ビターバッドエンド
先輩の引退が近づく、秋。段々寒くなっていくにつれて、あの独特な文が読めなくなると思うと、少し寂しい。
「先輩、コンクールに出す作品って出来ました?」
「あ、ああうん。これだね、読む?」
いつもより少し動きが硬い感じがする件の先輩。コンクールが近くて緊張しているのか、それとも他の何かなのか。部活動以外での先輩を知らない私にとっては、想像もできない。いや、文芸部に所属するだけあって、色々と想像はできなくはないんだけど、それのどれもがあり得なかったり、下手をすると先輩を侮辱している感じが出かねなくてそれはしなかった。
「拝見させてください」
手に取った原稿用紙は、いつものより少し折れ目が目立った。
内容は、先輩特有の文体で描く青春群像劇とラブストーリーかな、多分。でもこの内容って――
最後まで読み終わって、愛し合った二人は結ばれてハッピーエンド。先輩がいつも書いているようなビターエンドとは違って、砂糖を入れすぎたお菓子みたいな、気色の悪いくらい甘い終わり方だった。憎し恨めしの関係だったクラスメイト達のことは障害としての舞台装置にしかなっていないし、いつもの三人称を一人称に無理矢理変えているせいか、私の好きな文体も毒を吐いているような気がする、あまりいい作品ではなかった。
「どう……だったかな。今回は頑張ってみたんだけど」
少し恥ずかしそうにしながら、先輩が髪を弄る。
頑張ってみた、なんて言うあたりからして、今回は読み手へのアプローチを大きく変える挑戦だったのだろうか。正直に言うのは酷な、プレゼントを待つ子供のような瞳を向ける先輩に、なんとか方向性の修正を図らせなければ。この作品は、とてもじゃないけど読みがたい。
「先輩特有のキャラの動きが、このジャンルをやるには厳しんじゃないでしょうか。あと、三人称はこのままでいいと思いますよ?ラブストーリって主人公たちの心情を基本にして書くのが当たり前ですけど、先輩の描き方ならわざわざ変える必要はないんじゃないかと。それはそれで面白いと思いますし」
眼差しに負けて、まるで『この作品は可能性の塊ですよ』なんて捉えられかねないことを言ってしまった。先輩が書くべきなのは、こういう話じゃないって、私以外が読んだところで分かりそうなものなのに。
「そっか。じゃあこの路線で一回書きなおしてみようかな」
返した原稿用紙を手にするや否や、メモ帳に色々書き込んでいく。
まあ、方向性を変えることが出来なくても、最期に残るのが先輩らしいものだったらいいかな。
「ねえ、美鈴さん。恋バナって、興味ある?」
さっきの会話から大体三十分たった頃。先輩は意図の読めない話題を出してきた。
なんか、よそよそしい。いや違うか、もじもじしてるっていうのが正しいのかな。
「興味はあんまり。藪から棒にどうしたんですか?」
先輩は大げさに手を振って、「他意はなくてね」と言った。ああ、作っているのが恋愛路線だったっけ。
「言っておきますけど、私あまり恋愛には詳しくないですよ。男子とはあんまり関わろうとは思いませんし、周りの女子からそういう話を聞くことも少なくて。私にできることは少ないですね」
「そっか、残念」
あまり残念そうには見えなかった。私がそういうのに詳しくないとは分かっていたのかな。
特に話すこともなかったので、執筆の方に戻る。
先輩に憧れている書き方を真似てみたけど、思いのほか形になってきている。あとは序破急の急の部分。先輩みたいな、読後に残る筆舌に尽くしがたい罪悪感を再現できるかが問題なんだよねぇ。
主人公が向き合う困難を、望みとは違う形で解決させるか、自分の選択のせいで誰かが犠牲になるのか、逆に自分の選択が誰にも理解されない形になるのか……はたまたもっといい展開があるのか、先輩じゃない私には分からない。
聞いてみればいいか。
「あの、先輩――」
「ねえ、美鈴さん。伝えたかったことがあるんだけど、いいかな?」
切羽詰まった時みたいな顔で、先輩の方から声を掛けてきた。私の書いているのに何か問題でもあったのか。お先にどうぞとジェスチャーをした先輩に、
「先輩からでいいですよ」
と言う。それが書き方に関するものだったなら、早い内に聞いておいた方がいい。
けれどそれは、求めていたものとはまるで違う、暴力的で、粗野で、場の雰囲気をまるで考えないものが来るとは、予想だに出来なかった。
「私と、その、付き合ってくれないかな?」
初恋の時点で、私は他の人とは違っているのだと、分かっていた。分かってしまっていた。
今はもう、名前さえ思い出せない芸能人。確かアイドルで、その踊るさまが見ててかっこいいと、綺麗だと思った。それだけなら、まだ普通の話だったのだけれど、それは、私の心臓を大きく震わせた。
誰にも優しい、その行動と眩しい笑顔。それを向けられる中で一番でありたいと、特別でありたいと、子供ながらにそう思った。
それが私の初恋だった。
小学生の終わりが、そろそろ近づいて来たというとき、私の好きな子は、足の速い、陸上クラブに通う女の子だった。
周りの女子が、好きな男子の候補を「足の速い子」から「顔がかっこいい子、背が高い子」に変わる中、私だけは昔の価値観を捨てきれずにいた。まあ、男子と女子と言う違いもあるし、彼女を好きになった理由が単に「足が速いから」だけで片付けられるとまた違う気もするから、それを例えに出すのは違うのかもしれないのだけれど。
学年が変わって、クラス替えでその子とバラバラのクラスになることを恐れた私は、三学期末、三月の初旬に、勇気を持ってその子に告白した。
結果は失敗。小学生に同性愛は難しく、異端な存在とされた。
時間が過ぎて、もう一年同じ学校にいればいじめが起こったのかもしれないが、幸運なことに、親の事情で引っ越しが決まった。
けれど失敗したという経験は頭から離れず、中学では、女子とは深く関われなかった。間違っても恋心なんて抱かないように、関わり方には気を配った。
誰からも嫌われることのない三年間で、楽しくもない三年間だった。
高校生になった。ジェンダーどうこうに理解を深めようなんて言い出されたおかげもあって、自分を殺してもう三年間を過ごす、なんて必要性がなくなったのは嬉しかった。最悪好意を持ってしまったとしても、腫れ物に触れるような扱いを受けるだけで、いじめには発展しないだろうと思ったから。
そう思ったのが、一年の終わり近くだったからかも知れない。
二年生になって、入って来た新入部員の子のことが、ひどく魅力的に見えた。
いや、見えたというのは違うか。彼女が持っていたのは、文学への情熱と、それを書く人間への憧れ、そして嘘が苦手な正直な子。まっすぐな彼女が、私の書く文章に「先輩の描く文章って素敵ですね」と言ってくれるのが、たまらなく嬉しかった。
それが、数日、数週間、数か月と続くにつれて、私の気持ちも明確になっていった。なってしまった、と言うべきか。
小学校の件以降、封印すべきだと思った感情。長い間抑えつけた反動か、それは制御が難しいほどに荒ぶれてしまう。早く自分の気持ちを伝えろと。私にこんなにも構ってくるのは好意を持っているからに違いないから、と。
何の根拠もなしに語り掛ける声を、私は否定できない。それを何より望んでいるのは自分自身であり、それが誰の声であるかは明白だったから。
だから今日、何も考えずに、無策に、私は告白をしてしまった。
「私と、その、付き合ってくれないかな?」
少しの沈黙。普通なら慌てたり、驚いたりするものなのだろうけど、私の頭はとても冷静でいてくれた。
最近の先輩の行動、それにさっきまでの発言と、出来の悪い作品が、あからさまな伏線の様に思えたからだと思う。作家の特徴を読み取るときによくやる、本を客観的に見るときの要領で状況を俯瞰できた。
先輩が、今まで書いたことのないラブストーリーを描いたのも。それが一人称で、学園を舞台にしているのも。――恋愛が、どう見ても女性同士のもので書かれていたのも。作品だけで、こんなにも伏線が張られている。これなら最初の時点で、この展開も読めたのかもしれない。
これから起きるエンディングも。
「無理です」
先輩の方向は見ない。顔を向けずに、手元のメモ帳へと動かす。そこに、今書いている作品の結末のアイディアを、今思いつくだけでも書いておく。
主人公にとっては、それを選ぶしかないと思えなかった行動。それが周りにとってあまりに身勝手で、無責任だと思われる行動だと知らずに。そして主人公は信じていた周りに裏切られ、その理由を知った主人公はどうするべきだったのかと後悔する。どちらの選択をしようと結末はさほど変わらなかったというのに。
「……どうしてか、教えて」
震える声で、先輩に訊かれる。その声が、怒りではなく恐怖から来るものだと、簡単に読み取れた。
「私が好きなのは、先輩じゃなくて、『先輩の描いた文章』ですから。最初に言ったように、恋愛に関して私にできることは、殆どありません」
メモと原稿用紙を鞄にしまって、部室を後にする。今日掴んだこの感覚さえあれば、先輩に頼って制作することはもう無い。
「お先、失礼します」
教室を後にする。
先輩には感謝してる。この作風は誰でもない貴女のものだし、私では作れなかったと、自分のことだからよくわかる。最後の一歩を後押ししたのは、貴女だった。だからこそもう、会うことはない。
私の作る作品で主人公が、周囲からは責められなかっただけで、読者は気付ける主人公の嫌な点がある。
それは、逃げ道を事前に用意していたこと。主人公が後悔したのは、逃げてからの話。
先輩は、この話を引退直前まで引っ張っていたように。




