警戒するオリヴィアとヒロイン(?)の初対面①
レバノ大陸歴九百九十三年。キルギルド国の首都にある学園が、ゲームの舞台だった。
貴族令嬢・子息はもちろんのこと、富裕層の子供たち、更には一般市民の生まれであっても、学や才能があれば通うことができ、他にも他国からの留学生も多数受け入れていたため、生徒数はかなりのものだった。
学園は三年制であり、内容は身につけておかねばならない勉学が中心である。
他にも、上流階級で生きていくための処世術でもあるダンスや馬術に話術にマナー講座、騎士志望の者には肉体を鍛錬する修行、商人を希望する者には商売のイロハを叩きこむ授業が、その他に刺繍や編み物などを教えてくれる授業まである。
共通授業の他に各々が興味のある授業を選択する形をとっていて、前の世界での大学のような感じだ。
ゲーム期間は一年で、好感度をマックスに上げた攻略対象者にエスコートされて卒業パーティーに参加し、エンディングを迎えることになっている。
今日はレティシア達新一年生の入学式。
と同時に、ゲームの物語がスタートする場面である。
式は既に終盤に向かっており、新入生たちは神妙な面持ちで、学園長から述べられる長々とした祝辞の言葉に耳を傾けている。
そのすぐ後ろには新入生の家族が座っているが、在校生は一部を除いてこの場にはいない。
そしてその例外が私である。
私は親族席ではなくそれよりもさらに後方の生徒会の面々が座る一角にいた。
私は今年、副会長の座に就任していた。ゲームでオリヴァーが生徒会にいたことは知っていたけど、まさかそんな役職についてたとは知らなかった。
けれどそれ以外はゲームと同じで、攻略対象である、私と同じく三年生で王国一の精鋭部隊、紅蓮騎士団長の息子のダリアン・ヒリスや、二年生で我が国の第二王子のレイリー殿下も同じく生徒会の一員だ。
私達がこの場にいるのは、式が終わって親族たちが退散した後、学園の模範生として登壇し、彼らにこの学園の基本的な規律や紹介をするためだ。
私は今日の入学式を楽しみに思う反面、緊張もしていた。
楽しみな理由は、レティシアが入学前の試験でトップの成績を獲得して、新入生挨拶の座を勝ち取ったため。勿論ゲームではありえなかった展開だ。
実際、凛々しい顔つきで挨拶を読み上げるレティシアはとても立派だったし、姉として誇らしかった。親族席でぐすりと鼻をすする音が聞こえたが、十中八九母に違いない。成績の結果を聞いたときは泣いて喜んでいたから。
緊張しているのは、ヒロインも今日からこの学園に通うため。
ヒロインの登場シーンは、生徒会の面々が登壇し、新たに会長に就任したラインハルトが新入生に向け挨拶の言葉をかけるまさにその瞬間。
「すみません、寝坊しましたーっ!!!」と叫びながら扉をばたんとけたたましく開けるところから物語が始まる。
格式ある学園で寝癖が残る頭で走って会場内に入っていくヒロインの姿は、多くの貴族籍の人間が眉をしかめる反面、その者たちの視線をものともせずしれっと席につく豪胆さに、物珍しさもあって興味をそそられる生徒もまた一定数いた。
ついでに言えば彼女の容姿も目を引く要因だっただろう。
ふわふわした、物珍しいピンクの髪色に、快晴の空を思わせる明るい水色の瞳。小動物のような可愛らしさと愛嬌を兼ね備えた美少女で、しかも小柄だがスタイルは抜群。
特に紳士淑女たれと教わってきた貴族たちにとっては、彼女はあまり見たことも接したこともない種類の少女だったのだ。
そのうえゲーム上での彼女の性格も良く、誰とも垣根を作らない親しみやすさから、男子生徒だけでなく、彼女を好ましく思っていなかった女子生徒ですらも毒気を抜かれていつのまにか仲良くなってしまう。
だからこそ、悪役令嬢然としたレティシアよりも、マリアを選ぶよなぁとゲームをしながら率直に思っていた。
そんな人たらしヒロインと遂にまみえるのだ。
緊張するなというほうが無理な話だ。
しかもゲームと同じく、現在この場にマリアの姿はない。
マリアの登場にもしも、万が一にも、ラインハルトの心が動いたらどうしようと考えてしまうのは仕方がないことなのだ。
が。
「オリヴィア見たか、あのレティシアの登壇を。美しい小鳥の囀りのような声で朗々と新入生代表として意気込みを読み上げているとき、私は天使が……いや、美の女神が遂に地上に舞い降りたかと思って眩暈がしたほどだ。だがここで倒れるわけにはいかない、最後までレティシアの入学式の様子を見届けて、余すことなく記憶に刻み込まねばならない。この為に私は三日三晩寝ずに入念に入学式の打ち合わせを行ったのだからな。座って学園長の話に真剣に耳を傾けるレティシア、レッドカーペットの上を歩いて登壇するレティシア、スポットライトを浴びて喋るレティシア……結果、今私の座っている場所が、最も全てのレティシアを目に焼き付けるのに最良だと判断されたが、それは間違っていなかった」
満足げに頷きながら私の隣でそんなことをのたまっているのは、現生徒会長であり、黙っていれば泣く子も黙る完璧イケメン王子、ラインハルトである。
ゲームでは極めてまともな性格の正統派イケメン王子キャラだったはずなのだが、もはや見た目以外にその面影はない。
おかしい。ヒロインが彼に溺愛されるシーンはあったが、こんな気持ちの悪い愛し方ではなかったはずだ。
しかし彼の気持ちの悪い発言は、私にしか届かない声量なので、レティシアへの溺愛っぷりを知らない新入生たちの夢を壊すことはない。
まあ、それも同じ学園でひと月も過ごせば嫌でも彼の残念ぶりを目の当たりにするだろうけど。
レティシア不在の間にラインハルトとお近づきになろうとしたご令嬢たちに、いかに己の婚約者が素晴らしいか、どんなところを愛しているのかを延々と述べて、諦めてその場を去ろうとする彼女たちを強引に引き止め──具体的には王家の人間に逆らったらどうなるか分かってるよな的なことを暗に匂わせていた──見事撃退した話はあまりにも有名だ。
彼が婚約者を溺愛しているのは周知の事実なので、今更この発言が聞こえたところでいつものことかと流されるだけだろうが。
しかも徹夜続きとならばもっとひどい顔になっていてもおかしくはないのだが、そのご尊顔はいつもと変わらない……どころか、遂にレティシアと同じ学園に通えるという喜びのお陰だろうか、いつもよりも肌艶がよろしい。
彼のレティシアに対する愛情が年々重みを増しているのは、気のせいじゃない。
私はため息を小さくつくと、彼と同じく小声で言った。
「レティシアのことをそこまで想っていただけるとは、公爵家としては嬉しい限りです。が、友人として言わせてもらうと気合いの入り方が気持ち悪いですし、義姉として言うならこんなのが義弟になるなんてちょっと嫌ですし、臣下として進言させていただくならばその労力をもっと他のことに費やしていただきたいです」
「無論私のレティシアの学園生活が快適なものになるよう、生徒会長としてあらゆる努力を惜しまないと宣言しようではないか。まずはさっきからちらちらと不埒な視線を送っている、レティシアの右斜め後ろに座っている男子生徒を見せしめとしてこの後吊るし上げることにしよう。あの男は……確かダイナム家の嫡子だな。ふむ、二度と彼女の姿を見られないようにまずは目を潰し」
「そんなことをしたらレティシアに嫌われますよ」
力でねじ伏せることしか考えられない嫉妬深い妹の婚約者は、その言葉にピタリと物騒な口を閉じる。
富と権力を有し、国の頂点に立つべくして生まれた次期国王。頭脳は明晰、国民や臣下からの信頼も厚い──そんな彼の唯一の欠点がレティシアである。
レティシアのこととなるとすぐにタガが外れて暴走する。しかし、彼女がやめてと言えばすぐに止まる。彼女の嫌がることは決してしない。
「我が妹をつい目で追ってしまうのは仕方がないことです。それは殿下が一番よくご存知のはずですよね。それに、殿下のレティシアへの溺愛ぶりを一度でも目にしたら、あの子に粉をかけるような真似をする愚か者はいないでしょうから、今回は多めに見て差し上げては?」
その言葉に溜飲が下ったのか、不満げな表情を若干残しながらも彼は無言で愛しのレティシアを観察する業務に戻った。
ラインハルトがこのような調子なので、おかげですっかり私の緊張感も薄れてしまった。こうなったら出たとこ勝負だ。今は彼の重すぎる愛の深さに賭けるしかない。
そう決意しながら、私は運命の時を静かに待つ。
そして遂にその時が来た。
司会が私たちを呼ぶ声に、生徒会の面々は一斉に立ち上がり、ラインハルトを先頭に舞台の中心へと歩みを進める。
その途端、新入生たちから黄色い歓声と羨望の眼差しを受ける。
メンバーはラインハルトを筆頭とした見目麗しい者達や、優秀だと噂される人物ばかりなのだ。
その中には私のことを話題に挙げている声も聞こえてくる。
おそらく学園の最終学年にもかかわらず、私にいまだに婚約者がいないことが原因だろう。
二人に捨てられた傷が残っていないと言えば嘘になるけど、まだ新しい婚約者探しに踏み切れていない一番の理由は、やっぱりマリアの存在が大きい。
彼女が私たちの破滅の未来への引き金にならないと断言できないし、もしもラインハルトがマリアと接触した時にヒロインに傾倒してしまったら、結婚どころか公爵家がなくなる。
そうならない未来を手に入れられると確信できて、はじめて私は自分のことを考える余裕ができる。
私の裏事情はともかく、傷が癒えていないから婚約者をまだ作っていないという表向きの理由を知るラインハルトは、新入生に向けたキラキラ王子様スマイルを崩さないままに──実のところその微笑みはある一人の令嬢に向けられたものだが──小さく唇を動かした。
「で、この中に君の愛しい人は見つかりそうか?」
「見つかればいいですが。なにせ私は心を凍らせる『氷姫』らしいので」
「そんなのはあの馬鹿共が口にした戯言に過ぎん。気にするな。きっと君が幸せになれる相手が見つかるさ。だが何にせよ、早く選ばねばいけないな。条件の良い人間はすぐに婚約者が決まる。いざとなったら私がレイリーを推挙してやろう。浮気はしないだろうし、身内のひいき目から見てもあれは良い男だ」
「それはさすがに我が公爵家の力が強くなりすぎると反対されます」
レイリーは攻略対象に選ばれるだけあってイケメンだし、ラインハルトに負けず劣らず優秀だ。おまけにファンの人気投票では一位だった。
確かに顔立ちはラインハルトを柔らかくした優しい容貌の美少年だし、能力的にも問題ない。
だが、今私たちの後ろで一見無害そうな笑顔を皆に振りまいているが、その裏で色々と暗躍して敵を容赦なく屠る姿に、サイコパスの暗黒神とファンの間で言われた腹黒男だ。
リアルでサイコパスな暗黒神が旦那様だなんて嫌に決まってる。
それに彼がゲーム通りであるなら、フォルダン家に婿入りは絶対にありえない。
しかしラインハルトの言う通り、将来性のある人間や能力の高い者は婚約者が割と早く決まりやすいので、せめて卒業までにはフォルダン家の利になるような婚約者を探さないといけないのも事実だ。
が、目下のところ最も重要なのは、これから現れるであろうヒロインだ。
ラインハルトが舞台の真ん中に置かれた演説台の前に立つ。
そして皆が静まったところで、彼が初めの言葉を口にしようとしたその瞬間────。
「すみません、寝坊しましたーっ!!!」
ラインハルトの言葉を聞き洩らさないようしんとした講堂内に、乱雑に開けられた扉の音と、焦りをのせた少しだけ低めの声で放たれた、この場にはあまりにも場違いな台詞はよく響き渡った。
全ての人間が声の主の方へ目線を向けると、そこにはゲームと同じ見た目をした人物が立っていた。
講堂の窓から差し込む日の光が当たってキラキラ反射するピンクの髪は、ゲームとは違いショートだが、それが彼女の愛らしさを逆に際立たせていた。
庇護欲を掻き立てられる水色の大きな瞳は、女である私ですらドキリとさせられる。走ってきたのだろう、ゼーハーと荒く息をつく様に、思わず駆け寄りたくなる衝動に駆られそうだ。
────できれば私が乙女ゲームの世界だと思っているこの思想自体が、私が作り出した幻想であればよかったと何度思ったことか。
彼女の存在がこの世界にあると知った時も、どこか希望は捨てていなかった。
だが、淡い希望はものの見事に粉々に砕け散る。
ゲームのヒロインは、ゲームと全く同じ登場の仕方で、遂に私たちの前に姿を現したのだ。
突然すぎる予期せぬ侵入者に、誰も何も言えないままだった。
それはラインハルトも同じで、非常事態でも上手に物事を切り抜ける才を持つ彼ですら、言葉を失い一瞬戸惑ったようにヒロインを見つめている。
だがゲームと同じく、ヒロインマリアは何とも言えない空気の中をものともせず、ひょいと軽やかに足を進めると、一年生たちの席の中に唯一あった空席を見つけ、そこが自分の席だと確信したのか迷わず進み、そして座った。
私は再びラインハルトに目を向ける。
ヒロインとの初対面だ。ゲームではここで急に声をかけることはなかったが、わずかに目を細めて興味を持ったような目を一瞬だが見せていた。
果たして彼は、やはりゲームと同じ目をしてヒロインを見ていた。