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12話

 四角い白木の箱の中では、ふっくらとした稲荷寿司が最高級の出汁を思わせる輝きを放っていた。両手鍋の中では、焦げ目をつけた切り餅が、小豆の間から氷山みたいに浮上して湯気を立てている。深さのある染付皿には筑前煮が盛りつけられ、梅の花を象った飾り切りの人参が華やかだった。利玖は、それを見て、自分が引いた硝子玉の模様を連想した。

 隣の部屋では、あの覆面の女性が引いた硝子玉になぞらえた料理が並べられているのだろうか、と思ったが、漱人が読み上げたその模様の内容を、利玖はもう思い出せなかった。

 他にも、青菜を添えた水餃子、香ばしいソースを絡めた具沢山の焼きそば、笊に盛られた茸や山菜の天麩羅など、これらの献立が酬笄館に揃った経緯を編纂すれば、ちょっとした郷土史の本が書けそうな量と種類の料理が座卓の上を埋め尽くしていた。

 座卓は全部で三つあり、空いた一辺を向こう側にしてコの字型に並べられている。利玖からすると、カウンタのような配置だった。事実、中には人がいる。

 人、と断言していいのかは微妙なところである。

 柿渋色の着物を着ているが、躰の色もそれとほとんど変わらない。表面は少してらてらとして、粘土のような質感である。顔にあたる部分には目や口、耳などのパーツはなく、黒々と二重丸が書き込まれているだけだった。

 一つめの控の間へ繋がる襖が粘土人形の背後に見える。そのさらに上にある掛け時計で、時間を確かめてから、利玖は一歩前に進んだ。

 かくん、と粘土人形が震えた。立ち上がろうとするコンピュータのようにぷつぷつとノイズを発して、ゆっくりと利玖を見上げる。

 二重丸で照準を合わせるように、顔を上下に動かしたあと、

「ぬしが、持ちしは、ぼたもちなりや?」

と訊ねた。

 回路を腐食されたラジカセみたいな音質だった。おそらく録音ではなく、合成音声なのだろうが、こちらが聞き取りやすいように再生速度を落としているのが却って不気味さを助長している。

 利玖は息を整え、二重丸の中心を見つめて、

「否」

と明瞭な発音で答えた。

 また粘土人形がノイズが発して考え込む。本当に思考しているわけではなく、簡単な受け答えをするためのスピーカとマイクが埋め込まれているだけなのだろうが、少し顔を俯き加減にさせるので、そんな風に見えてしまうのだった。

「うさぎの、あしは、さんぼんなりや?」

「否」

「せみの、いのちは、なのかにたらずや?」

「否」

 そう答えたあと、利玖は瞬きをして大きく息を吸い込んだ。危うく、あれ、そうだっただろうか、と考えてしまうところだったのだ。ここで求められるのは、粘土人形の問いに正答することではない。どんな問いに対しても、否と答えることだ。

 三つの問いに答えたところで、粘土人形はさらに深く俯いた。今度は、ほとんどノイズを発さない。しばらくすると、ぶつっと、何かが断線するような音がして、するすると縮み始めた。一分ほどかけて、完全に座卓の下に隠れて見えなくなる。

 利玖は掛け時計を確かめた。控の間に移るにはまだ早過ぎる。

 退場したのは粘土人形だけで、料理はすべて、最初に見た時と同じ状態で残っていた。どれもこれも、空きっ腹にこたえる彩りと親しみを兼ね備えたメニューである。

 あとはボーナス・タイムだから、これを食べて待っていろということかもしれない、というきわめて都合の良い解釈をして、箸と取り皿がある座卓の前で膝を折った時、粘土人形の後ろにあった襖が開いた。

 背が高く、淡い桃色の髪を肩に流した男性が襖に手をかけて立っていた。利玖と目が合うと、柔らかく微笑み、膝に乗せている重箱を指さして、

「それを私に頂けますか?」

と訊ねた。



 男性は鴨居に頭をぶつけないように身を屈めながら入ってきた。粘土人形がいた座布団を一瞥し、そこに座る。膝の上できちんと手を揃えて、利玖を見つめ、僅かに首をかしげたが、利玖はそれに対して何の反応も返さなかった。

「あ、そうか」男性が、はたと気づいた様子で瞬きをする。「いけない、いけない。訊く前にこれを見せなきゃいけないんだった」

 彼は着物の懐から薄紅色の簪を取り出した。家紋が見やすいように向きを変えて、利玖の方へ差し出す。

「私は、太白と申します。貴女がお持ちの重箱には、私の仲間が捕らえられている。──貴女がたの間では、少し違う形で言い伝えられているかもしれないが」太白と名乗った男性は、人さし指を利玖の方へ向けた。「手を出さない、という盟約を結んでいたはずの王の一族が人間に捕らえられ、一刻も早く救出しなければならない。そのために使者を遣わすのは、当然のことですよね。改めてお訊ねします。その重箱の中身を、私どもに返して頂けますね?」

「否」利玖はすぐに答える。

「うん、そうだ……」太白はくすっと笑った。「何を訊かれても『否』と答えること。そういう風に指示されているのですね? 貴女がたにとっては、もう古い言い回しでしょうに」

 後半はひとり言のようだったので、聞き流して良いものか悩んだが、念のため、利玖はもう一度「否」と口にした。

 太白は、愉しむような表情で利玖を見つめる。途中、何度か顎に手をやって考え込むような素振りを見せた。自分に何を訊くか、作戦を立てているのだろうか。

 人間ではないと漱人は言っていたけれど、薄い丸眼鏡越しに見える瞳には、少なくとも本当の知性が宿っているように見えた。

 しばらくすると、太白はふっと息をつき、苦々しげに首をふった。

「駄目ですね。貴女は落とせない。私もね、このお役目を頂くのが初めてではありませんから、顔を見ればある程度は察しがつくんですよ。容易に口説き落とせる相手か、そうでないか……」太白は座卓に手をつき、並べられた料理を見回す。「であれば、無駄なやり取りはしたくない。それよりも、これだけのご馳走を手付かずのまま冷めさせてしまう方が、心が痛むというものです」

 太白は箸を取って、にっこりと笑った。

「貴女も食べるといい。飲食は自由に、と説明があったでしょう? 何も答えず、頷くこともしなくて良い。互いが、好き勝手に食べるのです。それなら問題ないでしょう? ああ、これにも答えなくて良いですよ」

「否」利玖はさっきと同じトーンで言う。

 太白はため息をついて箸を置いた。気怠げに懐手をして、自分を囲む三つの座卓を見回し、しばらく、じっと何かを考える。

 やがて彼は、自分の正面と、向かって左側の二つの座卓を順に指さした。

「私は、男ですからね。躰も貴女より大きいし、腹も減っている。だから、この二つの座卓の上にある料理をください。良いですね?」

 そう言って、簪をかざす。利玖は、はっと気がついて、

「否」

と答えた。

 太白は満足そうに簪を懐に戻し、右側の座卓が手前に来るように躰の向きを変える。

「では、仕方がない。こちら側の料理だけを頂くことにしましょう」

 利玖はつかの間、逡巡したが、やがて目顔で太白に謝意を伝えて箸を取った。正面の座卓にも色々と美味しそうなものが並んでいたが、太白の視界に入る状況で食べるのは気が進まず、立ち上がって右の座卓へ近づく。白い布巾が隅に何枚か重ねられ、その横の小さな銀のトレイには、焼酎の水割りを作るための道具一式が揃っていた。このセットは、残りの二つの座卓の上にはない。気の利く妖もいるものだ、と思いながら、利玖は自分のために水割りを作った。

 それだけでは酔いが早く回ってしまうので、手際良く料理もピック・アップする。大葉で包んだつくねにたれを塗って焼いたものや、牛肉とごぼうのしぐれ煮、色鮮やかな枝豆が入った炒り豆腐などを皿に取った。

 端の方へ行くと、片手鍋があったので、蓋を取ってみると、ねぎとお揚げの味噌汁だった。黒い漆塗りのお椀がその横に積まれている。利玖は一番上のお椀を取って、杓子で味噌汁をよそった。

 片手鍋は、それほど直径が大きくはないが、座卓の手前に寄せて置かれている。そのために、奥に不自然なスペースが生じていた。気になったので、ちょっと背伸びをして覗き込んでみると、別段隠さなければならないようなものはない。串焼きを満載した横長の皿が置かれているだけである。串焼きならもっと取りやすい位置にあっても良さそうなのに、と思った時、利玖は、串に刺さっているものが、自分が知っている肉ではないことに気がついた。焦げたワイヤを寄越されたボビンのように彼女はびくっと震え、一瞬だけ息を止めた。

「おや、そちらにありましたか」太白が振り向いて言う。彼は利玖の表情を見て、悔しそうに唇を噛んだ。「しくじったなあ……。私、それが大好物なんですよ。貴女がたからすると、理解出来ないかもしれませんが」

 利玖は首をふって、小さな声で「否」と答える。

 こういう料理があることは知っていた。潟杜駅前のスーパでも、惣菜コーナで、似たようなものが今でも売られているのである。しかし、まさか串焼きになっていることもあるとは思ってもみなかった。

 利玖はそっと串焼きの皿から離れて、最初に取った料理を食べ始める。つくねもしぐれ煮も、出来立てならではの温かさと柔らかな口当たりがあって、染み入るような美味しさだった。大広間で出された夕食も、出来上がってすぐに食べていたら、こんな風にありがたく味わえたのかもしれない。

「飲みものを作るのがお上手ですね」二杯めの水割りを作っている時、太白が興味を持った様子で話しかけてきた。「僕にも一杯もらえませんか?」

「否」利玖は透明な液体と氷の間で回転するマドラの先端を見たまま答える。

「すげないなあ」

 その一言は聞き流した。

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