第8話 お船が見える公園で
氷川丸をバックに、真っ青な空に向かってひのまるが炎を吐く。
それはピンクとオレンジ色を交互にねじった棒状のキャンディのようだ。そして今度はそのカラフルな炎が円になって、アスファルトの上をくるくる転がった。
「わぁーっ、すごくきれい!」
女の子は手を叩いて喜んだ。だろ? 俺のひのまる、すげえだろ?
「はい、お待たせしましたー! こんな感じでいかがですか?」
描きおわった画用紙を女の子の方に向けながら俺が言うと、ひのまるはそれを祝うように「フゥーッ」と長いリボンのような炎をひらひらさせた。
「わぁっ、じょうずー!」
「ねー! おにいちゃん、すごいねー!」
女の子が自分の顔の横にそれを並べてお母さんに見せると、お母さんもすごく嬉しそうに笑った。そんで子どもを抱き寄せて頭を撫でて、それからひのまるのことも撫でようと手を伸ばした。
「あっ、首のところ、燃えてるでしょ? 熱いから気をつけてくださいね」
首の周りにゆらゆら揺れてる、俺が大好きなひのまるのトレードマーク。今日も元気だ炎が赤い。けど、本当に燃えてるから、触れれば熱いし火傷もする。子どもが火傷したら大変だ。
「はい。すみません。子どもが抱っこしたいようなんですけど」
けど? お母さん、ひのまるはそんな安くはないんですぜ、って言いたいところだけど、ここは笑顔でやり過ごそう。
「うーん、こいつ、可愛い顔して二十キロくらいあるんですよ。けっこう重いんで、抱っこはちょっと無理かなぁ。もちろん、撫でてもらうのはどこでも大丈夫です」
「撫でていいって、カナ。よかったねぇ。よしよししてあげて」
「ママぁ、カナもモンスターほしいなぁ……」
カナって呼ばれた子どもがひのまるの前にしゃがんで、じぃっと顔を見つめてからそろそろと手を伸ばした。小さな手でひのまるの脇腹をくすぐってる。ひのまるはくすぐったそうに身体をよじって、それから俺の後ろに回ってきた。ああ、いい加減しつこくされてイヤなんだな。ごめん、ひのまる、今は耐えてくれ。今夜のメシのためだ。
「ありがとうございました。お釣りはけっこうですよ。いつもこの辺りで描いてるんですか?」
カナママが千円札を四枚差し出しながら言う。
ユイ~、お前やっぱ冴えてんじゃん。お前の提案通り、一枚三千五百円にして正解だったな。ひのまるの芸を見ながら待ってれば、俺の直筆似顔絵を三千五百円でゲットできるなんて安すぎだろ。そりゃあ、五百円のお釣りはいらないって言うよな。チップとして。いや、むしろひのまるのギャラか? さっきのおっさんなんか、五千円くれたもんな。見た目も金払いも太っ腹だったよ。
「あぁ、いえ、昨日からはじめたばかりなんです。しばらくは山下公園周辺にいると思いますので、また見かけたらお願いします」
「そうですか。じゃあ、次回は二人で一緒にお願いしよう。がんばってくださいね!」
カナママは、バッグに財布をしまいながら嬉しそうに言った。まだ若いお母さんと、四歳くらいの子ども。この二人もジサツ? まさか、ワンオペ育児の果てに無理心中なんてことねえよな?
「こちらこそ、ありがとうございます! カナちゃん、またね」
「うん! かわいくかいてくれてありがとう! ばいばーい!」
カナちゃんは、いま完成したばかりの似顔絵をママに渡した。ママはそれを折れないようにそっとトートバッグにしまって、カナちゃんと手をつないで歩き出す。ちょっと歩いてカナちゃんが振り向いた。嬉しそうな笑顔で俺に手を振る。うん、可愛いな。あの子たちはジサツしたんじゃないって思いたいけど、それを確かめる術はない。本人に訊くワケにはいかねえし。
ママも振り向いてちょこっと頭を下げた。俺も折り畳み椅子から立ち上がってお辞儀してから手を振った。やさしそうで美人なママだ。幼稚園でママ友のボスにいじめられてカナちゃんを道連れに、とか義母と折り合いが悪くて、とか、他人の事情をいろいろ想像して心が重くなるよ。
可愛い母娘は、綺麗に刈り込まれた植木の脇を曲がって、赤い靴の少女像の方へ行った。ふたりの姿が見えなくなってから、俺はまた椅子に座った。
「似顔絵描き、ボロすぎじゃん……。ひのまるが怪我することもねえし、俺は座って右手を動かすだけ。さらには作品を褒められて喜ばれ、モチベ最高よ。いや、生きてるうちに求められたかったよなぁ」
もらったばっかの千円札を握りしめ、俺は誰にともなく言った。これで今夜は三人それぞれ好きな弁当を買えるし、今日中にあと何回客を取れるかにもよるけど、予備の傷薬も買いに行けるだろう。
おとといは三人の所持金ぜんぶ合わせて、ひのまる用の『炎・中』の傷薬を買わせてもらった。今度は念には念を入れて、マルゲとリンリンの分と、それから俺用のきずぐすりも買いたい。マルゲとのバトルで怪我した脚が、少しずつ痛みを増してきてんだよ。早く消毒くらいしとかねえと、ばい菌が入って化膿したり、サイアク腐ったりしたらヤベエもんな。
「ていうか、なんで死んでんのに生きてる時と同じに痛てえんだよ」
俺はそこで不思議に思った。
ユイは、ジサツしてこの世界に来たんじゃないって言ってた。そんでこの世界──いわゆる「異世界」のことをなんでもよく知ってる。だったらなんで俺についてくるんだろう? ほんの数日前にここに放り出された俺なんかと一緒にいるより、もっとうまく渡り歩いていけるだろうに、まるで俺を待ってたみたいに俺んちの近くの電柱に寄りかかって、「バトルの用意はいい?」なんてツンデレっぽく言っちゃって、ユイって一体ナニモノなんだ?
自殺者全員が異世界に転生するわけじゃないとしたら、ここに来た俺や四條さんは「選ばれし者」っていうわけか? 誰に、なんのために? そんで、ここではもう一度死ぬことは出来ない。俺たちはいつまで、どうやって「生きて」いればいいのか……。すっげえ疑問なんだけど、それをユイに訊くのはなんとなく怖くてできない。どんな答えが返ってくんのか、それを知ったあとの俺が心配だ。
「まぁ、俺はひのまると出会えたから、転生してよかったよ」
ひのまるはこんな俺を信頼してくれてる。喉を撫でたらゴロゴロとやさしい音を響かせて、嬉しそうに首を伸ばした。
あれほど大嫌いだった異世界ファンタジーだけど、来ちまえばなんてことねえ。当事者になってみるとつくづく人間は愚かだって再認識したけどな。
みんな、現実逃避と妄想の書き写しに夢中になってるだけ。違法に改造されたデータでゲームをラクに進めるように、最強・無双は当たり前。そんでさらに、タイプの違う複数人の女にモテたいと。
「現実に生きてる、生命力の強い作者」が垂れ流した、妄想まみれの欲望を我先にと貪って、同類の人種が集まって山のようになる。そいつらだってもちろん生きてるから、これからも煩悩丸出しで生き続ける気満々で、「異世界」っていう実体のない空間なら、矛盾もなにもかも何とでもなると、創作をナメくさってる。
まぁな、創作から逃げ出して首吊った俺が言えた義理じゃねえけど。
数日ぶりに筆を取って、やっぱ俺は絵を描くのが好きなんだと再確認した。一度は絶望して諦めて、捨てた命だけど、まさかここで役に立つとは思わなかった。このまま順調に稼げたら、母さんと真帆の生活にも光を差してやれるかもしれない。
「すみません、いいですか?」
ぼーっと考えてたら、いつの間にか横にいた男が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ! はい、お時間は四十分くらいかかりますが、よろしいですか?」
そいつの方に向き直って返事をした俺は、ぐっと息を呑み……かけた。
だってさ、四條さんほどじゃないにしても、斜め後ろから聞こえてきたのは、かなりのイケボだったのよ。そうすると、外見もまあそれなりだと誰でも思うじゃん? それが、コミケに全通してそうないわゆる「キモオタ」って外見なんだもん。まさか、あんたの顔を俺に描けってか? マジかよ。
「似顔絵っていうか、画面の中の子でも描けますか? この子なんですけど」
『描けますか?』っててめえ、誰に言ってんだよ。と思いながらキモちゃんが差し出したスマホの画面を見る。うぁ……、すげギットギト。触りたくねえ。
そこに映ってたのは、VTuberと思われるLive2D? の動くイラストで、更に注文があった。
「衣装はこっちの白いネグリジェで、実際よりも胸大きめでお願いします!」
「ええっと……、基本料金内だとバストアップで、この構図だと全身描かないとバランスが取れないので、追加料金発生しますけどいいですか? 一万二千円になっちゃいますけど……。時間も、そうですね、一時間半みてもらえば」
「引き受けてくれますか? 料金は問題ありません。時間潰してきますので、じっくり描いてください!」
キモちゃんはにっこにこ満面の笑顔でスマホを俺に預ける。ま、一応スマホを置いてくっていっても、完成品を取りに来ない危険性もある。取りに来ない絵のために一時間半掛けるのは無駄だし、そしたらユイにどつかれるだろう。やっぱ、半分前金をもらっとくべきだよな。
「すみません、半額を内金としてお支払いください。残りは完成品をお渡しする時にいただきます」
「はい、もちろんです! では六千円ですね。よろしくお願いします!」
キモたんは意気揚々と去っていった。俺すげえ。ちゃんと前金もらった。カズマのけいけんちがひゃくあがった! 今日はみんなでファミレスに行けるかもだな。俺、ハンバーグとステーキのコンビグリルがいいな。ユイにはなんかこう、オムレツやパンケーキなんか食わせて、四條さんはとんかつの和食プレートかな。ひのまるにも、美味いもんを食わしてやりたい。よし、頑張るぞ!
ってペンを握ったけど、なんだかなぁ。画用紙に向かったら、胸がモヤモヤすんだよ。俺、漫画家への道を絶たれて借金で首が回らなくなって、そんで首吊ったのに、なんでここに来てこんなことで稼いでんだ? 見栄も意地も置いといて、現実世界でコレやってたら、少しは借金返しながら、家にも金を入れられたんじゃねえの?
あぁ、俺はなんてアホなんだ。クズとかクソとかじゃなくて、とことんアホ。バカだ。母さん、真帆、ごめん! もうちょっと待っててくれな。