が良いから公園で読書でもしよと思って』とか言ってましたけど」
ちょうど日陰になる角の席を指さしながら、そう教えてくれる係員さん。その丁寧な説明に感謝したい。
「ありがとうございます」
大きくお辞儀をしながらお礼を言い、そのまま図書館をあとにした。
とりあえず公園に居るらしい琴美を捜しに行こうと思って外に出たのはいいが、図書館から琴美の家までの間には、いくつかの公園がある。
そのどこかに居るとは思うけど、はっきり言ってその内のどこに居るのかはまったく見当がつかない。
しかしこのまま迷っていても仕方ないので、近場の公園から虱潰しに捜していくことにした。
まずは図書館から歩いて3分ほどの位置にある公園に行ってみたが、そこに琴美の姿はへなく、続いて向かった公園でも、その姿を発見することはできなかった。
肝心な時に会えないというのは、なんとももどかしい気分になる。
しかしここで腐っていても仕方がないと、俺は次の公園に向けて歩きだす。
そして何歩か足を進めたその時、ふと昔のことを思い出した。
「もしかしたら……あそこかもしれない」
一つの可能性を考えた俺は、その場所へ向けて全力で駆け始めた。
× × × ×
「ハァハァ」
どれくらいの時間を走っただろうか。夢中で走ったせいか、時間の感覚が分からなかった。
全力で走って相当に疲れはしたが、その代償としてどうやら予想は的中したようだ。
自宅のすぐ近くにある公園の奥、そこにはベンチに座って本を読んでいる琴美の姿があった。
俺は荒れた息を静かに整え始め、琴美のところへ行く準備を始める。
「――琴美」
「りょ、涼くん!?」
息と心の準備を整えた俺は、静かに琴美のところへと歩いて行って声をかけた。
本を見ていた琴美は視線を上げてこちらを見ると、驚いたように声を上げてから困ったように視線を逸らす。
「隣、いいかな?」
「ど、どうぞ…………」
そう言うと琴美は少しだけベンチの端の方に寄り、俺が座るスペースを空けてくれた。
俺は空けてもらったスペースに静かに座り、琴美の方を見る。
琴美は気まずそうにしながら、今も視線を逸らしたままだ。
「引越しするんだって?」
「う、うん。お母さんの仕事の都合で……ごめんなさい」
俺から発せられた言葉を聞いた琴美は、すまなそうに顔を俯かせて謝った。
「どうして謝るんだ?」
「だって、涼くんになにも言わなかったから……怒ってるでしょ?」
「怒ってないよ」
「本当に?」
そう聞いてきた琴美に向かい、大きく頭を縦に振って応える。
確かに最初こそ、なんで言ってくれないんだと思いもした。でも、そのことを責めようとも怒ろうとも思わない。
「多分だけど、言い辛かったんだろ?」
「……うん」
そう言うと琴美は再び顔を深く俯かせた。
よっぽど言わなかったことを気に病んでいるのか、それとも引越ししなきゃいけないことで寂しさを感じているのか、もしくはその両方か。
それは俺には分からないけど、とりあえず話を続けることにした。
「引越しはもう、絶対にしなきゃいけないのか?」
「うん……うちはお母さんと2人暮らしだから」
琴美の父親は俺たちが小学生になってしばらくした頃に交通事故で亡くなっていて、その時に泣きじゃくる琴美を慰めていたのを今でもよく覚えている。本当に小さな頃は泣き虫だったからな。
それから女手一つで琴美を育ててきた琴音さん。その苦労は計り知れない。
「そっか…………」
俺は琴美の言葉を聞いてそう答えることしかできなかった。
しばらく2人の間に沈黙の時間が流れる。
「――なあ琴美、行かないってのは無理なのかな?」
「えっ?」
琴美はその言葉に驚いているようだった。
当然だと思う。幼馴染とはいえ、俺なんかにこんなことを言われたらそりゃあ驚くさ。
しかもその言い分は、とても身勝手なものだから。
「それは……でもそうしたら、お母さんが独りになっちゃうし……」
その言い分は至極ごもっともだと思う。
だけどその言葉に、琴美の本心や本音は入っていないように思えた。
「琴美はどうしたいんだ?」
「…………」
その言葉に琴美は黙り込む。
気まずさから黙ってしまったのかどうかは分からないけど、俺は自分の気持ちを素直に話してみることにした。
「俺は……琴美に居なくなってほしくないんだ」
「えっ?」
「琴美が居なくなったら寂しいんだ。だから行ってほしくない」
これは俺の我がまま。自分勝手な言い分だけど、紛れもない本心。
例え琴美に嫌われたとしても、これだけは伝えておこうと思った。
「……どうして、私が居なくなると寂しいの?」
琴美は少しだけ瞳を潤ませてこちらを見ていた。
その表情を見ているだけで、俺の心臓は破裂しそうにバクバクと跳ねている。だけど今はそれに耐えなければいけない。
「それは……琴美が大事な人だから」
恥ずかしさで死にそうな気がしながらも、俺ははっきりとそう言った。
ここで琴美が好きだからと言えてしまえばいいのかもしれないが、残念ながらそこまでの勇気は俺にはない。
でも、大事な人だというのは決して嘘ではないんだ。大事だからこそ、居なくなってほしくないと思う。
「その言葉、本当?」
「本当だ」
「絶対の絶対に?」
「絶対の絶対にだ」
「本当の本当に?」
「本当の本当にだ」
なんとも子供じみたやり取りだが、琴美は至って真剣な表情でそう聞いてくる。
「そっか。うん……分かった」
琴美はそう言うとベンチに置いていた本を手に持ってスッと立ち上がり、そのまま公園の外に向かって歩き始めた。
「こ、琴美?」
俺はその行動に動揺し、急いで立ち上がる。
そしてそのあとを追いかけようとしたその時、琴美が不意にこちらの方を振り返った。
「涼くん、ありがとね」
そう一言残し、琴美は走り去ってしまう。
優しげな笑みを浮かべながらも、その瞳から大粒の涙を流していた琴美を見て、俺はその場で立ち尽くしてしまった。
そんなことがあった次の日、琴美は学園を休んだ。
そして夕方のホームルームの時間、担任の口から琴美が引越しすることが告げられた。




