妹を愛しく感じました。
公園で少し体力を回復させた俺は、再び明日香を捜し始めていた。
夏は陽が沈むのが遅いとは言え、辺りはそろそろ夜の帳が下り始めていて、街中の街灯がちらほらと点き始めている。
これ以上無闇に捜し回っていても埒があかないけど、かと言って明日香をこのまま放っておくわけにはいかない。
再び上がった息切れを整えるため、途中にあった電柱に片手をついたまま大きく肩を上下に揺らし、下げていた頭を上げて前を向いた時、不意に自分の胸ポケットに入れていた携帯がブルルッと震えた。俺は息切れを整えながら胸ポケットの中にある携帯を取り出し、その画面を見る。
携帯の画面には篠原拓海と書かれた着信表示。それを見た俺は、慌ててその電話に出た。
「も、もしもし、拓海さん! あ、明日香を知りませんか!?」
「りょ、涼太くん!? ちょ、ちょっと落ち着いて」
前のめり気味にそう聞いたせいか、拓海さんはその勢いに圧倒されているようだった。
「あっ……す、すいません」
拓海さんにそう言われ、焦る気持ちを抑えようと大きく息を吸って吐いた。
「涼太くん、今どこに居るんだい?」
拓海さんの質問に辺りを見回しながら答えていく。
気がつけばかなり遠くまで来ていたようで、今居る場所から自宅までは走っても20分はかかるだろう。
「なるほど、分かったよ。とりあえず涼太くんの自宅前に居るから、急いで戻って来てくれないかな? 明日香ちゃんのことで話があるんだ」
「分かりました!」
胸ポケットに携帯を入れ込み、大きく息を吸い込んでからふうーっと強く吐き出したあと、俺は自宅へ向けて全力で走り出した――。
「あっ、思ったより早かったね、涼太くん」
自宅前へ辿り着くと、外門前に立って居た拓海さんが驚いたようにそう言ってきた。
実際どのくらい時間が短縮できたのかは分からないけど、拓海さんのその言葉を聞く限り、俺の全体力と引き換えにかなり早く自宅へと辿り着けたのだろう。
「た、拓海さん! 明日香は!?」
息切れを整えながら拓海さんを見据え、率直に明日香のことを尋ねる。
「明日香ちゃんは由梨と一緒に居るよ。だから安心して」
「良かった……」
その言葉を聞いて安心してしまったからか、今まで力んでいた身体から一気に力が抜けていくのを感じた。
「あっ――」
全身から力が抜けていくのを感じた瞬間、俺の視界はスローモーションがかかったように風景が上へ流れていき、そのまま目の前が暗くなった。
「涼太くん!? 大丈夫!?」
最後に聞こえたのは拓海さんのそんな言葉と、僅かに聞こえる蝉の鳴き声だった。
× × × ×
「あっ、気がついたんですね。良かった」
俺が目を覚ますと、その隣から明日香とは違う女の子の声が聞こえた。
ズーンと重たく感じる頭を声がした方向へ向けると、そこに居たのは明日香の友達の由梨ちゃんだった。
視線を動かしてあちこちを見る限り、どうやらここは俺の部屋のようだ。
再び由梨ちゃんに視線を戻すと、その近くにある小さなテーブルに両腕を重ね、そこに頭を乗せて寝ている明日香の姿が見えた。
「由梨ちゃん、なんでここに?」
「兄さんに呼ばれたんです。『涼太くんが倒れたからすぐにこっちに来てくれ』って」
「倒れた? 俺が?」
「お兄さんは熱中症で倒れたんです。兄さんから聞きましたよ? 日中から陽が落ちるまで明日香ちゃんを捜して走り回るなんて、無茶にも程があります」
なるほど……俺は熱中症で倒れたのか。そういえばまともに水分補給をしてなかったし、こんな暑い夏の日にまともな水分補給もせずに走り回ってりゃ、熱中症にもなるよな。
自分の冷静さを欠いた行動を思い出し、なんだか恥ずかしくなってくる。
「ごめんね由梨ちゃん、拓海さんにも心配かけたみたいで」
「謝る相手が違いますよ、お兄さん。それは明日香ちゃんに言ってあげて下さい。明日香ちゃん、ずっと泣いて心配してたんですよ? 『私のせいでお兄ちゃんが倒れちゃってんだ』って、『お兄ちゃんなんか大っ嫌い』って言ったからだって、ずっと自分を責めてたんですから」
なんとなくだが、明日香がそういうことを泣きながら言っている場面が想像できてしまう。想像できるだけに、明日香には悪いことをしてしまったと激しく反省している自分がいた。
「今朝の出来事は明日香ちゃんから聞きました。なんであんなことを言っちゃったんですか?」
ちょっとムッとした感じの表情でそう聞いてくる由梨ちゃん。
由梨ちゃんの言う“あんなこと”――と言うのは、まず間違いなくキャンプへ行くことを認めず、その理由を話さなかったことを言っているのだろう。
「そ、それは……」
俺は恥ずかしながらも、その理由を由梨ちゃんに話してみることにした。
「――なるほど、そういうことだったんですね」
話を聞き終わった由梨ちゃんは、すべてを納得したと言わんばかりの晴れやかな感じの表情を浮かべていた。
「つまりお兄さんは、一緒に来る男子に対して敵愾心を抱いたってことですよね?」
「うっ…………」
あまりにもズバリな言葉に何も言えなくなる。
そんな俺を由梨ちゃんは更に満面の笑顔で見ていた。話を聞き始めた頃のちょっとムッとした表情など、今では微塵も感じられない。
「話は大体分かりましたけど、お兄さん、明日香ちゃんの話を最後までちゃんと聞きましたか?」
「えっ? 最後まで?」
最後までもなにも、みんなでキャンプに行きたいから許可を欲しいって話じゃないのか?
「その様子だと、話をちゃんと最後まで聞いてなかったみたいですね」
由梨ちゃんは小さく息を吐き出したあと、明日香が言おうとしていたのであろう内容を話し始めた。
「キャンプに行く話ですけど、明日香ちゃんはお兄さんに同行をお願いしようとしてたんですよ?」
「えっ!?」
由梨ちゃんが口にした言葉を聞いて思いっきり驚いてしまった。
きっとこの時の俺は、今までの人生で一番間抜けな顔をしていたに違いない。
「やっぱりちゃんと話しを聞いてなかったんですね」
そう言って一呼吸置いたあと、由梨ちゃんは今回のキャンプについてのことを詳しく話し始めた。
「一昨日のラジオ体操の後にキャンプの話が出たんですけど、今日になってみんなの保護者が用事でいけないということになって、その時に明日香ちゃんが『お兄ちゃんに頼んでみるね』って言ってくれたんです。ちなみに私の兄さんも、『涼太くんが一緒に行ってくれるなら安心だな』って言ってくれたんですよ?」
「そうだったのか……」
本当に明日香には悪いことをしてしまったと、壮絶な自己嫌悪に陥る。
そんなことを考えていると、部屋の出入口の扉がキイッと音を立ててゆっくりと開き、そこから拓海さんが顔を覗かせた。
「あっ、涼太くん、大丈夫かい?」
俺が目を覚ましていることに気づいたようで、拓海さんはほっとした感じで部屋へと入って来た。
そんな拓海さんを見た俺は、ゆっくりと上半身を起こしてから再び拓海さんへと視線を向ける。
「あっ、安静にしてていいよ。それとこれ、コンビニで買ってきた物だから、気分が良くなったら食べてね」
「すいません拓海さん、ご迷惑をかけたみたいで」
拓海さんは笑顔で『気にしないでよ』と言い、膨れたコンビニの袋をテーブル近くの床に置く。
すると寝ていた明日香の頭がゆっくりと上がり、真っ赤になった瞳でこちらを見てきた。
「お、お兄ちゃん!?」
寝起きの目がぱっと開いてその場でサッと立ち上がると、明日香は脇目も振らずにこちらへと近づき、そのまま俺に飛びついてきた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい!」
そう言って俺の胸に顔を埋めながら大泣きを始める明日香。
「由梨、帰ろうか」
「はい」
俺たちに気を遣ってくれたのか、拓海さんと由梨ちゃんは俺に向かって軽く頭を下げてからそのまま部屋を出て行く。そのさりげない気遣いがとても嬉しかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
明日香は相変らず泣きながら謝り続けていた。
俺が倒れたことで、明日香がどれだけの心配をしていたのかがよく分かる。
「明日香が謝ることはないよ。悪かったのはお兄ちゃんなんだから」
そう言って優しく頭を撫でた。それでも明日香はブンブンと頭を左右に振り、『私が悪いの』と言い続ける。
こうなるとどうやって明日香を納得させればいいのか、そのことが難しく感じてしまう。
「明日香、今朝はちゃんと話しを聞かなくてごめんな」
「ううん、私も大っ嫌いって言ってごめんなさい」
その言葉を聞いた時、本当に嫌われたわけではなかったんだと安心した。我ながらなんというシスコンぶりだろうか。
「いいんだよ、だからもう泣かなくていいから」
「お兄ちゃんが倒れたって聞いて、どうしようって思ったの。お兄ちゃんがこのまま居なくなったらどうしようって。それを考えると怖くてたまらなかった……」
俺の軽率な発言が元でこれだけ明日香を不安にさせていたんだと思うと、自分がいかにガキな発想で動いていたかが分かる。
「――明日香、一緒に行こうか、キャンプ」
「えっ? いいの?」
「もちろん」
「嬉しい……またお兄ちゃんとの楽しい思い出が増えるね」
満面の笑顔でそう言ってくる明日香がとても愛おしく感じる。
「そうだな、明日みんなにも知らせてやってくれ」
「うん! でもお兄ちゃん、なんで急に行くのを認めてくれたの?」
明日香は小首を傾げながらそう尋ねてくる。
うっ……ここでその理由を聞いてきますか。
でもまあ今回は俺がはっきりと理由を言わなかったことが原因だから、ここで再びその理由を言わないという訳にはいかないだろう。
「そ、それはだな――」
俺は自分のガキな部分を妹に晒さなければならなくなり、ちょっと憂鬱になる。
だが今回の件にケジメをつけるためには仕方がないので、渋々ながらも話をすることにした。
しかし明日香は話をしている途中、時々だが首を傾げていた。どうやら俺が男子に対して抱いていた敵愾心がよく分からなかったらしい。
俺はベッドから下りて拓海さんが買ってきてくれたお弁当を明日香と一緒に食べながら、明日香が理解するまで延々と男の嫉妬や敵愾心について話をすることになった。
 




