妹はお泊まりに行きました。
抜けるような青空に輝く太陽が、憎たらしいほどに暑苦しい陽射しを浴びせてくる夏の昼間。
蝉たちが短い命を謳歌しようと必死に声を張り上げている駅前通りを歩きながら、俺は視線をあちらこちらに泳がせていた。
日本の夏ってのは、誰にとっても地獄の暑さだが、男にとっては別の意味で熱くなる季節でもある。
昼の駅前通りにはたくさんの人が行き交い、その中でも薄手の服に身を包んだ女性は特にこちらの視線を奪う。
しかし本来なら表情が緩んでしまいそうになるそんな状景を見ていても、今日はそんなに嬉しくはなかった。
「どうしたの? 浮かない顔をしちゃって」
俺の隣には、薄いピンク色の小さなハートがちりばめられた白地のTシャツに、下着が見えそうなほどの短いチェック柄のスカートに身を包んだ女性の姿がある。
その女性は悪戯な笑みを浮かべながら、こちらの顔を覗き込んでいた。
顔を覗き込んできた時に出された声はどこまでも美しく、大人の女性を感じさせるような妖艶で官能的な響きをしている。
俺より高い身長、スラリと伸びた長い手足、ほどよく引き締まった腰のくびれ。着ているTシャツのサイズが小さいからか、その豊満な胸とボディラインが更に強調され、なおかつ、ヘソ出しスタイルという姿。
そしてその見事なまでの容姿とはアンバランスとも見てとれる、金髪のツインテール。
だがそのアンバランスさが良い意味でのギャップを生み出しているのか、横を通り過ぎて行く男性の視線、更には女性の視線すらも見事に奪っている。
「なんて言うか――どうしてこうなったと思ってさ」
疲れた吐息をふうっと吐きつつ、隣に居る女性を横目で見る。
本当ならこんな女性と並んで歩けるなんて、天にも昇る気持ちになるんだろうけど、その正体が分かっている以上、そんな気分にはならない。
「溜息なんてついてないで、もっと楽しもうよ」
俺の腕に自分の腕を絡ませ、身体を摺り寄せてくる。
その行動に思わずドキッとしてしまったのは、俺がまだ純情であるからだと信じたい。
「た、楽しむって言ってもなあ……それよりサクラ、本当に明日香の方は大丈夫なのか?」
「もうー、涼太くんは本当に心配性だなあ。そんなんじゃ、近い将来に頭が禿げちらかっちゃうよ?」
クスクスと笑いながら、俺の頭を見つめてくるサクラ。
コイツ、何気にじいちゃんがツルツルだったから気にしてることを……。
「明日香なら大丈夫よ。あっちの天生神は、私の次に優秀なんだから」
由梨ちゃんが泊まりに来た日から2日後の今日、今度は明日香が由梨ちゃんの家へ泊まりに行くことになり、既に朝から由梨ちゃんと共に出かけている。
拓海さんと由梨ちゃんは無事に仲直りができたようで、昨日の晩に拓海さんからお礼の電話がかかってきた。
その時に今回のお礼がしたいと、今度は明日香をお泊りにご招待してくれたわけだ。
ちなみに拓海さんと由梨ちゃんが喧嘩した理由だが、朝食の目玉焼きに醤油をかけるかソースをかけるかで喧嘩になったらしい。
喧嘩の理由としては本当にしょうもない理由だけど、まあ喧嘩なんて大概は第三者からするとしょうもない理由なんだよな。
兎にも角にも、そういった経緯もあり、今日は明日香の初外泊なのだが、なぜか見守り役のサクラはこうして俺の隣にいるわけだ。
「その“私の次に優秀”――ってのが、とてつもなく不安をかき立てるんだよな」
「もーっ! それってどういう意味よ!」
不満そうに口を尖らせるサクラ。
そりゃあ普段のサクラを見てれば、不安にもなるさ。そもそもまともに仕事をしてるのかさえも怪しい。
天生神の仕事がどんなものかを詳しく知らされているわけではないけど、それでも普段のサクラは、寝ているかなにかを食べているかの頻度が非常に多いのだ。
そしてその合間に散歩と称してどこかへ行っているのだが、それすらもなにをしているのかは分からない。
そう考えると、サクラについて知っていることなどほぼ皆無と言っていいだろう。
まあ由梨ちゃんたちの天生神がどんな人物かは知らないけど、今回は拓海さんも由梨ちゃんも一緒に居るんだから、そこまで心配する必要はないかもしれないけどな。
「今日は私が涼太くんにお礼をするためにこうしているんだから、楽しんでくれないと困っちゃうよ」
「わ、分かったから! 身体を摺り寄せてくるなって!」
そう、今日はサクラからのお礼と言うことで、1日デートなるものをしている。
だがもちろん、女の子とのデートなどゲーム以外ではしたことがない俺は、かなりこのデートには抵抗があった。
そもそもなんでサクラとデートをすることになったのかと言うと、それは以前、明日香が小学校に通いだしてから夏休みまでの間にあった出来事が原因になる。
あの時はサクラが風邪をひいたことが切っ掛けで、俺は明日香と一緒に天界へと行く羽目になった。
その時は明日香へ甚大な影響が出ると言うことで天界に行ったのだが、風邪が治ったサクラからあとでちゃんと話を聞くと、実は俺の命も危なかったかもしれないと聞かされた。
細かい説明はこの際省くが、要するに最大のピンチから救ってくれたお礼をしたいということで、現在こうなっているわけだ。
「――そうだ、涼太くん。あそこでちょっと休もうよ」
ペチャクチャと話すサクラの話を聞きつつ歩いていると、急に立ち止まってワクワクバーガーがある方を指差した。
「ああいいね、行こうか」
朝からサクラにつき合っているから喉は乾いていたので、その提案には素直に頷いた。
「――ああー、涼しい~」
店内に入ると、サクラは開口一番そう言い放った。
「あれっ? サクラってさ、確か寒さとか暑さを自分で調節できなかったっけ?」
「ん? 確かにできるけど、今は無理なんだよね。この状態になるだけでも結構力を使っちゃってるから」
いつもは小さな妖精として飛び回っているやつが、こうやって普通の人間サイズになるというのは、相当に不可思議な力が働いているというのは想像できる。
「ふーん、そういうもんなんか」
注文をするために並んでいた列が進み、俺たちの順番が来たのでとりあえず話を終わらせる。
そしてサクラになにを注文するかを聞こうとしたのだが、サクラはそんな俺を押しのけ、手慣れた感じで店員さんに注文をしていく。
この際だから、サクラがなぜ手馴れているかということについては目を瞑っておこう。面倒だから。
それにしてもサクラさん、俺に意見も聞かずに俺の分を注文するってどういうことですか? 俺の意見は聞く必要がないってことですか?
働いている店員さんが優秀だからか、サクラが注文した品は5分も経たずに揃い、俺はサクラと共に二階席へと移動した。
移動した二階席もやはり夏休みということもあるからか、たくさんのお客さんで混み合っている。
しかしサクラは目ざとく2人席を見つけ、そこに素早く陣取った。
「さあっ、遠慮なく食べてね!」
目の前にはにこにこと満面の笑みを浮かべるサクラと、この夏ワクワクバーガーが出したスペシャルなバーガーがそびえ立っている。その高さたるや、ゆうに30センチはあるだろうか。
「遠慮なくはいいんだが、全部は食べられないと思う」
そんな俺の言葉を聞いているのか聞いていないのかは分からないが、サクラは夢中で目前のセットメニューに舌鼓を打っていた。
とりあえずせっかくの奢りなのだからと、俺は目前のタワーバーガーに手を伸ばす。
しかしこのでかさのバーガーってのは、どこから口をつけていけばいいのか正直分からない。手に持つのが不可能だからな。だから仕方ないので、上の段からちまちまと剥がしつつ食べていくことにした。
「――それにしても、あの時は本当に助かったよ。涼太くんには感謝してもしきれない」
タワーバーガーの約半分ほどを食べ終えた頃、サクラが不意にそんなことを言ってきた。
「まあ色々大変だったのは確かだけど、もう終わったことなんだから、そんなに気にしなくていいと思うけどな」
「うん、私は明日香と涼太くんを不幸にしなくて済んだよ。ありがとう」
そのしおらしい様子は普段のサクラとは全然違い、少し戸惑ってしまう。
サクラにはサクラなりの気苦労があるということなのだろう。だけどそのすべてを察してやれるほど、俺が大人ではないのがなんだか虚しい。
「あれっ? 涼くん?」
ザワザワと騒がしい店内においてなお、しっかりと耳に届く美しいソプラノ声。
「こ、琴美!?」
その声に横を向くと、そこにはセット商品が乗ったトレーを持つ琴美がいた。
「おっ、これは面白い展開になりそう」
向かいの席では、なにやら不穏な発言をしながら怪しげな笑みを浮かべているサクラの姿。
こうして俺のある夏休みの午後は、暗雲立ち込める様相を見せ始めていた。




