引退のニュースと家族の食卓
転生してから、恭二という生活にもようやく慣れてきた。
日々の中で、この男の人となりも少しずつ分かってくる。
妻のまどかは看護師。年齢は40代前半。
仕事は公務員で、当時としては珍しく男性育休を取った。その間、子育てと家事をすべて恭二が担った。
やがて家事と子育ての楽しさに気づいたこと、そしてまどかが看護師としてのキャリアを捨てたくないという想いを受け、思い切って公務員の仕事を辞めた──それが今の生活の始まりだった。
もっとも、恭二はいまだに慣れない家事に悪戦苦闘している。
そんな彼は先日、美容院へ行き、髪をピンク色に染めた。
美容師に職業を聞かれると、
「仕事ってなんすかね?家事と育児はやってますけど…専業主婦の男バージョン?」
そう媚びずに堂々と答えた。
周囲を気にしないその姿は、時に人を困惑させる。
帰宅後、まどかに問われた。
「どうしたのそれ?なんで染めたの?」
「え?なんでって、したいからだよ。かっこいいだろ!」
最初は呆れていたまどかも、ふっと笑い、
「それもそうね。ピンク色の髪だろうとなんだろうと、あなたはあなただし。白髪も目立ってたものね」
その言葉を聞いたとき、恭二は転生前の自分が、まどかという女性を結婚相手に選んだ理由を悟った気がした。
その日の夕食は生姜焼き。
家族で食卓を囲んでいると、まどかが突然言い出した。
「ねぇ、ミズニーシー行こう」
「は?」と箸を止める恭二。
「もう蓮も5歳でしょ。小さいうちは大変だからって行けなかったじゃない」
ミズニーシーか……前世のSIGEの時は、行けばパニックになるから行けなかった。
今はただの恭二。誰も振り向かない。
「おお、そうだな。行くか」
その返事に、まどかと蓮が同時に喜びの声を上げる。
「やったー!ミズニーシーいけるよ」
「ルッキーいるかな?」
そのとき、テレビから流れたニュースが空気を変えた。
『沖縄出身のカリスマ女性シンガー、よし原千鶴が、来年5月をもって引退することを発表しました。子供が生まれ、歌手生活に一区切りをつけ、次のステージとして私生活を充実させたいと、週刊誌の取材で語っています』
「えっ、引退しちゃうの!?」
まどかが目を丸くする。
「私、高校のときいつも千鶴ちゃんの真似して、ミニスカート履いてカラオケで踊ってたのに…」
一方の恭二も、SIGEとしての記憶が甦っていた。
(嘘だろ……厚底ブーツにぴっちりスカートで踊ってたあの時、“踊りにくくないのかそれ”って聞いたら、『別に。これが私のスタイルなの』って笑った顔……忘れられねぇ)
あの才能なら、まだ何曲も出せるはずなのに──。
二人はそれぞれの想いで、同じニュースを見つめていた。
その時はまだ、この女性が、家族を大きく揺らす存在になるとは、誰も思っていなかった。