妹ができました。
みんなも聞いた事があるだろうことわざの中に、事実は小説よりも寄なり――というものがあると思うけど、まさに今の俺が遭遇しているこの状況がそれに該当するだろう。
なぜなら日曜日の朝、目覚めたら自分の部屋に知らない女の子が居て、しかもその女の子が自分の事を『お兄ちゃん』とか言ってるんだから。
「あ、あのさ、君、いつからこの部屋に居たの?」
「お、おにい、ちゃんが、けい、やくを、むすんだ、とき、から……」
――契約? 何か契約なんてしたっけ?
「君はどこから来たの?」
女の子はビクビクと身体を震わせながら、恐る恐ると言った感じで天井を指差した。
――どういう事だ? まさか天井裏で生活してたとか言うんじゃないだろうな……。
確認するようにジェスチャーで天井を指差してみると、女の子は無言で俯き、その状態でチラチラと俺の方を見てくる。
捨てられた仔犬の様な瞳――という表現が世の中にはあるけど、この子の場合はどこか違う。何と言うか、ずっと何かに怯えている様な反応だ。
どうしたものかと思いながら頭をぽりぽり掻いていると、女の子は少しだけ俺から離れた。無言で見ていたのが怖かったのかもしれない。
そんな事を思っていたその時、女の子のお腹から、ぐうーっと可愛らしい音が聞こえてきた。
「あっ……」
女の子は恥ずかしそうに背を向ける。俺にはそんな女の子の行動が少し可愛らしく見えた。
「お腹空いてるの?」
「う、うん……」
女の子は背中を向けたままで小さく頷き、短くそう答えた。
そういう事なら、まずは食べ物でもあげてみよう。このままでは話にならないから。
「ちょっと待っててね」
確か買い置きしてたカップ麺がまだあったはずだから、とりあえずそれでもあげておこう。
階段を下りて台所まで歩き、棚に置いてあるカップ麺を手に取る。
「あらら……」
かなり買い置きしていたはずだったけど、棚に入っていたカップ麺は最後の一個だった。
手に取ったカップ麺のふたを少し捲り、かやくやスープの粉を入れてお湯を注ぐ。
そして割り箸を一膳と、カップ麺を持ってから部屋へと戻った。
「お待たせ」
部屋にある小さなテーブルにカップ麺を置き、ふたの上に割り箸を乗せる。
女の子はカップ麺に相当興味があるのか、まじまじとテーブルの上にあるカップ麺を見つめ始めた。
「……そろそろいいかな」
じーっと待つ事三分。ふたを開けて割り箸を二つに割り、具やスープが麺に絡まるように丁寧にかき混ぜる。
カップ麺とはまさに、人類が生み出した傑作と言えるだろう。俺のように料理が出来ない者にとっては、必須と言えるアイテムだ。
しっかりと中身を混ぜ合わせた後、俺は女の子に向かってそれを差し出した。
「ほら、ちょうどいい具合だから食べなよ」
「たべ、て、いい、の?」
「どうぞ。熱いから火傷しないようにね」
「あ、あり、がとう、おにい、ちゃん」
カップ麺を受け取ると、女の子は恐る恐ると言った感じでそれを食べ始めた。
「おい、しい」
さっきまで怯えた様な表情しか見せていなかった女の子が、初めて少しだけ微笑んだ。それを見た俺は、何となくほっとした気分を感じた。
「食べながらでいいから聞いて。君はいったい何者なの?」
「わた、しは、あす、か。ゆう、てんし」
「ユウテンシ?」
――何だそれは? 聞いた事も無い言葉だけど。
「あすかちゃんか。それでその、ユウテンシって何?」
「それ、は――」
「それについては私が説明するねっ!」
突然部屋の中に俺達とは違う声が響いた。何事かと思い、頭を左右に振って部屋の中を見回す。
「こっちよ、桐生涼太くん」
再び聞こえた声は俺の真上から聞こえ、その声に視線を上へ向けると、そこには小さな女の子が飛んでいた。小さいとは言っても、小学生とか幼稚園児とか、そう言ったレベルではない。
いわゆるファンタジーなんかに出て来る、小さな手の平サイズの妖精の様な女の子だ。しかも、天使の様な白い羽付き。
「やっぱり夢見てんのかな……」
いそいそとベッドへ移動し、布団に潜り込んで目を閉じる。
「ちょ、ちょっと!? いきなり寝ないでよっ!」
「夢よ覚めろ夢よ覚めろ――」
「信じられないのは分かるけどさ……仕方ないなあ、えいっ!」
「いってぇー!?」
頭にチクッとした刺激が走り、俺は布団を跳ね上げてサッと上半身を起こした。
「な、何すんだよ!?」
「痛かった? それじゃあ、これが夢じゃないって理解してもらえた?」
「うっ……」
白い羽の生えた小さな女の子は、そう言いながら右手に針の様な物を持って俺に迫って来る。ここまでされたらもう、これが夢だとは言い張れない。
「わ、分かったよ。で、おたくは誰?」
「私は幽天子見守り隊のサクラ! サクラって呼んでいいからねっ!」
金髪ツインテールという、お決まりな感じの妖精みたいな女の子に自己紹介をされる。
「で、その見守り隊が俺に何の用なの?」
「私は今回、君と明日香の見守りを担当する事になってるの」
「見守り? 見守りっていったい何の事?」
「何の事って……昨日契約してたじゃない」
「何の契約? どこで?」
俺は訳が分からずに首を傾げた。そもそも、契約なんてものをした覚えが無いからだ。
「昨日そのパソコンで質問に答えてたでしょ!?」
「えっ? あれって契約だったの!?」
まさかの事態に俺は本気で困っていた。
ゲームならともかく、リアルな女の子の面倒を見るとなると、話は別だから。ここは素直に断るのが賢明だろう。
「あの――」
「ちなみにこの契約を一方的に破棄する場合、君は地獄に落ちる事が確定していまーっす!」
「ええっ!? 何その、『クーリングオフは出来ませんよ』みたいな事を言う悪徳業者的なセリフは!」
「人聞きが悪いなあ。ちゃんと天界法に則ったやり方ですよ~?」
「いや、天界の法律なんて知らないし、何よりここ天界じゃないし」
「大丈夫だってば。君が日常生活に支障をきたさないようにするのも、私の役目なんだから」
「本当か?」
サクラの軽い口調を聞いていると、いまいち信用ができない。
「わた、し、ここ、でも、いもう、とに、なれ、ないの? サクラ」
あすかちゃんが寂しげにサクラに問う。
それにしても、ここでもってどういう事だろうか。
「涼太くん、ちょっと明日香にシャワーを貸してくれないかな?」
「えっ? いいけど」
サクラにそう言われ、あすかちゃんをお風呂場まで案内する。
女の子用の服なんて持ってないから、とりあえず俺のズボンとTシャツでも貸しておくとしよう。サイズが違い過ぎるけど、この際それは仕方がない。
「服はここにおいて置くから、シャワーを浴びたらこれに着替えてね」
「うん」
一定の距離を保ったまま、俺の後ろからついて来たあすかちゃん。まだ俺の事が怖いらしい。
お風呂場でシャワーの使い方などを一通り説明した後、俺はサクラが居る部屋へと戻った。
「それで? いったい何の話をしたいんだ?」
「おっ、察しがいいね。そこまで分かってるなら話が早いよ」
そう言うとサクラは色々な事を話し始めた。
まず幽天子とは、天界に居るちょっと特別な事情を抱えた子供の幽霊だという事。その特別な事情ってのが何なのかは気になるけど、それついては教えてもらえなかった。
そしてサクラは天界の住人で、天生神と呼ばれる存在らしい。まったく聞いた事が無い言葉だが、サクラ曰く、この世で言うところの死神と対になる存在だそうだ。
天生神の役目は、地上で幽天子が共に暮らす人物の選定、及びその見守り。そして幽天子を地上へ送る目的は、幽天子を地上に転生させる為の重要なプロセスらしい。
ちなみに、あすかちゃんの名前が明日香だというのもこの時に教えてもらった。
「――とまあ、色々話したけど、こんな感じかな。解ってもらえた?」
「まあ、何となくはな……」
信じ難い話ではあるけど、目の前で起きた出来事は真実。ならば漠然とではあっても信じるしかないだろう。
「要するにさ、明日香ちゃんが無事転生できるように、妹として面倒を見ればいいって事だろ?」
「簡単に言うとそうなるのかな」
「分かったよ。どこまでできるかは分からないけど、地獄に落とされたくないしな」
「そうこなくっちゃ! それじゃあ私は、一度報告の為に天界に戻るから。明日香をよろしくねっ!」
そう言うとサクラは、透過する光の様に窓を突き抜けて外へと出て行った。
「よろしくねって……軽く言ってくれるよな」
それにしても、明日香ちゃんはずいぶんと戻って来るのが遅い。結構な時間が経つけど、まだシャワーを浴びているんだろうか。
とりあえず様子を窺う為、階段を下りてお風呂場へと向かう。
「あっ、明日香ちゃん。出てたんだね、さっぱりした?」
「う、うん」
そういえば、サクラから明日香ちゃんの事は聞いてなかったから、ちょうど良い機会だし色々と聞いてみよう。
「明日香ちゃんてさ、歳はいくつなの?」
「と、し? ゆう、てんし、ねんれ、いなら、じゅう、いっ、さい」
たどたどしい話し方ではあるけど、明日香ちゃんはちゃんと答えてくれる。
しかしよく考えてみれば、相手はいわゆる幽霊のようなものなのだから、年齢を聞くというのもおかしな話かもしれない。
「十一歳か。となると、小学校五年生くらいってところか。あっ、とりあえず俺の部屋で休んでていいからね」
そう言うと明日香ちゃんはコクンと頷いてから階段を上がって行った。
俺はそんな明日香ちゃんを見送った後、彼女が着ていた服を洗濯機にかける為に脱衣所へと向かう。
「な、何じゃこりゃ!?」
ふと覗き込んだお風呂場は、恐ろしい程に泡だらけになっていた。俺は急いで風呂場へと入り、シャンプーなどが入った容器の中身を確認する。
「ぜ、全部空だと!? まだ新しいのを詰め替えたばかりだったのに……後で買いに行かないと……」
この後、俺は約二十分程をかけて泡を洗い流し、ついでにお風呂場の掃除をした。
「ふうっ、こんなもんかな」
「おにい、ちゃん。わたし、いけない、こと、した?」
聞こえてきた小さくたどたどしい声に浴室の出入口を見ると、明日香ちゃんが不安げな表情でこちらを覗き込んでいた。俺が戻って来ないから、気になって見に来たのかもしれない。
「何でもないよ、明日香ちゃん。気にしないでいいから」
「うん。わかっ、た」
そう言うと明日香ちゃんは、静かにその場を離れて部屋へと戻って行った。
「やれやれ……これは先が思いやられるな」
こうして妹が居ない俺に、突然妹ができた。手の掛かりそうな妹だけど、この先どうなる事やら。