◇1 朝起きたら……
昨夜、シルビア・マクスウェルは、いつもどおり眠りについたはずだった。
バスタブで体を洗い、薔薇の精油を垂らしたボディオイルを柔肌に塗りこめ、絹糸のように艶やかな金髪をブラシで丹念に梳かす。
実際にその作業をしたのは専属メイドのルルとララだったけれど、身の回りの世話をされることは、公爵令嬢であるシルビアにとってごく普通の日常である。
「お休みなさいませ、お嬢様。よい夢を」
灯りが消され、部屋は闇に沈む。
この時点で、なんら異常はなかった。むしろ、ご機嫌だったと言ってもいい。
ララの絶妙なマッサージで全身がほぐされ、ルルが整えてくれたベッドは、しわ一つない白いシーツがピシッと敷かれている。もちろん、布団はフカフカだ。
何より、宰相である父のお陰で、もうすぐ初恋のアーノルド王子と正式に婚約できるのだから、こんなに嬉しいことはない。
一人娘のシルビアは家の跡継ぎなのだが、アーノルドは第二王子なので、王太子に世継ぎとなる御子ができれば継承順位が繰り下がり、公爵家への婿入りも問題ないはずだ。運よく、王太子妃は第一子を妊娠中である。
もう少しで……もう少しで願いが叶う。それなのに――。
「う、嘘でしょぉぉ~!?」
目覚めたシルビアは、驚きのあまり絶叫した。
***
見知らぬ部屋。
目の前には、見覚えのあるニャンコ柄のパジャマ。
そのパジャマを着て枕を抱きしめ、よだれを垂らしながら爆睡する黒髪の男。
アーノルドだ、と認識した瞬間、危うくシルビアの心臓は止まりかけた。
(えええっ~、ここはどこ? なぜ隣でアーノルド様が眠っているの?)
混乱した頭でシルビアがまず疑ったのは、寝ている間に誘拐されたのではないかということだった。
何か手掛かりはないかと辺りをキョロキョロ見渡し、暖炉上部の飾り棚に国王と王妃の肖像画を見つける。王宮……おそらくアーノルドの寝室なのだろう。
自分のいる場所の目星がつき安堵したシルビアは、ようやく違和感を覚えた。
隣で寝ているにしてはアーノルドとの距離が遠く、視線も横並びより少し高い。彼のパジャマにプリントされた茶トラのニャンコを右斜めから見下ろせる、この位置にあるのは……。
(わたくし、ベッドのサイドテーブルにいるってこと?)
いやいや、それはおかしい。幼子ならまだしも、十八歳のシルビアはれっきとした淑女だ。ベッド脇の小さなテーブルに腰かけられるほど小柄ではないし、そんなはしたない真似をするはずがない。ましてや、さっきまで意識がなかったのに? 一体全体どうなっているのか。
そんなことをうだうだ考えているうちに、アーノルドが目を覚ました。眠そうな翠眼を瞬かせ呼び鈴を鳴らすと、数人の侍従たちが現れて粛々とアーノルドの身支度を整えていく。しかも、シルビアに気づきもしないで。
朝食代わりの紅茶とスコーンに続き、洗顔、整髪……。
無視されているような居心地の悪さに耐えかねて、シルビアは「あの……」と声をかけてみるが聞こえないらしい。構わず侍従の手によってアーノルドのパジャマのボタンが外されていく。
(きゃぁぁ! 乙女の前で着替えるなんて……わわわっ)
初めて見る異性の裸に慌てふためいていると、おもむろにアーノルドの手が伸びてきた。シルビアをつまみ上げるその動作は、机上のペンを取るかのように機械的で、およそ人間に対するものではない。
そしてアーノルドが金縁の豪奢な姿見の前に立ち、学園の制服のジャケットを羽織ったとき、自分の姿が鏡に映し出されシルビアは目を見張った。
骨ばった指にはまる黒いオニキス。銀の石座の両側に、王家を象徴する蔓薔薇と名前の頭文字【A】を組み合わせたアーノルド個人の紋章が彫られている。それは、王子の証しだ。
つまり……。
シルビアは、アーノルドの指輪になっていたのだった。




