N.血の呪縛
噎せ返りそうな血の臭気が、放漫に放出されている中、然も謁見であるかのように楚々に振る舞う。
そこで地面と接吻している物を、既に死に絶えた「人間」としてではなく、嘗て人間であった「物」として凝視する。
これは王であろうと、私が親身にしていた護衛の人間であろうと関係はない。
悲嘆に暮れるのは死体になってからでも可能だ、故に前進せねばならない。
私は「あの時」にそう誓った。
(先刻の戦争を想起させるな...何時になったら私は血の呪縛から解き放たれるんだ?)
「犠牲者は王と王の護衛の2人か...」
「はい。王である「ティグリス・ペルペトゥス」様、護衛として就いていた「アルドル・クィーンクェ・エクエス」「アリクアンド・クィーンクェ・エクエス」のご遺体であります。
ペルペトゥス(perpetuus)とはラテン語であり、意味は「不滅の」である。
王の嫡子である「セルペンス・ペルペトゥス」は齢14である為、摂政として皇族或いは皇族の側近から選出されるのだろう。
エクエス(eques)とはラテン語であり、意味は「騎士」である。
この城で騎士として従事する者は、先頭から「名前」「階級」「エクエス」の順番で、呼ばれることになる。
また、階級は下から「ウーヌス」「ドゥオ」「トレース」「クァットゥオル」「クィーンクェ」の5階級で分かれており、下の階級の者は上の階級の者に逆らうことは許されず、絶対服従となる。
「これは惨いな」
王は、小刀の様な物で全身、特に腹部を数10か所も刺されたような跡があり、明確な「悪意」を持って殺されている。
アルドルは、頸部が小刀によって掻っ切られている。
アリクアンドは、全身に切創があり、首は一刀両断されているかのように見えた。
「何時頃殺された?」
「私が先程、ご遺体を確認いたしましたので、夜勤の最中であると推測されます」
王の護衛は三交替にて行われており、8:00-16:00、16:00-24:00、0:00-8:00の勤務となっている。
それぞれ日勤、準夜勤、夜勤と名前がつけられており、それぞれ担当が2人ずつ決まっている。
「他にこの事態を知る者は?」
「おりません。真っ先にノービリス様にお伝えに参りました」
「では、城の者に異常はなかったか聞きに行こう。それと、なぜイニティウムが来ていないんだ。お前の相棒だろう?」
至極当然で真っ当な質問を投げかけた筈なのに、何故か王の間が凍てついたように感じた。
先刻まで、気にも留めていなかった時計の秒針が動く音が、妙なる調べとして私を感慨に耽させる。
(まさか...?)
それも、内面では疑惑が疑惑を呼び、苦し紛れであってもそれを打ち消し誤魔化しているからであろう。
一糸も纏うことすらない、冷酷で無慈悲な「事実」はひたひたと私の首を刈り取ろうと躍起になっている。
興奮で身を震わせ、それがあたかも自己同一性であるかのように利己的に振る舞い、私の首は刹那の空中散歩の悦に浸る。
遂に、「悪魔」の実存を確認することができるのであろうか。
「それは....」
「それは、私が殺したからです」
「...!?なぜだ...!」
「私の最愛の人を貴方達が殺したからです。私には魔王国に妻になるであろう魔族がおりました。10年前、まだ我が国と魔王国の仲が其れほど悪化していなかった時に知り合いました。その時分では、私は『ドゥオ』であり、所謂分隊長の身分でした。あれは、魔王に文書を届ける任務の時のことでした」
「申し訳無いが、水をくれないか」
蜘蛛の子を散らす様に人の群れが四方八方へと。
これは予想していた事態で、恐らく警戒されてのことであろう。
仄聞する所によると、騎士の中には遊び半分で辻斬りを行ったり、追い剥ぎをしたりする者がいるらしい。
(いくら盗賊対策といえども持ってくる金が少なすぎたな...。仕方ないか...。)
トボトボと、馬を走らせる。
「お待ちくださーい!」
軽快に地を駆ける音が後方から。
踵を返し、その音の正体を確認する。
そこにいたのは、20歳そこらの妙齢の女性であった。
髪は長髪で燃えそうな赤色をしている。
細身だが、若さ故であろうか、溢れんばかりの気概を感じた。
「騎士様!是非、家で水を飲んでいってください!」
「ありがとう。して、貴方の名前は?」
「私はアラウダと言います。生まれも育ちもここ『キルクルス』です!」
「キルクルス」とは魔王国の中でも勇者国側にある町で、人口は約1万人。
勇者城から魔王城がある「ユースティティア」まで最短で行こうとすると、一番最初に到着する町だ。
なので、来訪してくる人間も多く、来訪者向けの宿泊業・飲食サービス業が発展している。
だが、「キルクルス」一帯で何かが採れるという訳ではなく、他の地方で採れた食材をレストランで調理して提供している。
また、ここら辺一帯は砂漠性気候地域に属しており、年間を通して雨が少ない。
「水をどうぞ」
「ありがとう」
ソーサーに注がれた水を一息で飲み干す。
「助かったよ」
「いえいえ、とんでもないです」
家の中をちらりと見ると、内装には明らかに不釣り合いな大仰な首飾りがあった。
(この首飾りは...。すると、ここら辺で信仰されていて、偶像崇拝が禁止されていない宗教となると...。)
「君、ウェスペルの信徒?」
「そうです。私の家系は先祖代々ウェスペルの信徒です」
「始まりは些細なことで、でも私には充分でした。以降、お付き合いするようになり暇が出来れば、彼女に絶対に会いに行きました。3年前の「あの事件」が起きるまでは...。私は逃げるように指示した!だが、彼女は『故郷だから...』と逃げなかった。いや、逃げられなかった!それで、今は消息不明ということになってます」
「そうだったのか...」
「私が王を殺し、クィーンクェの騎士を殺すという情報を、既に第3帝国、反政府組織、弾圧されてきた先住民、宗教団体、カルト団体、新聞社、パルプ紙に流しています。私が望むのは偏にこの国の滅亡のみ。実を言うとノービリス様、貴方は王族から厭われているのですよ。貴方を生かしておくと、摂政として選出されてしまうのではないかと。能力も素質も地位も名誉も申し分ない貴方であれば可能でしょう。私の計画が此処まで上手くいったのは王族の支援もあってのことです。ただ、賢明なノービリス様であれば、この国の帰趨についてご理解いただけたでしょう。そう!王族同士で骨肉の争いが行われ、内部から崩壊する!であれば、我先にと国家転覆を願う団体が台頭してくるのは必然。今話している間にもその萌芽は順調に育っている。この計画は私が貴方を殺してこそ完結する。では復讐の続きを再開いたします」
スルリと鞘に納められていた筈の刀身の素肌が露わになる、本来向けられる筈はない、上官へと。
「ウルティムス!」
(声を上げて城の者を呼ぶか?だが、その気の迷いが私を敗北に招いてしまいそうな気がしてならない。そもそも彼に勝てる人間がこの城にいるのか?やはり、彼はここで私が止めなくてはならない。)
「あぁ...」
あの日、もう血は見たくないと願った。
もう、人が争い合い、殺し合うのは嫌だと思った。
人類皆平和にと本気で願った。
そして、願いだけでは、限界があることを知った。
彼には彼なりの信念がある。
だが、私にも私なりの信念がある。
だから、私は独善で悪を裁くのだ。
「いくぞ!ウルティムス!」
剣先の冷たさが、日の光に照らされて、溶解していくようだった。