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第77話 やっぱりホモかもしれない

 時刻はちょうど帰宅ラッシュと重なったが、恭平と裕介は上り線を利用するため、車内は立っている乗客がちらほらいる程度だった。

 座席に座っているのは、スマートフォンの画面しか見えていないような若者たちと、スーツ姿のサラリーマンばかりだ。近くに高齢者や妊婦が立っていようと、彼らの目には入らないらしくゲームに没頭している。

 恭平は毎日見るその光景に小さく溜め息をつきながら、やや軽蔑したような笑みを浮かべる。

 裕介と並んで七人掛けの座席の前に立ち、吊り革を握りしめると、窓ガラスにうっすら映った自分と目が合った。


 ガタン、ゴトンと電車が揺れ、その規則的な動きは眠気を誘う。本当は明日提出しなければならないレポートがあるのだが、家に着いて夕飯を食べたら、あとは風呂に入ってベッドに倒れ込みたい気分だ。


「そうだ。裕介、チョコいる?」


 言いながら恭平がバッグから取り出したのは、さきほど美幸にもらったばかりのチョコレートだ。それを聞いた裕介は、両手でひとつの吊り革にぶら下がるように体重を掛け、首だけを恭平に向けて大きな溜め息をついた。


「それって、さっきの子にもらったやつじゃねえの?」

「そうだよ。市販品だからよかったら滝沢くんと食べてくれって」


 上品なパッケージには「GUDIVA」の文字が箔押しされている。裕介は片目をつぶってしばらく考たあと、素直にそれを受け取って中身を覗いてみた。


「うわ、おっしゃれ~! さすが本命チョコって感じ」

「なんか『イベントに合わせたくなかった』って言ってたけどね、渡辺さん」

「ていうかお前、今年のチョコいくつよ?」

「母ちゃんからの一個だけだよ。付き合う気もないのにチョコだけもらったってしょうがねえだろ。ホワイトデーのお返しなんてヘンな習慣もあるみたいだし」

「あ~、ヤダヤダ。モテる奴ってどうしてこう、さりげなく自慢すんだろね」

「べつに自慢にならねえだろ」


 何度も首を横に振って、裕介はわざとらしく不快感を表明している。いつもの恭平なら、それには苦笑で返すしかなかったが、今日は違っていた。


「なあ裕介、お前、彼女ほし……」

「ほしい」

「つかさ、それってタイプなら誰でもいいわけ? 好きな人が出来た。だからその子に彼女になって欲しい。そういう流れじゃなくて『彼女』がほしい。彼女というポジションにつける者を欲する気持ちって、俺にはよくわかんなくてさ」

「や、者って、お前。サッカーだって、お前のポジションに誰もいなかったら試合になんねえだろ? それに、彼女がほしい気持ちなんて、ほとんどの男がわかると思うんだけど、逆になんで恭平はそれに共感性がねえんだよ?」

「サッカーとは違うだろ。ルールがあるスポーツと彼女っていうのとは全然ちげーよ。で、共感性? うーん。それなんだけどさぁ……」


 恭平がぼそぼそと話し始めたとき、電車が大きく揺れて、恭平は裕介の方に倒れ込むような形で向き合った。互いの顔をこんなに近くで見るのは初めてだ。

 裕介は恭平の顔が整っていてきれいなんだと改めて気づき、恭平は体勢を整えながら裕介の耳元に囁いた。


「どうしよう。俺、やっぱりホモだったのかもしれない」


『お急ぎのところ、お客様には大変ご迷惑をおかけいたしております。ただいま踏切内に異物が発見され、確認作業を行っております。お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、もうしばらくお待ちください』


 車内アナウンスが流れると、周囲からいくつかの舌打ちと「自殺か?」とコソコソ話す声が聞こえた。「自殺」という単語に恭平の胸が一瞬チクリと痛む。

 それぞれがSNSに投稿しているらしく、多くの者が画面をタップしている。

 裕介は、恭平の言葉に驚いて呼吸をするのも忘れるほどだった。だが、先月和真の家を訪問したあと、和真との最後の飲みで言ってしまったことを後悔していると恭平から聞かされ、さきほど恭平が言っていた相手は和真だったのかと悟って、ゆっくりと頷いた。


「……恭平は、和真のことが好きだったのか?」


 デリケートな問題だと思った裕介は、慎重に言葉を選ぼうとしたが、ストレートに訊いた方が恭平の負担にならないだろうと思い直した。


「そこまではわかんない。ただ、和真が俺の特別だったのは確かで、和真がいなくなったこの世界で、彼女つくったりなんだりって、俺だけが普通に楽しく幸せに生きるのは、なんか違うんじゃないかって」


 恭平らしくないと、裕介は思った。サッカーではかっこよくても、頭の方は自分や和真と大した違いはない恭平だ。それが、和真のことでこんなに感傷的になるなんて、やっぱりおかしい。


「そんなの、和真が喜ぶわけねえじゃん」

「まあな。遺書にも『いい人生を送ってくれ』ってな、無責任にそう書いてあったよな」


 そこまで言って、恭平は一旦言葉を切った。夕焼けに朱く染まった窓外の景色に目を遣り、それと重なってガラスに映る自分と裕介の姿をぼんやりと見る。


「違うんだ。俺が和真じゃなきゃだめなんだよ。あいつのいない日々は、すごく退屈でつまんなくて……、ああ、もちろん裕介と過ごす時間も、裕介自体も大事だよ。でも、うん。正直に言うわ。俺は和真を失って、ベタな言い方だけど、胸にぽっかりと穴が開いたみたいになっちまってる。それはどうしたってお前じゃ埋められない穴なんだよな」


 今までの人生、ほとんどを大好きなサッカーにかけてきたとも言えるのに、そのサッカーですら、このまま続けていいものか悩んでいる恭平は、今とても苦しんでいる。恭平がこんなに弱気になって、感情をさらけ出すのは初めてのことだ。

 だが裕介は、恭平にかける言葉が見つからなかった。お前じゃ駄目だと言われた俺が、どう慰めることができるのかと、それはいくら考えても答えなど出てこない。

 でも、と裕介も沸き起こる感情のままで恭平に告げた。


「当たり前だろ。いいか恭平、よく聞けよ。俺とお前と和真。三人でずっと一緒に過ごしてきて、そのうちの一個が欠けて穴が開いたよな。その穴は、つまり和真の形した穴なんだよ。その穴に俺が入ったってぴったりはまるワケはねえんだからさ、埋まらないに決まってんだろ。ほんと、恭平らしくねえよ。そんなのわかってるはずなのに敢えて言うなんて、それほど苦しんでるってことは俺にもわかるよ」


 言いながら裕介も、恭平の苦しみにつられるように悲しくなってきた。窓に映った恭平の顔を見ると、少し驚いたような目をしていた。


「俺さ、この前言ったよな、お前に嫉妬してたって」

「ああ」

「俺は、お前も和真のことも、どっちも大切な友だちだと思ってる。お前らがさ、夢に向かってがんばる姿勢はやっぱりすげえかっこよくて、バカでこれといった目標もない俺には、住む世界が違って見えた。和真が俺より恭平をひいきしてるって……、そう感じて寂しくなったことも一度や二度じゃないけど、俺との付き合いも長くなっていけば、いずれ三人本気で笑い合えるんだって信じるしかなかった。そうか、だから俺は、なんにもない自分から目を逸らすために、恋人がほしいのかもしれないな」


 少し前まで茜色に染まっていた空が、今はすっかり紺色の夜になろうとしていた。それぞれが遠くの景色を見て、しばらく黙っていた二人だったが、裕介がこちらに顔を向けようとしたタイミングで、恭平も裕介に視線を合わせた。


「なあ恭平、和真はもうどこにもいない。それなのに、残った俺たちが一緒にいる理由ってあんのかな?」


 子犬のように寂し気な表情で、裕介が言う。それを聞いた恭平は目を丸くして言った。


「おいおい、ちょっと待て。お前なに言ってんの? 『子は(かすがい)』じゃないけど、和真が俺たちを繋いでたってわけじゃないだろ? それに、お前は和真の代わりでもないよな? 和真は和真、裕介は裕介だ。さっきはあんなこと言っちまったけど、それはお前を信頼してるからだ。俺はこれからもお前と大学生活を送って、和真がいなくても一生の友だちでいるつもりだからな」


 ああ、和真なら、こんな時どうこの、ある意味修羅場を収めてくれるだろう。

 ほとんど毎日一緒にいたのに、思い出の中の和真の顔ばかりが頭に浮かんで、「いま」和真がいたら何て言うかを想像できない。

 恭平は、裕介を安心させてやれるうまい言葉が出てこないことに戸惑いと焦りを感じていた。


『お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたしました。安全確認が済みましたので、発車いたします。お立ちの方は、吊り革、手すりにおつかまりください』


 またも大きく車体が揺れ、裕介の目尻に光っていた涙が恭平の頬に落ちた。恭平は慌ててバッグからスポーツタオルを取り出し、裕介の顔面に投げつける。


「だから、やめろって!」

「ごめ、最近涙腺緩くて……。うわ、臭っせ」

「あたりめえだろ。文句言うな。それしかなかったんだからよ」


 汗が浸み込んだタオルで涙を拭き、顔を上げた裕介は、どこか吹っ切れたような顔をしていた。それを見て、恭平は自分たちが少しずつでも前を向いて歩き始めていることを知る。

 

 電車は横浜駅に着き、横浜線に乗り換える裕介とは、コンコースで別れた。

 恭平は、今夜自分と裕介が見る夢が、和真と笑い合うものでありますように、と願いながら、家路を急いだ。

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