小学生編・第1話「交通事故と目覚め」
自分の過去の選択に後悔があったので書いてみました。
午前一時を過ぎたオフィス街は、まるでゴーストタウンのように静まり返っていた。
自販機の前で缶コーヒーを片手に立つ男がひとり。内田しゅん、三十七歳。小さなメーカーの営業課長だ。
定時で帰れることは滅多にない。毎日終電ギリギリ、休日も接待や資料作りに追われ、気づけば白髪が増え、体も重くなっていた。
「……はぁ」
しゅんは深くため息をつき、スマホの通知に目を落とした。誰からの連絡もない。家庭も、恋人も、友人すらも、いまの彼にはいなかった。
学生のころは、夢があった。お金持ちになりたい。親孝行したい。平凡なんて絶対いやだ。そう思っていたのに——。
交差点の青信号が点滅しはじめた。
駆け足で渡ろうとしたその時だった。
キイィィィィ——ッ!!
耳をつんざくブレーキ音とともに、眩しいライトが迫る。咄嗟に振り向いた瞬間、強烈な衝撃が体を襲った。
全身が宙を舞い、世界がスローモーションになる。
(あぁ、終わったな)
視界の端に、血のように赤いテールランプが滲んだ。
意識が闇に飲まれていくなか、しゅんはかすかに思った。
——もう一度やり直せたら、俺は……。
◇ ◇ ◇
——チュンチュン、と小鳥の声が聞こえる。
(……?)
まぶたを開けると、薄い布団と畳の匂いが鼻をついた。
見慣れない天井。茶色い木目の板張りと、ポロポロ剥がれかけた壁紙。
(……え?)
がばっと身を起こした。体が軽い。いや、軽すぎる。
——その瞬間、ドキリとした。
「ちょっと、しゅん! 早く起きなさい! 遅刻するわよ!」
懐かしすぎる声が、廊下の向こうから聞こえた。耳が覚えている、母の声だ。
しゅんは恐る恐る、畳の上の古びた姿見を覗き込む。
そこに映っていたのは、頬の丸い少年。……見間違いようもない。七歳の自分だった。
「は、は……?」
自分の手のひらも小さい。足も短い。声も幼い。
夢だろうか。こんなに鮮明な夢があるのか。
頬をつねった。痛い。布団をつねった。手触りが確かにある。
「しゅーん! ごはん冷めるわよ!」
母の声が、もう一度響く。
急いで居間に駆け込むと、ちゃぶ台の上に味噌汁、焼き魚、卵焼きが並んでいた。
「あんた、寝坊なんて珍しいじゃないの。はい、座って座って」
母が笑いながらお茶を差し出してくれる。
その顔を見た瞬間、胸の奥がグッと締め付けられた。
——母は、十年前に亡くなったはずだ。
「……母さん」
「なぁに? ぼーっとして」
「……ありがとう」
思わずそう呟くと、母は不思議そうに笑った。
箸を取って味噌汁を一口啜った。
ああ、この味だ。この香り、この温もり。
十年以上、忘れていたけど、確かに覚えていた。
涙が頬を伝った。
(これ……夢じゃない。夢であるはずがない。俺は本当に……過去に戻ってきたんだ)
◇ ◇ ◇
学校に向かう道すがら、しゅんは考え続けた。
(なぜこんなことが起きた? 目的は? もしやり直せるなら……今度こそ後悔しない人生にする)
そう決意した瞬間だった。
【〇:元気に挨拶する】
【×:黙って教室に入る】
唐突に、目の前に青い文字が浮かび上がった。
「……っ、なんだこれ」
思わず立ち止まる。文字は宙に浮いていて、他の子供たちは誰も気づいていない様子だ。
(選べ……ってことか?)
恐る恐る、【〇】を選ぶイメージをした。
すると、胸のあたりが軽くなり、頭の中に「正解」という声が響いた。
(……本当に正解?)
少し不安だったが、試しに教室のドアを開けて、大きな声で「おはよう!」と挨拶してみる。
「おー、内田、今日も元気だな!」
クラスメイトが笑顔で手を振った。みんなの目が、なぜか嬉しそうに見える。
(……なるほど。俺には、これから人生の正解が見える力があるんだ)
握りこぶしを作る。
(これは神様がくれたチャンスだ。絶対に失敗しない。絶対に、最高の人生をつかむ)
内田しゅん、七歳。
彼のやり直しの物語が、いま始まった。