計画が失敗したオリヴィアの動揺
生徒会室に戻ると、ソファに座って優雅に足を組みながらティータイム中のラインハルトが一人いるだけだった。
「どうした、なんだか顔が赤いが」
「いいえ、何でもありません」
これでも赤みを冷まして戻ってきたつもりだったんだけど、まだ時間が足りていなかったみたいだ。
それにしても、なんだかどっと疲れてしまった。
結局マリアは生徒会に入りたいと快諾してしまうし、しかもどうやら強烈に懐かれたような気がする。
おかしい、こんなはずじゃなかったのに。
これじゃあ公爵家の未来が潰える可能性が一歩近づいてしまったようなものだ。
難しい話だけど、とりあえずラインハルトとの接触だけでも最小限になるよう、私が間に入るしかないか。
そう考えていた私の耳に、ラインハルトの口から予想外の言葉が聞こえてきた。
「実はさっき、マリア・フレイムがここを一人で訪れてな。会長である私に律儀に挨拶をしに来たんだ」
「えっ!?」
「彼と対峙して思ったが、これまでにはない人材ではあるし、何より私が気に入った。彼がいれば、未だにはびこる高位貴族とそれ以外との軋轢も、多少は緩和するかもしれないな」
まさか私が火照った体を冷やすべく休憩している間に、ラインハルトに直接話をしに行くとは思いもよらなかった。
どうせラインハルトに顔が赤いことを突っ込まれるのならさっさと戻っていればよかったと後悔するけど、既に遅い。
というか、ゲームでのヒロインは確かに行動力がものすごかったけど、こうして実際に目にすると改めてすごい。
単身ラインハルトの元に乗り込んで一対一で話をするって、なかなかできないことだ……と、私はあることに気付いた。
「あの、彼と接触して、恋心が生まれたりなんてことは」
「あるわけないだろう」
対面に座っていた彼が立ち上がり、軽蔑の眼差しを向けてくる。
そのまま新しいカップを持ってきたラインハルトは、私に自らお茶を淹れると、ことりとそれを目の前に置く。
「これでも飲んで落ち着け」
王城では絶対にありえないけど、ここは学園である。
自分のことは基本自分ですることになっているので、必然、彼もお茶を淹れることができるようになり、そして彼のお茶は絶品だった。
お礼を言って白磁のカップを手に取ると、中身をこくりと飲み込む。
おかげで幾分気持ちも落ち着いてきた。
「大体、君は私のレティシアへの愛情を横で嫌というほど見てきただろう。それこそ気持ち悪いと言われるほどにはな。それなのに、なぜその想いを疑えるんだ」
「すみません。……そうですよね、殿下の病的なまでのレティシアへの愛情は、子供の時から分かっていたはずなのに。あの子に好意を向けた子息が何人も、引きこもりになって姿を見せなくなったり」
「不埒な視線をそれ以上向けると、権力をもって全力で潰すと、遠回しに言っただけだ」
「レティシアに接近した私の元婚約者の消息が不明になっていたり」
「友人である君とレティシア二人を傷付けたあの男か。ただ話をしに行ったら自分から勝手にいなくなったんだ」
「レティシアに嫉妬していた令嬢とその家の人間が、いつの間にか処刑されていたり」
「密売組織と繋がっていた侯爵家だな。あそこの娘がレティシアに嫌味を言っていたから、令嬢だけを抹殺するつもりが、調べを進めたら思わぬ収穫があったからな。家ごと消えてもらっただけだ。娘はそれに関わっていなかったから、北にある最も厳しい修道院に送っただけに過ぎない」
今更だけど、ラインハルトのレティシアへの愛はその頃からちっともブレず、そして過激だ。
そうだ、ゲームとは既に展開が違うのだ。
今の彼がマリアに惑わされるなんてこと、仮に媚薬や魅了の魔法を使われても、レティシア以外になびくとは思えない。
勿論懸念はある。
実際のマリアは大変に魅力的だ。この私がうっかり取り乱してしまうほどなのだ。それでも、その魅力で殿下の変態的なレティシアへの愛情を消し去れる可能性は、かなり低そうだ。
「それにしても、君はどうもマリア・フレイムの生徒会入りに乗り気ではないようだな」
「……いいえ、決してそんなことは」
「彼から話を聞いて判断するに、本人が断りやすいように話を展開したそうじゃないか」
「彼にこれ以上の負担をかけるのは好ましくないと判断しましたので。ですが結果的に彼は入る、を選択しました」
だからこそ、私は今こんなにも落ち込んでいるのだ。
これがマリアがすごく嫌な奴とかだったら、多少強引にでも断らせていただろうし、もっと言うならラインハルトにも絶対にお勧めできない! と強く訴えていた。
けれどそうじゃないから余計に困っている。
ため息をついた私を見て、ラインハルトはならばととある提案を持ちかける。
「もしも君が生理的に受け付けない、もしくは君ほどの人間が彼と同じ空間にいると仕事ができないほど支障をきたすというのなら、この話はなかったことにしてもいいと思うが」
「!?」
テーブルの上の菓子をつまみながらラインハルトがそんな提案をしてきたが、別に、そういうわけではない。
「そのようなことは、ありません。私も彼のことは認めています」
ただ、絶望的な未来が少し近付いただけで、それが絶対に起こるとも限らない。
それに告白……的なことを言われたけど、それが不快ではなく、ただ恥ずかしかったというか驚いたというか、あんなに正面切って言われたらなんならちょっと嬉しか……いや、そんな訳がない!!
折角凪いだ海面のような穏やかな心地を取り戻しかけてたというのに、再び波風が立ちそうになり、思わず浮かびかけた感情を無理やり振り払う。
そんな私の様子を、ラインハルトは異国の珍しい玩具を紹介された時と同じような目で見てくる。
「長い付き合いだが、それだけ感情も露に翻弄されている君を見るのは初めてだな」
だって仕方がないじゃないか。
前世を思い出して、妹が悪役令嬢で家族諸共破滅する未来を知って、それから必死に抗ってここまで来たのだ。
そして意を決して臨んだ入学式で、現れたのがまさかのマリアという名の男の子で。
その時の私の衝撃は言葉にできないほどだった。
ある意味これでレティシアが悪役令嬢と化すラインハルトルートはなくなったのかもと思ったけど、性別が違うだけでマリアの基本スペックはゲームと同じかそれ以上で。
念のためにと生徒会入りを断らせようと思ったらまさかの計画は失敗して結局生徒会に入ることになるし。
と、これだけいつもの私と違っていると分かっているにもかかわらず、ラインハルトはもう一つ菓子を口に放り込みながら、明日の天気でもするような軽い口調で、
「君がそんなに私のことを信用できないというのなら、君自身がマリアを見張ればいい」
そう言ってのけた。




