オリヴィアとマリアに対するラインハルトの考察
皆が勧誘の為に出払い、一人生徒会室に残ったラインハルトは、机に積みあがった大量の書類の整理をしていた。
すると。
「一年のマリア・フレイムです」
力強いノック音の後聞こえてきた名前に、思わずラインハルトは手を止め扉を見つめる。
そしてオリヴィアが勧誘に向かったはずの人物の突然の訪問に驚きつつ、入室を許可する。
「失礼します」
そう断り入ってきたマリアは、臆することなくまっすぐにラインハルトの元へ歩みを進めると、臣下としての礼を取る。
その姿を、ラインハルトはじっと見つめる。
入学式ぶりに見たマリアは、確かにオリヴィアが勘違いしたように、男性というにはあまりに可憐な容貌をしている。男子生徒だと気付かなかった者が数名、告白しに行って玉砕したという噂もあるが、この様子だと本当だろう。
その上正義感も強く、学園で身分を笠に着る行為は禁じているにもかかわらず、自分が高位貴族だからと下位貴族や平民を馬鹿にしている輩に遭遇すると、すかさず助けに入るそうだ。
その上で、その高位貴族とすらも、次の日には肩を並べて仲良く歩くほどの仲になるらしい。
まさしく、天性の人たらしなのだろう。
腕も相当だという話だが、愛らしい見た目ながら、体の線は細くない。一見分かりにくいが、服の下はそれなりに鍛えているのが分かる。
なるほど、オリヴィアが、会ったらマリアを好きになるかもしれない……と懸念した理由がラインハルトにも分かった。
実際、入学式のあの日から、そして噂でマリアの言動を耳にして、こうして目の前で対峙している今も、彼がマリアにいい意味で興味を持っているのは事実だ。
勿論、愛するレティシアへの愛情が揺らぐことはない。
あくまでもそれは、人としての興味である。
「確かに私は王族だが、学園ではそのような礼は不要だ。気安い先輩と一緒にいるような感じで接してくれて構わない」
短期間での仕上がりにしては美しい礼の形だと思いながら、だから頭を上げてくれ、とラインハルトは続ける。
まあ、このようなことを言っても、普通はそれはさすがに畏れ多すぎるとガチガチに緊張したまま固い口調で話を続ける者がほとんどなのだが。
「分かりました。じゃあ許可が出たので、そのような感じでいきますね」
顔を上げたマリアから纏っていた緊張感が解け、彼はにこりと笑った。
「君はすごいな。普通はそう言ったところで態度が変わらない者の方が多いんだがな」
「俺も本当にその対応を望んでいそうな相手にはそう接しますけど。でも、少なくとも殿下の今の言葉は本心ですよね? だったらいつまでも必要以上にへり下って接するのは、そっちの方がむしろ失礼に当たるかと思いまして」
彼の言葉は真実だった。
敬われることには慣れているしむしろそれが当然の立場だが、せめて学生の間だけは他の生徒と共に、同じ目線で、近しい立場で過ごしたかった。
そうすることで、これまでと違う新たな視点を得られることもできる。
しかし、このマリアは明らかに他の生徒とは違うと、ラインハルトはますます彼への興味を深めながら、
「それで、何か用があってここに来たんだろう? 君の元へは確か、オリヴィアが向かっていたと思うのだが」
「はい! 俺としては是非受けさせていただきたいと思って、まずは会長に挨拶をしに来ました」
そうしてマリアの口から語られる、オリヴィアからの生徒会入り打診の話の聞いたラインハルトは、内心驚く。
オリヴィアが入学時からやたらとマリアを気にしていることは知っていたし、彼女とマリアが、早朝に一度中庭で逢瀬をしていたことについても、報告を受けていた。
しかもマリアといる時のオリヴィアの様子は、あからさまに感情を表面に出し、これまでのオリヴィアとは明らかに違うとも。
だからこそ、オリヴィアがマリアを気に入り、自ら勧誘しにいったと思っていたのだが、彼女が出向いたのはあくまでそれを本人の口から断らせるためだったようだとラインハルトは気付いた。
だがマリアが出した答えは全くの逆で、その上彼の様子を見るに、どうもオリヴィアに対し敬愛の念でも抱いているらしい。
これだけ自分の感情をあからさまに出す人間は、貴族では間違いなく稀有な存在だ。
不快だと捉えられてもおかしくないのだが、なぜかそんな気にならない。
むしろ好ましくすら思える。
「一応聞いておくが。君のオリヴィアへの気持ちはあくまで先輩に対する親愛の情、で間違いはないんだな」
いまだにニコニコと嬉しそうにオリヴィアについて語るマリアの台詞を無理やり止めて尋ねると、彼は当然ですとばかりに力強く頷き、
「俺がオリヴィア様にそんな感情を抱くなんて畏れ多いですよ!」
そうきっぱりと否定した。
そんなマリアの様子を、じっと見つめる。
ラインハルトにとってオリヴィアは、大切な友人であり、未来の家族であり、目を配るべき臣下だ。
だから彼女を『氷姫』という名前で縛り付け、心を傷付けた二人の馬鹿をラインハルトは憎んでいたし、オリヴィアには、そんな二人の男など比べ物にならないくらい、彼女が幸せになれる相手を選んでほしい。
実際ラインハルトは、政略結婚とはいえ、レティシアが相手で良かったと思っている。
そしてこのような態度を取られた場合、いつもの彼女ならもっとうまく立ち回っているはずだが、オリヴィアの様子を見聞きする限り、少なくともこれまで彼女が出会ってきたどの令息よりも気にしているのは事実だ。
それにそんな気はないと答えたマリアのく瞳の奥に、まだ本人も気付いていないのだろうが、それとは違う感情がわずかに現れたのが見て取れた。
だが、今のマリアがオリヴィアの伴侶として選ばれることは、決してない。
煌びやかに見える貴族の世界だが、実際は魑魅魍魎が跋扈しているようなものだ。
いかにして自身の利をより多く得るか。
そのために、決して本心は見せず、相手の裏をかき、情報を集め、時に汚いことに手を染めることもある。
いくら能力が高かろうと、失う時は一瞬だ。
純粋さだけで渡っていけるほど、あの世界は甘くない。
それを、ラインハルトも、レティシアも、そしてオリヴィアもよく分かっている。
ただ、もしも彼がそれ以上を望む場合。
確かに彼は子爵令息だ。
身分は足りず、まだ何か成果を残したわけでもないが、それでも可能性がゼロということもない。
方法はいくらでもある。勿論それには本人の努力も必要だし、協力者もいる。
けれどオリヴィアが彼を望み、マリアもまたオリヴィアを望む──そんな日が来るのなら。
この二人がどうなるのか、まだ分からないが、少なくとも近い将来何かが起こると、ラインハルトは直観的にそう思った。
だから、
「マリア、もしも自分の手に負えない悩みや困難に当たった時は、遠慮なく私を頼れ」
その時があるのなら力を貸そうと、ラインハルトは心から思った。




