◇6 解呪
「そうか、アーノルド殿下の指輪に封じられていたか」
シルビアの父であり公爵のダンカンは、突然現れたしゃべる白ウサギのぬいぐるみにびっくりしたあと、しゃくりあげる娘を落ち着かせ椅子に座らせた。そうして妻のルーシーとともに、シルビアの話を一度も遮らずに聴いてくれたのだった。
寝室では、ジョエルの指示で解呪の準備が進められている。几帳面なルルが黒髪おさげの幼顔をしかめながら、四枚の香皿にホワイトセージを分け、ララは神聖水をコップに注ぐ。グラットンはベッドに横たわるシルビアの肉体を診ていた。
「あなた……第二王子妃の座を狙うどこぞの貴族の仕業に違いありませんわ。婚約間近のシルビアに嫉妬したのです!」
危うく娘の肉体を乗っ取られるところだったと知ったルーシーが、口惜しそうにハンカチを握りしめた。そんな妻の肩を抱きながら同意するダンカンは、どこか得意げだ。
「卑怯な手を使いおって。ま、正々堂々と勝負したところで、うちの娘には敵うまいが」
深青の大きな瞳と金髪の華やかな美貌と、社交界では“完璧”と称されるほどの淑女ぶり。学園の成績も入学以来、上位を維持している。シルビアは、親の自慢なのだ。
「それがですね……」
ぬいぐるみ姿でちんまりと椅子に腰掛けるシルビアは、気まずそうに小さな体を縮こまらせた。縁談をまとめるために尽力してくれた父に、失恋したと告げるのは心苦しい。でも、言わねば。
「アーノルド様には、ほかに好きな方がいらしたの。わたくしとの縁談はお断りされるはずです」
「なぬっ? だが、陛下は……」
「いいんです。陛下もアーノルド様には好きな相手をと常々おっしゃっていたでしょう? でもお父様には申し訳なくて」
「いや、私のことは気にしなくていいが……信じられん。お前たち、昔から仲が良かったではないか。それを――」
「あなた、シルビアがいいと言っているのです。無理に縁談をまとめても、お互いに不幸になるだけですわ」
「そうか、そうだな。断られる前に白紙に戻す。それでいいな、シルビア」
公爵家の名誉を重んじれば、早々に辞退するのが最良と言える。今なら、病気療養を理由にすれば双方の体面は保たれるはずだ。
シルビアは神妙に頷いた。
「はい、お願いします。それと、黒魔術をかけた者のことですけど――」
「もちろん、許しませんわよ!」
娘の言葉を遮り、ルーシーはいきり立つ。くっきりと隈のできたやつれた顔にほつれた金髪がかかり、鬼気迫るような凄味があった。
「厄介なことに、犯人の目星がつかないんです。このままでは、はらわたが煮えくり返って、とても安眠できそうにありませんわ!」
シルビアもモコ腕を振り上げて、母に負けじと叫ぶ。
やられたらやり返す――。
不穏なオーラを醸し出す二人を見て、似た者母娘だと思ったに違いないジョエルが、おずおずと切り出した。
「あの……解呪すると、術者に呪いが返って――」
「死ぬんですの?」
「死ぬの!?」
「死ぬのかっ?」
マクスウェル親子は口を揃え、期待のこもったギラギラした目でジョエルに迫る。
「いえ、呪殺の呪い返しではないのでそこまでは……。でも体が徐々に黒い痣に染まっていきます。最終的に顔まで到達し、痣は一生消えることはありません」
正確には、術者とシルビアの体を狙った者の肉体に、痣は現れるという。
それを聞いたシルビアたちは、あからさまにがっかりした表情になった。
「まあ、仕方あるまい。その黒い痣の者を探し出せばいい話だ。国内で黒魔術が使われたことは看過できん。陛下にも報告し協力していただこう」
いち早く気持ちを切り替えたダンカンは言う。
黒魔術の使用は重罪だ。最悪、処刑もあり得る。父は合法的に犯人を始末するつもりなのだ、とシルビアは察した。
(お父様に丸投げしたほうがよさそうね)
罪に見合う罰を与えられるのなら、シルビアはそれでよかった。考えようによっては、顔にまで及ぶ黒痣で一生過ごさねばならないのは、女なら死ぬより辛い罰かもしれない。大金で黒魔術師を雇い、王子妃を狙うほどの令嬢なら、当然美容にも気を配っているだろうから。
「白魔術師様、こちらは指示どおり設置できました」
解呪の準備を手伝っていたルルとララがジョエルに知らせる。二人の声に焦りがあった。
それに気づいたジョエルは、大丈夫だと言うようにゆっくりと頷く。
「香皿はベッドの四隅に、塩と神聖水の分量も大丈夫だね?」
「はい!」
「ホワイトセージの分量もバッチリです!」
「よし、では始めるとしよう。皆さんは部屋の外にお願いします」
ジョエルが香皿の配置を確認してから全員の退出を促すと、ダンカンとルーシーは顔色を変えた。
「それはいかん! 嫁入り前の娘を男と二人きりにするなど」
「そうですわ! うちの娘を傷モノにするつもり!? わたくしも同席します」
「あ、あなた方は、一体なんの心配をしているんですかっ」
ジョエルは、やれやれというふうに額に手を当てる。
確かに年頃の令嬢と部屋で二人きりになるのはマナー違反だが……今は一刻を争うのである。解呪が魂の移動を伴う以上、他人を同席させれば巻き込まれないとも限らない。
それでも「いや」「でも……」とゴネる公爵夫妻を宥めたのは、最年長の老医師グラットンであった。
「閣下、ご令嬢の脈が弱くなっています! さあ、急いで退出しましょう。大丈夫、アヴリーヌ家は隣国で有名な白魔術師の家系ですよ。ねえ?」
「はい。一族の中でも解呪は私の得意分野です。何かあったら、責任をとりますから……」
同意を求めるグラットンの茶目っけたっぷりなウィンクに釣られるように、ジョエルは答えた。そして、ダンカンの背中をグイグイ押して追い立てる。
ダンカンはブツブツ文句を言いながらも彼に従った。扉が閉まる直前に振り向き、シルビアと同じ深青色の瞳に威圧をこめる。
「では、ジョエル・アヴリーヌ卿。娘のことは任せましたぞ」
失敗など許さない――と脅すその顔は、ほんの少し口の端が上がっていた。




