◇8 さよなら
シルビアはアーノルドの指輪に封じられて以来、二か月ぶりに復学した。
「ごきげんよう、シルビア様」
「まあ、シルビア様! もうお加減はよろしいの?」
「ごきげんよう、皆さん。もうすっかり元気ですの。近々、お茶会にいらしてくださいね」
親しくしている令嬢たちに声をかけられ、シルビアはにこやかに応じる。
休んでいる間は、見舞い状の返事すら出せず、社交も疎かになってしまった。そのため、公爵家では大がかりなティーパーティーを計画中なのである。
すれ違うクラスメイトと挨拶を交わしながら廊下を進んでいくと、視線の先でアーノルドが数人の女生徒に駆け寄られ囲まれそうになっていた。一歩間違えれば、もみくちゃにされそうな勢いである。
「きゃぁぁ、殿下!」
「こっち向いてくださいっ」
「アーノルド殿下、お会いしたかったですぅ!」
頬を染め黄色い声を上げる彼女たちは、王子を人気俳優か何かと勘違いしているかのようだった。社交に不慣れな小金持ちの家では親の躾けが行き届かず、定期的にこういう輩が湧く。
この学園が身分差を超えた生徒交流を掲げているため、校舎内には王子専属の護衛を置いていないこと。そして国王夫妻の「好きな人と結婚させたい」という発言が裏目に出ていると、シルビアは思えてならない。
(しょうがないわねぇ)
シルビアは大きく息を吸った。
「あなたたち、何をやっているの! ここは劇場じゃないのよ。許可なく王族の体に触れれば罰せられます。当然、その覚悟はあるのでしょうね!?」
罰せられるという言葉に、アーノルドの腕を触ろうとしていた令嬢の手がピタリと止まる。ほかの女生徒たちも顔を青くして「す、すみませんでしたっ」と謝罪し、逃げるようにバタバタと去っていった。
まったく、これだから『おっかない』なんて言われてしまうのだ。かといって同じことをアーノルドが口にすれば、『冷徹王子』と噂になりかねない。つくづく損な役回りだ……と思いながら、シルビアは走っていく女生徒の背中を目で追った。
「久しぶりだね」
その場に残されたアーノルドから声をかけられ、シルビアは以前のように隣を歩く。足は自然と校門へと向いていた。
「しばらく留学することになってね。今日は学園長に挨拶に来たんだ。シルビア……僕は、王族の務めを果たすことにしたよ」
アーノルドは、彼を王太子に祀り上げる勢力が現れないように、ほとぼりが冷めるまで国を出ることになったのだ。現在、同盟国の王配にという話が水面下で進んでおり、その顔合わせも兼ねている。
国の利益になる結婚をすると決めたのは、アーノルド自身だった。
「存じております。今日くらいは護衛をつけたらよろしかったのに」
「こうなるとは思わなかったんだよ。今までシルビアに守られていたんだって、やっと気づいた」
「これからは気をつけてくださいね。もう、わたくしはいないのですから」
「うん……兄上のこと、申し訳なかった。僕がもっとしっかりしていれば、シルビアを巻き込まずにすんだはずだ。それからコニーのことも……ごめん。僕が禁書庫の話をしたんだよ。彼女は君の顔に憧れていたから、魂を入れ替える魔術があるって冗談のつもりで」
「あら、わたくしの顔を? それはいいことを聞きましたわ。『その顔が完全に黒く染まったら、この美しいシルビア・マクスウェルが嘲笑いに行ってやるわ』とでも伝えてやろうかしら。わたくし、コリンナさんとは面識がなかったんですよ。これくらいの復讐は許されますよね? それともダメですか?」
「いいって言ったら、君は本気で会いに行きそうだな」
アーノルドの答えは曖昧だ。コリンナをまだ愛しているともいないとも言わなかった。ただ、以前より痩せた横顔は、少し寂しそうで。
シルビアはこれ以上、彼女の話題に触れなかった。
会話が途切れ、校門が近づく。門の外には、馬車と護衛が待機していた。
「あ、そうそう。留学先では、あのニャンコ柄のパジャマはやめたほうがよろしいかと……口うるさい教育係からの最後のアドバイスですわ」
「そ、そういえば、僕の指輪に閉じ込められていたんだったね……ってことは、あの恋文もか! 君には変なところを見られてばかりだな」
アーノルドはばつが悪そうに、くしゃっと髪を掻き上げた。顔がうっすら赤く染まっている。
「いつまでも幼い頃のままではないと痛感しましたわ。こんなことになりましたけれど、わたくしは幼馴染みとしてアーノルド様の幸せを願っております」
「僕もだよ。シルビア、どうか元気で……」
アーノルドから手を差し出され、シルビアは握手をして別れた。
馬車が走り出したあとも、しばらくの間見送っていたが、これが最後だというのに不思議と抉るような胸の痛みはやってこないのだった。
(さよなら、アーノルド様)
シルビアは教室へ戻るため、白い制服のスカートの裾を翻した。




