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幻影文庫  作者: ささがき
3/3

届かなかった手紙

 キシキシ、ぱきん、と硬いものがぶつかり、壊れる音がする。

 薄氷を踏み抜くような、ガラスが砕け散るような。

「ここは…」

 小さな海岸だった。

 夜明け前の光に、空がほんのりピンクに染まっている。

 波打ち際に目を落とすと、何かがたくさん打ち寄せられている。流氷だろうか。海に向かって足を踏み出すと、足元でもカシャン、と音がした。足の裏でぱきぱきと崩れる音。

 見ると、透明で薄く、四角いなにかが砕け散っていた。

 その脆さはどこか理科の実験で見たカバーガラスのようだ。

 でもガラスのような鋭利さはなく、砂糖菓子のように足元でぽろぽろと崩れていく。

 無数に落ちている紙のような薄さの、たくさんの透明なガラス。

 ひとつ拾ってみると、本当に紙の代わりなのか何か文字が書いてあるのが見える。異国の文字だ。

 別の一つはもっと小さい。

 手のひらサイズでワープロの文字や記号に似たものが並んでいる。

「手紙かしら?」

「届かなかった手紙が流れ着くんだそうですよ」

 驚いて振り向くと、逆光の中に誰かが立っているのが見えた。

 手のひらからガラスの手紙がすべり落ち、地面につくとシャリン、と音を立てて飛び散った。

 鋭利なかけらの代わりに光を散らして消えていく。

 声の主は男性のようだ。年齢はよくわからない。

「何かお探しですか」

「いえ、べつに…」

 そもそもなぜ自分がここにいるのかよくわからなかった。

 海岸に目を戻すと、ちらほらと波打ち際を歩く人の姿が見える。ガラスでできた"手紙"を探しているのだろうか、皆海に目を落としているようだ。

「でもそうね、届かなかった手紙を知っているわ」

 過去に思いを馳せて、ふと呟く。

「…わたしはしんでしまったのかしら」

「どうして?」

 問われて苦い笑いが浮かぶ。

「とても悪いことをしたの」

「ここには良いも悪いもありませんよ」

 と穏やかに彼は言った。

「届かなかったことが、その後に必ずしも良い結果をもたらすとは限らないでしょう?人生は長いのですから。…結果は誰にもわかりません」

「そうね……ただ、悪いことはするものじゃないわね。ずっと苦しいもの」

 たまたま目にした同僚宛ての手紙。日々交わされるたわいもないやり取り。

 ちょとした嫉妬心から隠してしまったことがある。

 一度抜けたからと言って、どうという変化もないはずだった。

 だが、しばらくして手紙の主と同僚は疎遠になったと聞いた。

 あの時、あの手紙が届いていたら…そんなことをずっと考えていた。だからこんな場所に迷い込んだのだろうか。

「探そうかな」

 あの手紙は、いつの間にか失くしてしまっていた。

 ここに流れ着いているのかもしれない。

 広い海岸に落ちたガラスの手紙を一枚一枚覗き込む。

「割れてしまったものはどうなるのかしら」

「誰の記憶にも残っていないものは脆くなって消えていくそうです」

 男性も何かを探しながらついてきた。なぜここに詳しいのだろうか。

「誰に聞いたの?」

「先にたどり着いた他の方から」

「ふうん…」

 手紙は様々な形をしていた。

 色とりどりの用紙にインクのにじむもの、タイプライター、ワープロ、ボールペンや筆ペン、。

 小さな絵がたくさん混じったものやキャラクターがセリフをしゃべっているもの。

「この小さな絵は何かしら」

「絵文字ですね」

「ワープロの文字って今こんなにカラフルなの?」

「携帯電話の文字ですよ」

「電話で文字…?」

 彼は説明に困った顔をした。日本語を話しているが、違う国の人なのだろうか。

「…あ、あった!」

 広い海岸を埋め尽くすたくさんのガラスの手紙の中で、小さな紙片がなぜか目を引いた。

 折り畳まれた、学生がやり取りするような本当に小さなもの。

 まだガラスになりきっていないその手紙は、軽い音を立てながらも壊れることなく開くことができた。

「…待ち合わせの連絡だったのね」

 少し離れた町の駅と、時刻が書かれている。

「ごめんなさい…」

 思わず握りしめた手紙が、手の中で震えた。

 その振動は大きくなり、やがて手に収まらなくなった。

 手紙は白い鳥に変わっていた。

 驚いていると、彼が手元をのぞき込んで言う。

「元の場所に帰りたがってる」

「手紙が?」

「みんな本当は帰りたいんですよ。そのために書かれたのですから」

「でも帰るって言っても…どこに…」

 考えている間に、手元の鳥は羽を震わせた。

 もう飛び立とうとしている。

「あっ、待って!!」

 羽ばたいた鳥に、手を伸ばす。

 その瞬間、ものすごい力で引っ張られた。

 足が浮き、海岸がみるみる眼下に離れていく。

 見上げる男性が、手を振ったのが見えた。


「行っちゃったな…」

 あの手紙とともに、帰っていったのだろうか。

 彼女を見かけたのはずいぶんと久しぶりだった。

 彼は懐から自分の手紙を取り出す。

 ケータイもスマホもない時代の、いつもの時間にいつもの場所で見かける彼女。

 何度も渡そうと思って、勇気が出なかった手紙。

 ずっとあとのことだけれど、若くして亡くなったと聞いた。

 あれからいろいろなことがあって、結局ひとりでずっと生きてきたけれど。

「……僕も、届けに行こうか」

 手の中で、手紙が熱を持ち始めた。


「…あ、意識飛んでた……」

 目が覚めると自分のデスクだった。

 積まれた書類の間に鎮座するワープロ、右隣の先輩のデスクには大量のたばこの吸い殻が詰まった灰皿。見慣れた景色だ。

「うわ、やっちゃった…」

 書きかけの書類の上に、赤ペンのミミズがのたくっていた。

「修正液、修正液……ちょっと借りるね」

 左隣の同僚の引き出しを開ける。

 すると、手前に折りたたまれた手紙が入っているのが見えた。

 いつも立ち話をしに訪れる営業部の男性が、同僚の不在時に置いていくものだ。

(大事なものなんだろうな)

 手紙には触れずに、引き出しの奥から文房具を収めたトレーを引き出す。

 その瞬間、奥の部長のデスクで電話が鳴った。

「はい、通信事業部……ああ、なんだ」

 声のトーンから余所行きの雰囲気がすぐに消える。

「そうか、直帰していいぞ。おつかれさん」

 しばらく話したあと、部長が電話を切った。

 ホワイトボードに掲出してある社員の予定表の「外出中」のマグネットが外される。

 直帰になったのは、左隣の同僚だ。つまり、ここには戻らない。

 思わず引き出しを見下ろした。

「…これ、大事な連絡なんじゃ?」

 外出先の同僚に連絡を取る手段はない。

(ごめんね)

 心の中で謝罪し、手紙を開く。

 そこには思った通り、待ち合わせの時間と場所が記されていた。

 時間だけということは今日の約束なのだろう。

 手紙の主は、直帰した同僚に気づかず、待ちぼうけをするのだ。

「部長!」

 残業を切り上げるべく、上司のデスクに交渉に向かった。


「はあー、怒られなくてよかったあ」

 営業部の社員が電車に乗り込むのを見送って、ベンチに座り込む。

 勝手に手紙を見たことは咎められなかった。

「助かったよ。それにしてもよくわかったな?」と言われてあいまいに笑うしかなかった。

 勘としか言いようがない。

 脱力していると、階段からどっと人が流れ込んでくる。

 のりつぎのバスか電車が到着したのだろう。

 何とはなしに眺めていると、そのうちの一人がベンチに近づいてきた。

 私服の若い男性だ。大学生くらいだろうか。

 知り合いではないが、時々通勤の時間帯に見かける顔だ。

 彼はつかつかと歩いてくると、自分の前で立ち止まった。

「…あの!」

 緊張した面持ちで声をかけられて、びっくりする。

「これ、読んでもらえませんか!」

 差し出されたのは、手紙だった。

 いつ書いたものなのか、ずっと持ち歩いていたようでくしゃくしゃになっている。

 見知らぬ男性からの申し出に、警戒するが、ふとその声に聞き覚えがある気がして首をかしげる。見かけたことがあるだけで、話すのは初めてなはずなのに。

「……あなた、どこかで会ったことある?」

「えっ!?話すのは初めてですが、いつも見かけてて……あ、あやしいものじゃないんですけど!」

慌てて手をパタパタと振る仕草はちょっと幼くて可愛らしい。警戒心が緩んでいく。彼は首をかしげた。

「あれ?でもそうですね、どこかでお会いした気がしますね……なんでだろう?」

記憶をたどるが、二人ともこれという心当たりがない。

「不思議ですねえ」

「うーん……まあいいか。じゃあ、気のせい同士の知り合いのよしみで、お手紙は読ませてもらおうかな」

 そう言って笑うと、彼はぱっと顔を輝かせる。

「ありがとうございますっ!」

 手渡された手紙は、受け取った手の中でほんのり熱を持っているようだった。

分かりづらいと思うので少し補足情報を。


主人公(女性):昭和の時代の通信教育を行う出版社の社員。ばりばりに働き、残業している。

左隣の同僚(女性)と仲がいい。どちらに嫉妬したのかはわからないが、営業部社員(男性)から同僚に宛てられた手紙を盗んだ過去がある。

仕事一筋の末に若くして事故で亡くなった。

手紙の海岸から過去へ飛び、本来なかった大学院生からの告白を受けてその後交際。

それをきっかけに転職したことで死亡事故を回避した。


海岸の男性=駅の大学院生:昭和の時代に大学院生で、駅で見かける社会人女性に片思いをしていた。

その後、手紙を渡せないまま就職で町を離れる。

実家がややこしい家だったため振り回され、そのせいもあってかずっと独身だった。

令和の時代まで生きたため、ケータイやスマホなどの現代知識がある。

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