困惑を隠せないオリヴィアの後悔②
「この奥の部屋には、各役員ごとの仕事内容が書かれたマニュアルみたいなものや、これまでの会計の人間が作成した予算案や決算書があるわ。他には書記がまとめた生徒会の議事録とか、とにかく書類関係は全てこの部屋ね」
そう言って扉を開けて入る。
中は少し埃っぽくて、舞い上がる埃を手で覆いながら、私は換気の為、部屋の左側の窓を開ける。
「ちなみにオリヴィア様の副会長って、どんな仕事をしているんですか?」
まずはレイリーに言われた会計関係の書類を探していると、マリアから疑問の声が上がる。
私の役職には大層な名前がついているけど、要は雑務だ。
会長が不在の場合は彼に代わり指示をするが、それ以外だとラインハルトの仕事を手伝うこともあれば、顧問である学園長との連絡係を担ったり、風紀委員の見回り活動に参加したりと、補佐役が多い。
「……というわけで、私の補佐をするあなたは、全ての役職の仕事を把握してそれに関わらないといけないわね」
「なるほど……。確かに大変なんですね」
「だから前に言ったでしょう。どう? 入ったこと、後悔したかしら」
けれどちょっと仕掛けた意地悪な質問に、マリアはにやりと不敵に笑って返す。
「まさか! だったら俺も一刻も早く頑張って仕事を覚えますよ! だってそうしたらオリヴィア様の負担が軽くなりますよね。俺、頼れる後輩目指しているので」
純粋なキラキラした瞳で見つめられ、気恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまいそうになったけど、これ、逸らしたらまるで意識しているみたいじゃないかと気付き、ぐっと我慢すると、
「じゃあ期待しているわね」
と、笑顔で返してみせた。
するとマリアは目を丸くして、そのあとすぐにくしゃりと破顔した。
そんなに嬉しそうに笑わないでほしい。男版ですら彼の愛らしさは破壊力抜群だ。
彼の言動には色々慣れたと思っていたけど、それでも時々反応してしまう。
そんな私の心情などこれっぽっちも知らないであろうマリアは、
「もしかして探しているのってあの一番上のですか?」
そう言って私の真後ろに移動すると、腕を伸ばす。
「っ!」
予想外に近付いてきた彼の体温に、頭がくらりとする。しかもこの体勢ってなんだかマリアに包まれているような感覚になって……。
今の私本当にまずい!
「待って、私が取るから!!」
そう言って何とか彼に離れてもらう。
「え、でも俺の方が身長もありますし、取りますよ」
「い、いいから! こういうのは先輩の私に任せて!」
私がそこから移動して彼に取ってもらえばいい、という考えはなぜか思い付かず、背伸びをして書類の束に手をかける。
身長的にはギリギリ届く。
だけどみっちり書類が詰まっているせいかなかなか引き抜けなくて、もう少しなんだけど……と言いながら、力を込めて引っ張る。
「オリヴィア様、やっぱり代わりますよ」
「いいの、大丈夫、もうすぐだから……」
台詞を言い終わるや否や、すぽんっという音を立てて書類の束が抜ける。
「やった!」
だけどその拍子に、立て付けが悪くなっていたのか、はたまた抜く時に力を入れ過ぎたのか、目の前の棚がぐらりと揺らぐ。
「え……」
私の背丈よりもはるかに大きな棚だ。傾いていく様を、ただ眺めることしかできなかった。
「オリヴィア様っ!」
マリアの声が聞こえた気がする。けれどそちらを見る間もなく、中身がパンパンに詰まった棚は私の上へと倒れていき、そして────。
倒れる直前、私は何かに体を覆われ、そのまま床に倒される。
それと同時に、とてつもない轟音が部屋中に響き渡った。
倒れた棚が私の身体の上に落ちてきて、私はてっきり押し潰されたかと思っていたのに、不思議とどこも痛みを感じない。
音が止み、静寂に包まれたところで、いつの間にか目を瞑っていたらしい私はそっと目を開ける。
するとまず飛び込んできたのは、見覚えのある綺麗な空色の瞳だった。
「大丈夫ですか!?」
すぐ近くにマリアの顔があった。
いや、顔だけじゃない。マリアの身体は私と密着していて、その事実に恥ずかしくなって彼を突き飛ばしそうになり、そして気が付いた。
マリアの背中に、あの棚が乗っている。おそらく倒れる過程で落ちていったようで、中身は半分以上入っていないけど、それでも相当な重さのはずだ。
それを彼は、その身一つで私の方へこれ以上倒れないよう支えていた。
その体勢から、あの時マリアが私を庇ったのだと知った。しかも私の頭の後ろにも彼は手を回していた。
多分床に倒す時に、私が頭を打たないように。
「待って、嘘でしょう!? マリアの方こそ大丈夫なの!?」
いや、大丈夫なわけない。だって彼の額には大粒の汗が流れているから。
だけどこんな状況でも、彼は私を気遣うように目じりを下げ、笑って見せる。
「このくらい平気です」
「でも……」
「ダリアン様には及ばないかもしれないですけど、これでも鍛えてるんですよ。余裕ですって」
けれど、彼の唇からは苦しそうに吐息が漏れる。それに、汗とは別の液体が私の頬にぽたりと落ちる。
「血が出てる……!」
頭を棚で強打したのか、彼の後頭部からは血が滴り落ち、それが私の顔を濡らしていた。
これ、絶対にまずい。
早く彼の手当てをしないと。だけど、私が彼の身体から抜け出そうとしても、その隙間がない。そのくらいギリギリのところでマリアが踏ん張ってくれている。
生徒会室に誰かいれば思ったけど、さっき全員が出て行ったのをこの部屋の扉越しに確認した。戻ってくるのがいつになるか分からない。
どうしよう……と考えていると、さっき開けた窓が目に入る。
ここから叫んだら、もしかしたら誰かに声が届いて助けが呼べるかもしれない。
私は急いで息を吸い、そしてありったけの声で叫んだ。
「誰かぁ、助けて──っ!!!」
すると声が届いたのか、間もなくして足音が聞こえる。その主はすぐにこっちにやってきた。
「待って、今どけるから!!」
「私も手伝います!」
声の感じから、レイリーと、彼と組んでいた新入生のミラのようだ。
二人のお陰でゆっくりと棚が持ち上がっていき、ようやく棚が元の位置に戻ったところで、マリアが私の隣にばたりと倒れた。
「マリア、しっかりして!!」
私は起き上がると、急いで彼の容体を確認する。
頭の後ろ、綺麗な桜の花の色をした髪には、血がついていた。
「どうしよう、マリア、お願い、死なないで!!」
私のせいだ、無理やり取ろうとしてこんなことになってしまった。
普通に彼に頼めばよかったのに。
けれど重傷を負っているはずのマリアは、すぐに何事もなかったかのようにむくりと起き上がる。
「え、生きてる」
目をぱちくりさせる私に、マリアは苦笑交じりに答える。
「勿論生きてますよ。勝手に殺さないで下さい」
「でも、だって頭の傷が……」
「あぁ、ぶつかった時だと思うんですけど……この感じだと大したことないですよ」
自分で傷に手をやり、確認するマリア。
「で、でも念のために見てもらった方がいいと思うの。とりあえず保健の先生のところに行きましょう」
だって打ったのは頭だ。今は何も異常がなくても、後々問題が起こったら大変だ。
私のこの提案に、マリアは素直に頷く。
「そうですね。それにオリヴィア様が怪我をしていたら大変ですし、一緒に見てもらわないと」
「私は大丈夫よ! だってあなたが庇ってくれたから」
「それならいいんですけど。オリヴィア様の綺麗な肌に傷をつけたらどうしようって、そればっかり気になってたので。だけど、俺の血で汚しちゃいましたね。すみません」
そう言ってマリアはそっと手を伸ばすと、私の頬に手を当て、指で血の跡を拭う。
ごつごつした大きな手はやっぱり女の子のものとは全然違っていて、無性にドキドキして──。
「えーと、僕たち忘れられている気がするんだけど、とりあえず二人の世界に入っていないで、保健室に行って来たら?」
レイリーの声に、はっとなる。
私、もしかしてすっかり二人の存在を忘れていた!?
慌てて助けてくれた恩人に顔を向けると、呆れた顔でこちらを見るレイリーと、その横で手で顔を覆って座り込むミラの姿があった。
「ふた、二人の世界って、な、なな、何言ってるのよ!」
「よく言うよ。あれだけピンクな空気醸し出しておいて」
「ちが……」
言いかけて、今はレイリーの言う通り、ここに留まっている場合じゃない。
「マリア、立てる? 無理そうなら私が肩を貸すから遠慮なく言って」
「だから平気ですって。むしろオリヴィア様の方こそ、どこか痛むところがあったら俺が運ぶので言ってください」
「仮に痛くても、怪我しているあなたに頼むわけないでしょう?」
会話をしながら、ふとマリアの様子を盗み見る。
頬に触れられたり、レイリーにあんなことを言われた私はこんなにドキドキしているのに、やっぱりマリアは至って普通だ。
その事実になぜか胸がずきりと痛む。
けれど理由は考えないように無理やり頭の隅に押しやると、私はマリアを連れて保健室へと急いだ。




