幼馴染と約束しました。
生きていると必ず一度は――いや、何度となく訪れるピンチと言う名の魔物。そのいつ訪れるとも分からない魔物に人は翻弄され、時に人生を狂わされる。
「…………」
ワクワクバーガーの二階、端の席。俺の向かい側には、戸惑いの表情を見せながら椅子に座る琴美の姿がある。
そしてその隣には、どこからか持って来た椅子に腰掛け、今にも不穏な発言をかましそうな雰囲気のサクラの姿が。
そう、俺は今ピンチを迎えていた。どれくらいのピンチかと言えば――そうだな……ギャルゲーに例えるなら、ヤンデレ彼女とのエンディング分岐イベントが発生し、その選択肢を間違えれば即バッドエンドへ直行――ってくらいのヤバさだな。
もちろんゲームならセーブした地点からやり直せばいいだけの話だけど、ここは現実であってゲームではない。やり直しの一切きかない、一発勝負の現実なんだ。
「琴美ちゃんだったよね? 私はサクラ、よろしくね! 琴美ちゃんのことはいつも涼太くんから聞いてるよ」
さっそくサクラが面倒しいことを口走っている。
ここは『よろしくね!』――と言う一言で終わっておけばいいじゃないか。なんで余計な一言をつけ加えるんだよ。
「あっ、は、初めまして。私は姫野琴美といいます」
琴美は丁寧にサクラに向かって挨拶をしながらも、俺に向けてチラチラと視線を送ってくる。
その戸惑いと思われるような表情を見ていれば、なんとなく琴美が思っているであろうことは想像がつく。
「あー、なんと言うかその……この人は――」
「私は涼太くんのお姉さんみたいなものだから、安心していいからね? 琴美ちゃん」
とりあえず親戚の人とでも言っておこうと思った俺を制止するように身を乗り出し、元気よく余計なことを言ってくれる天生神。
コイツ、本当は死神なんじゃないだろうな? それと、“安心していいからね”ってどういう意味だよ。
「りょ、涼くんってこんな綺麗なお姉さんが居たんだね」
「えっ? あ、ああー! 実はサクラとは遠い親戚なんだよ!」
「サクラ~? “サクラお姉さん”じゃないの?」
ニヤリと片側の口角をつり上げながら俺を見てくる。その笑顔のなんと邪悪なことか。
「そ、そうなんだよ。サ、サクラお姉さんは親戚なんだ。アハハハ」
顔をひくつかせながら、完全に調子に乗っているサクラの要求に応える。
ここはグッと我慢だ。琴美にこれ以上勘ぐられては洒落にならない。
「そ、そっか、親戚だったんだね」
サクラのその軽さに圧倒されているのか引いているのかは分からないが、琴美もどう反応すればいいんだろう――と言った感じの複雑な表情を浮かべている。
「そうだ、涼くんは夏休みの宿題進んでる?」
そのちょっと異様な雰囲気を変えようとしたのか、琴美は話のネタとしては無難な話題を提示する。さすがは琴美、なんともナイスな判断だ。
俺は琴美からの絶好なパスを受け、このピンチからの脱出口を開こうとした。
「んー、進み具合はまあまあかな。琴美はどうなの?」
「私はちょっと苦戦してるんだよね」
琴美は憂鬱そうに息を吐き出す。こんな表情を見るのはどれくらいぶりだろうか。
世の中に幼馴染みって関係の人はたくさん居ると思うが、いつまでも仲良くその関係が続いている幼馴染みなどそうは居ないだろう。俺と琴美がそうであるように、大概は小学校あたりからその関係は希薄になってくる。
それはきっと、お互いに異性というものを意識しだすからなんだろうと思う。
よくよく考えてみれば、やはりその頃から男子は男子、女子は女子で固まって仲間関係を形成していたように感じる。
そうを考えると、俺と琴美が幼馴染みとしての関係が希薄になるのは必然だったと言えるのかもしれない。
「もしかして、数学の宿題?」
「うん。私が数学が苦手ってこと、覚えててくれたんだね。嬉しいな」
たったそれだけのことなのに、琴美はにこっと微笑んでくれる。
だけどその微笑む気持ちはちょっと分かる気がした。自分のことを知ってもらえている、覚えてもらっているというのは、ただそれだけで嬉しいと感じるからだ。もちろんそれは、知ってくれている相手にもよるとは思うけどな。
「む、昔から苦手だって言ってたもんな」
そのあまりにも素直な微笑みは俺には眩しく、思わず目を逸らしてしまった。
「お勉強、大変みたいだね」
手にした紙コップの飲み物を口にしながら、なんともお気楽なことを言ってくれるサクラ。
俺もサクラのようにお気楽になりたいもんだ。
「はい。実はさっきまでずっと図書館で勉強してたんですけど、なんだかはかどらなくて」
サクラの言葉に疲れた感じの笑顔を浮かべて答える琴美。
琴美って普通に成績が良いくせに、小学校の時から算数はちょっと成績悪かったもんな。
あっ、でも、確か昔は全般的に成績は悪かったな……それを考えると、ずいぶんと勉強を頑張ったんだな。なんとかしてあげたい気持ちはあるけど、まあ俺にできることなんてないだろう。
小さなテーブルの上にある紙コップを手に取り、それを口元へと運んでいく。
「だったら涼太くんに教えてもらえばいいじゃない」
「ぶっ!?」
飲み物を口に含もうとした瞬間、サクラがまたとんでもないことを言い出した。
「サ、サクラ! なにを言ってんだよっ!」
「サクラ~?」
「ぐっ……サ、サクラお姉さん。いったいなにをおっしゃっていやがるんでしょうか?」
こめかみをピクピクさせながら、サクラをギロリと鋭く睨む。
「もー、そんなに睨まないでよね」
睨むに決まってるだろ、とんでもない提案を持ち出しやがって。だいたい琴美がそんな提案を受け入れる訳ないだろが。
「あ、あの……涼くんさえ良かったら、勉強を教えてもらえないかな?」
「えっ?」
身体をソワソワさせながら、少し申し訳なさそうにそう言ってくる琴美。
教えてほしいって、俺が琴美に勉強を?
俺の思考回路は次第に混乱し始めていた。
「うんうん、それがいいよ! じゃあ明日、さっそく涼太くんの家においで!」
「えっ? 涼くんの家にですか?」
「ちょ、ちょっと!? サクラさん!?」
サクラは俺の言葉には耳も貸さず、琴美に向かって話を続ける。
「うん! 明日はなにか都合が悪い?」
「い、いえ、そんなことはありませんけど……」
「じゃあ決まりね!」
「は、はい」
琴美の両手を握りこんでブンブンと上下に振るサクラ。
その圧倒的マイペースさと強引さに、琴美は有無を言わさず頷かされてしまっていた。
そして俺の意見や思いなどを一切無視したところで話は進み、滞りなく解決してしまっている。なんと言う理不尽だろうか。
「あっ、もうこんな時間。ごめんなさい、私これから家の用事があるんで先に帰りますね」
トレーを両手で持って席を立ち上がると、急いでそれを所定の位置に片づけてからこちらを振り向く。
「じゃあ、明日来るね。涼くん」
「あ、ああ……」
そう返事をすると、琴美は笑顔を浮かべて階段を下りて行った。
「青春だなあ」
そんな琴美を見てニヤニヤとしているサクラ。とことんこの状況を楽しんでいるのだろう。
「良かったね、涼太くん」
しかし、そう言って微笑んでいるサクラの表情は先ほどまでと違って柔らかで、心からそう思って言ってくれているように感じた。
「そうだな」
ピンチが先延ばしになっただけとも思うけど、嬉しくもあるのも本心だ。
きっと俺だけなら、琴美を勉強に誘うなど出来なかっただろう。少しだけサクラに感謝してもいいのかもしれない。
「ふふふ、明日はどうなるかなあ。楽しみ楽しみ。涼太くんにバレないように、じっくり観察しないと」
心の中で思っているであろうことを、サクラは思いっきり口に出している。それに伴い、さっきまでの感謝の気持ちが一気に消し飛んでいく。
コイツはやっぱり死神なんじゃないだろうか。
「サクラ、そういうことはな、口に出してしまうと無意味なんだぜ?」
「えっ? えっ!?」
サクラは慌てふためき言い訳を始めるが、時すでに遅し。俺はその場でサクラに対し、明日の我が家への侵入を全面禁止にする。
その通告にギャーギャーと店内で子供のように喚くサクラは相当に恥ずかしく、俺はそんなサクラを引きずって店を出ることになった。




