9話
硝子玉の模様を確かめた利玖が、すっと前を向いた時、史岐は彼女を漱人の視線から遮る形で立ち上がろうとした。しかし、それよりも僅かに早く、利玖が史岐だけに見えるように片手の指を伸ばしてそれを止めた。
黒い帯の二人姉妹の片方が、絡繰り人形のように無音の足取りで近づいてくる。彼女は、利玖から硝子玉を受け取ると、上座の襖から廊下に出るように手で促した。その冷徹な表情を見れば、籤引きの結果に手落ちがなかったことは一目瞭然だった。
利玖、覆面の女性、そして「当たり」を引くはずだった二人姉妹が出て行ったあとも、招待客の間には、しばらく、見てはまずいものを見てしまったのではないか、とでも言いたげなじれったい空気が漂っていたが、漱人が再び口を開き、このあと叢庭へお出になる方は、お面と浴衣、ご希望であれば履き物もお貸ししますので、使用人にお申しつけください、と述べると、ぱらぱらと席を立ち始めた。
覆面の女性の右隣、最初に壺が回ってきた席の男性客は、一人で手酌を続けている。ぼんやりと宙を見ていたが、近づいてみると、顔色はすっかり元に戻っており、予想外の展開に直面した疲れを消化し切れていないような感じだった。
史岐は彼よりも少し下座で膝を折り、挨拶をする。向こうからすれば、自分は初対面、それも文字どおり末席の若造であるわけで、すげなく追い返されたところで文句は言えない立場なのだが、彼はきちんと史岐に向き直り、同じように礼を返してくれた。
隣に座っていた覆面の女性についてどう思ったか、と訊ねると、彼は目を見開いて、
「そう、あれはびっくりしたね」と何度も頷いた。「まさか隣に来るなんてことはないよなあって思っていたんだけど、いや、そういう予感って、当たっちゃうもんだよね」
「お知り合い……、では、ないのですね?」彼の反応を見て、史岐は訊き方を変える。
男性客は、とんでもないことだ、という風に大きく手を振る。
「全然知らないよ。あ、いや……、顔をあんな風に隠されたら、わからないけど……。僕の知り合いに、ああいう格好をしている人はいないなあ。それに、彼女の方も、僕にはまったく興味がないみたいだったよ。一度も話しかけられなかった。ずっと覆面を外さなかったから、料理も飲みものも、全然食べていなくてね」
「あの、では、憶測でも直感でも、何でも構いませんので、あの女性がどこの誰なのか、少しでも思い当たることがあれば、教えて頂けないでしょうか?」
男性客はかすかに眉根を寄せ、史岐の顔を見つめたあと、あっと声を上げた。
「そうか。さっき選ばれたもう一人の子は、君のパートナだったんだね」
「はい」史岐は頷く。「彼女は、今回が初めての参加なんです」
男性客は渋い表情で首をふる。
「そりゃあ、心配だよなあ。毎年当たり籤を引く子が、しれっと裏方に回って、代わりに選ばれた二人があんな組み合わせじゃあねえ……」彼は青竹の猪口をぐいっと呷った。「漱人さんは、先代とは違う考えをお持ちなのかもしれないね。何も細工をしないことが純粋なんだと思っているのかなあ……」
男性客はしばらく、首をさすりながら唸っていたが、やがて絞り出すように、すまん、と言って頭を下げた。
「本当に申し訳ない。じろじろ見られるのも気分が良くないだろうと思って、ほとんど注意を払わなかったんだよ。あそこまで徹底して顔を隠すっていうのは、ちょっと、普通じゃないからね。ひょっとしたら、顔が割れたらまずい立場の人、たとえば芸能人かもしれない。ここも……、ほら、こういう性質の集いだからさ」
「ええ、確かに、そうですね」史岐は頷き、言おうか言うまいか迷ったが、思い切って口にした。「あの、僕、彼女をどこかで見た気がするんです」
「兄ちゃん、おかしなことを言うねえ」男性客がくくっと笑った。「顔がわからないのに見覚えがあるっていうのかい」
男性客は、空になった猪口に再び酒を注ぎながら、ぽつりと呟いた。
「そうだねえ……、雪女っちゅうのが本当にいるとしたら、あんな風なのかねえ」




