インターハイ
8月2日。インターハイ本番。
明日香の緊張はピークを迎えていた。
「明日香なら大丈夫!」
「自慢の娘だ。」
両親の期待。
「お前ならやれる!」
先生の期待。
「絶対応援行くからね!」
「負けないでね!」
友達の期待。
地元開催ということもあり、応援席にはよく知った顔が並んでいる。横断幕まである。優勝候補でもない明日香には照れくささもあった。
呼吸を整える。
心臓の音が少し早くなったような気がする。
目を閉じる。
(大丈夫、いつも通り。大丈夫。)
明日香はそうやって自分に何度も言い聞かせた。
目を開けて応援席をまた見つめると明日香の視界に美希が写った。
☆
応援席では高校の同級生、その他大勢が明日香の出番を待っていた。美希も佳奈などいつものメンバーと一緒に今か今かとスタートの時を待っていた。
「高城さん大丈夫かなぁ。私まで緊張してきた。」
「明日香なら大丈夫だよ!絶対大丈夫!」
美希はまるで自分に言い聞かせるように何度も何度も大丈夫と繰り返す。昨夜の明日香からの電話を思い出しながら。
『もしさ、私が予選突破したら買い物付き合ってくれる?』
『いいけど、どうしたの?』
『ご褒美あった方が頑張れるから。』
『そんなご褒美ならいくらでも』
『でさ、もし私が準決勝も突破したらそこで私の好きな物1個だけ奢ってもらう。』
『覚悟しとかなきゃね。』
『で、まぁ無理なのは分かってるけどもし万が一私が表彰台に乗れた時には・・・。』
美希が友だち達からふと視線を逸らすとそこには蓮と悠真がいた。
☆
「こないだは悪かったな。くそ雑魚とか言って。」
蓮が明日香の方を見たまま悠真に話しかけた。
「いや、俺が悪いですから。」
気まずそうに悠真が答える。あの日以来の2人の会話だ。しばらく無言が続く。
「なぁ賭けしないか?」
いつもはどこを見ているか分からない蓮が悠真の目を見て言った。だがその表情は以前とは違いとても柔らかいものだった。
「いきなりですね。」
「今思い付いたんだよ。」
蓮はそう言うと笑みをこぼした。意表を突かれた悠真は少し戸惑ったものの昔のような優しい蓮に内心嬉しくなった。
「蓮さんらしい。どんな賭けですか?」
「高城がスタートしたらお前は一生俺のパシリとか?」
蓮がニヤリと笑う。出会った頃はこうやって悠真をからかっていた。
「いやいや、重いですって!てか明日香の応援なのにスタートしないの願えないですって!」
困惑しながらも悠真は蓮が以前のように接してくれていることが内心嬉しかった。
「でもまぁ賭けるなら無難にジュースとかじゃないっすか?」
「そんなんじゃ面白くねえよ。」
蓮の表情が変わった。そしてまた遠く明日香を見ながら悠真に告げた。
「高城がスタートしたらお前は幸せになる。ゴールしたらお前も高城もあの子も幸せになる。」
☆
「選手のみなさんはスタート位置に移動してください。」
時間が来た。大会スタッフが400mの参加選手の誘導を始めた。
(やれる!調子はいい。)
それぞれがそれぞれのルーティンで気合いを込める。明日香も胸の前で手を合わせてスタート位置につく。
祈るように明日香を見守る応援団。
バンッ
「頑張れ、明日香!」
―――蓮vision―――
いい天気だ。それにしても暑い。まぁ明日から8月だ。当たり前だ。
受験勉強も大事だけど、たまにはこうして外に出ないとバテて倒れちまう。同じ姿勢で勉強続けてるせいか腰も痛いし、花火大会までもうすぐだってのにほんとに情けない。
そんなことを考えながらも参考書を買いに本屋に向かっていた。
「先輩!」
誰かに呼び止められた。振り向くと高城が立っていた。ジャージ姿ってことは部活も終わりか。
「お疲れ、とうとう明後日だな。」
「はい。タイムも出てるんで期待して応援しに来てくださいね!」
そういえば高城と話すのはいつぶりだろう。
「先輩、ちょっと痩せました?勉強ばっかりじゃなくて栄養も取ってくださいよ?」
こいつはいつでも人のことをよく見てる。
「悠真のこと、聞きました。」
「『くそ雑魚』ってやつ?」
あれからあいつとも話していない。
「まぁ聞いた限りは悠真が悪いとは思うんですけどねぇ。」
「言い過ぎた、って思ってるんだけどなぁ。」
別に何があったわけでも無いが気まずい空気に包まれた。こういう空気は苦手だ。
「大会終わったら3人で打ち上げ、しませんか?」
高城なりに気を使ってくれているのだろう。ほんと、人のことをよく分かってる。
「優勝したらな。」
俺なりの照れ隠しのつもりだ。もちろん優勝なんかしなくても高城に誘われたら行かないわけにはいかない。
「それまでに仲直りくらいはしとくかなぁ。」
「ホントですか!?」
高城がキラキラした笑顔でこちらを覗き込んでくる。
「じゃあ頑張って優勝しないとですね!」
「無事走ってくれたらそれでいいさ。」
こいつと話してるとつい妹と話してるような気持ちになる。
「もし、もしですよ、優勝したらお願い1個だけ聞いてもらえますか?」
「覚悟しとくわ。」
高城からお願いされるのなんか珍しい。まぁ頑張っているんだしそれくらいならいいだろう。
「じゃあ明後日な!」
「はい、また。」
そうして高城と別れた。打ち上げか。明後日あいつがいたらちょっと歩み寄ってみよう。謝るべきか謝らせるべきか、それとも触れないで話しかけてみるべきか、本屋に行くのも忘れてそんなことばかり考えた。柄にもない。
胸がズキっと痛んだ。
「いってぇな。」