衝撃を受けたオリヴィアとヒロインマリアの邂逅②
「俺の母さんは昔働いていたフレイム家の侍女だったらしいんです。で、今の当主のグフタス様との間に俺ができて。でも母さんは迷惑をかけたくなくてそのことを言わず侍女を辞めて、俺を生みました。その後、俺が物心つく前に病気で死んじゃって、近所の人が俺を孤児院に入れてくれたそうです」
早くに親を亡くして、苦労も多かっただろう。彼の境遇に思わず胸が痛んだけど、そんな私をマリアは軽く笑い飛ばす。
「孤児院っていっても、そこってフレイム家がたくさん寄付していたところだったんでそれなりに普通の暮らしができたんですよ。それにたくさん子供もいたから寂しくもなかったですし。毎日面白おかしく暮らしてましたよ。でもなんせ人数がすごかったんで、そのうち孤児院の子どもたちをまとめる役になってたんですよね」
ご飯をまともに食べる時間が取れないほど目が回る忙しさだったと言っている彼の口調は、大変だったはずなのにどこか楽しそうで、そしてそれが無くなってしまって少し寂しいという感情が覗いていた。
「で、俺も最年長になって、そこを出て働かなきゃなって時に、たまたまグフタス様が孤児院に視察に来たんです。そしたら急にこっちに駆け寄ってきて、お前の母親は誰かって問い詰められて。母さんの名前を言ったら、母さんがいなくなった時期と名前と、何より母さんと同じ髪色と、グフタス様が昔母さんに送ったペンダントを俺が形見として持っていたっていうので、俺がグフタス様の血を引く子供だって認められて、すぐにフレイム家に引き取られました」
やっぱり、性別が違っても、ゲームと同じ境遇のようだ。
「言ってみれば俺は、浮気相手の子どもってことになるんですけど、それでもフレイム家の人たちは、生まれた俺には罪はないからって一切俺を責め立てることなく、優しく受け入れてくれました」
ちなみに元凶のグフタス様は、浮気の罪と、子供が生まれたことさえ知らず孤児院に入れさせてしまったことに関して奥方にコテンパンに怒られたらしい。
「そういえばあなた、初め女の子だと思われていたって聞いたけど、本当なの?」
この質問に、マリアは苦笑しながら頷いた。
「イザベル様やフィン兄、アレク兄さんたちが、はじめて女の子の家族ができたってあんまりにも嬉しそうにしてたからつい言いそびれちゃいました」
イザベル様はグフタス様の奥方で、フィン兄はあの家の嫡男のフィンリー、アレク兄は次男のアレクサー様の事だろう。愛称で呼んでいるところを見ると、仲の良さが伺える。
マリアはこれまでも誰かに着替え等をやってもらうという経験がなかったことから、着替えも湯浴みも一人でさせてほしいとお願いしたようで、マリア自身が申告するまで誰も気付かなかったらしい。
受け入れてくれた家族を悲しませまいと数日はドレス姿だったが、さすがにいつまでも引き延ばせないと真実を伝えた時、それはそれは悲しそうにされたとか。
「それでもみんな、嘘をついていた俺を許してくれました。だから俺は、優しいあの人たちの為に、子爵家に恥じないよう猛勉強して、何とか今年の入学に間に合ったんです。まあ、勉強面はそれなりにできましたけど、貴族名鑑の名前を全部覚えたり、基本的なマナーとか、そういったのはまだまだ怪しいんですけどね」
「それでもすごいことだと思うわ。私たち貴族が何年もかかって習得したことを、たったの一年でものにしたんだもの」
であれば、彼が多少不敬な行いをしても、大目に見ようかと思ってしまう。
まして彼は将来子爵家を継ぐわけではないし、後一年もすれば十分及第点に届くに違いない。
「それにしても、貴族名鑑ね……。実は私も苦労したのよ。しかも顔と名前だけではなくて、派閥や血の繋がりがどこまであるか、とか、とにかく幅広く覚えないといけなかったもの」
貴族が平民より数は少ないとはいえ、爵位持ちの家はこの国で軽く二百を超える。正直一番大変だったことの一つで、けれど間違えればそれこそ大変なことになるので、必死に頭に叩き込んだ。
一時期寝言で貴族の名前を延々と垂れ流していたらしいから、相当に参っていたんだと思う。
と、ここであることを思い付く。
「そうだ、じゃああなたに一体どこまで覚えているか質問してみようかしら。例えばこの学園の生徒会長様、とか」
一番近付けたくないラインハルトのことを引き合いに出すのは一瞬悩んだけど、彼がどこまでラインハルトに興味を持っているか、そして前世の記憶持ちで彼を攻略する気があるのか探るいい機会だ。
「彼は貴族だから、というより、この国の民ならば知っていなければいけないことだけど、どう?」
「勿論です!」
そして得意げにラインハルトについて語るマリアの口ぶりは堂々としていて、情報も正確だったけど、特に個人的な興味を抱いている節はない。
私は続けてレイリーとダリアンについても尋ね、現時点ではゲームに登場していない隣国の王子についての問題も加えてみるが、そちらも問題なかった。
そして私は最後に自分自身を引き合いに出す。だってゲームで一番違っているのが私の存在だから。
「じゃあ最後に。この私についてはどうかしら」
けれどやはり言い淀むことなく、正確な情報がマリアの口から紡がれる。それに動揺している素振りもない。
彼の様子から察するに、ヒロイン力が発揮されてシナリオが進むという可能性も、わずかだがまだ残っているものの、少なくともマリアがゲームの知識を有していて、それを使って自発的に皆を攻略することはなさそうだ。
そう考えたら少し気持ちが軽くなり、私は冗談めかして彼の言った私の情報について言葉を付け加える。
「あとはそうね。二人もの婚約者に捨てられて、今は三人目を探しているところっていうのも付け加えたら完璧かしら。とは言っても、裏で氷姫って呼ばれるような私には、なかなかいい相手が決まらないんだけどね。私といたら、みんな心が凍るらしいから。あなたも気をつけないとね」
勿論婚約が解消になった時はショックだったけど、むしろ彼らの本性に気付かず結婚せずに済んでほっとしている。
私としては笑い話のつもりだった。
けれどその瞬間、彼は明らかに怒ったような、でもどこか悲しそうな顔になってこちらへ近付くと、真剣な瞳で見つめ、先ほどの私の言葉を否定するように首を大きく横に振り、言った。
「俺、フォルダン様の事、まだよく知っているわけじゃないですけど、でも断言できます。あなたは優しい人です。じゃなかったらこんなにクロが懐くわけないじゃないですか。それに俺だって、あなたのこと、一部の人が言っているような冷たい人だなんて思いません。あんなの、あなたを傷付けた元婚約者の二人が、フォルダン様が悪いって思わせるためにこじつけで言ったようなものです! フォルダン様は悪くありません、絶対に。だから、元気出してください!」
「……おかしなことを言うわね。私は元気よ」
けれどマリアは、心配そうに私の顔を見つめる。
「その、俺の勘違いならいいんですけど、なんだかフォルダン様が泣きそうな顔になっている気がして」
「……」
私は婚約者だった彼らを愛していなかった。けれど彼らもまた、私を愛していたわけじゃない。
貴族同士の結婚なんてそんなもので、仲睦まじい方が珍しい。
けれど中には政略結婚でありながら、レティシアとラインハルトのように相思相愛で幸せそうな人たちもいる。私の両親だって、とても仲が良い。
それがとても羨ましかった。
だから私も彼らのような関係を築きたくて、 相手を知って愛そうと、そして私を知って愛してほしいと歩み寄ろうとして、けれどその行動は否定され、挙句冷たい女だと言われ捨てられた。
もう気持ちの昇華はできていたつもりだったのに、自分で思っていた以上に傷が深く、癒えていなかったことにショックを受ける。
私が何も言えずにいるのを勘違いしたのか、マリアが慌てたようにポケットから何かを探すと、私に差し出した。
「あ、あの、フォルダン様が泣いてるのって俺のせい……ですよね? すみません! なんか余計なことを言ってしまって。これ、よかったら使ってください!」
彼が手にしているのはハンカチだった。
「大丈夫よ、泣いていないから。気持ちだけもらっておくわね」
そう言って微笑んだら、マリアは安堵したように息を漏らす。
そして、今度は一変してキラキラした顔になると、あの雲一つない青空色の瞳を私に向けた。
「フォルダン様なら、きっと良い人がみつかります!……って、俺に言われても嬉しくないかもしれないですけど」
彼の言葉は素直に嬉しかった。けれど同時に私の胸をチクリと刺す。
それは私がフォルダン家の娘で、次の公爵家を背負う人間だからなだけ。
レティシア達のような関係性を築ける相手を見つけるなんて、私には無理な話なのだ。
けれど悲しい顔をしたらまたマリアに気を遣わせてしまう。
だから私は気持ちをすぐに切り替えて、敢えて明るく返した。
「いいえ。そう言ってもらえたらとても嬉しいわ。ありがとう」
しかし私は失念していた。彼はやはりヒロインだということを。
マリアの台詞はそれで終わりではなかった。
「それに俺、氷って好きなんです。だって氷って光に当たると、透明でキラキラ輝いていて、すごい綺麗じゃないですか。それってまるでフォルダン様みたいだなって、実はずっと思っていたんです」
「っ!」
無邪気な少年のように、顔をくしゃくしゃにして笑ってそう言われた私の顔は、予想外に言葉につい反応してしまう。
こんな時、フォルダン家のオリヴィアとしてどういった対応が正しいのか。きっと当たり障りなく、ありがとう、と返せばいいのだろう。
さっきまで暗い気持ちに支配されていたはずなのに……彼といると調子が狂う。
どうしよう、何か言葉を返さないとと思っていると、タイミングよくクロが目を覚ます。
「クロ! 俺のこと覚えてる?」
おかげでこの話はうやむやのうちに終わり、私は内心ほっと胸を撫で下ろした。