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第74話 森の小さなジェノール

 ハァッ、ハァッと自分のものだけではない、仲間たちの苦し気な息遣いが聴こえる。ずいぶん遠くで走ったから、もう大丈夫だろう。

 小さなジェノールは一度立ち止まり、耳を澄ませた。

 密猟者たちが撃った弾は危ういところでかわしたが、小さなジェノールの美しい白い毛皮をほんの少し傷つけた。

 もう奴らのジープが追ってくる気配はない。そう確認すると、小さなジェノールは血の滲む前脚を丁寧に舐めた。


 ジェノールは数匹の群れで生活するが、小さなジェノールの父親は、群れのボスだった。

 父親と母親、きょうだいたち、そしてボスの座をかけて父に挑み、負けたオス、それと何匹かの大人とその赤ん坊からなる、十二匹が群れを形成していた。

 そのうち、まだ大人になったばかりのメスの個体が一匹、密猟者によって喉元を打ち抜かれて即死した。


「チッ、喉を打ち抜いちまったか。毛皮が血でよごれるじゃねえか。こいつは売り物にならねえな。捨てていくか」

「売れないとしても、食えないんですかね? 兄貴」

「モンスターは普通の動物や家畜じゃねえ。その肉を食らったやつがどうなったか、お前は聞いたことねえのか?」

「ええ……、そんな話があるんですかい? いや、俺、昔食ったことがあるような気がするんすよね」

「お前、何ともなかったのか?」

「いや、一緒に食った近所のガキは気が狂いましたけど」

「そうだろう! モンスターを食らうことは禁忌なんだよ。おぼえとけ」

「へい」


 この頃、モンスターを狙う密猟者は、後を絶たなかった。ジェノールの白く美しい毛皮と、喉のところにある、牙が変形したとされる鎌のような形のものは、マニアに珍重され、大変な高値で取引されるのだ。


 この日、小さなジェノールたちの群れを襲った密猟者は、たったの二人組だったが、性能の良い武器を持っているこいつらは、群れにとって大きな脅威となった。


「なんとしても、あのデカいオスを仕留めてやりてえな。あのツヤッツヤの毛皮、それからお前、あの鎌の色を見たか? あんなに深くて綺麗な青い色の鎌を持ってるやつは滅多にお目にかかれねえ。俺は絶対にあいつを獲る」



 まだ生まれたばかりの弱い個体がいるため、逃げるのも慎重にならざるを得ない。ボスである小さなジェノールの父は、常に群れ全体の安全を見ながら移動する。


 ボスを中心にして大人が固まり、子どもたちを円の中に入れて守る。遠吠えが連なり、密猟者らは咄嗟に耳を塞いだが、この声に恐怖を感じていたら狩りにはならない。

 今日はなんとしてでもジェノールの毛皮と鎌を持ち帰らなければ、明日の酒を買う金もないのだ。銃を下ろし、暗視スコープでジェノールの群れを探す。


「いたぞ! あの近くに罠を張ったはずだ。そっちにおびき出そう」


 密猟者の車が走り出した時、ボスがプラネタリウムを使った。

 小さなジェノールは、追われていることも忘れ、父が放った作りものの夜空と星の瞬きの美しさに、思わず心を奪われた。

 ただでさえ薄暗い森の中だが、これでますます群れの位置の特定が難しくなった。

 うっすらと空に浮かんだ月に向かって、ボスが大きく咆える。すると、それを合図に大人が子どもを連れて散り散りの方向に走り、密猟者を攪乱させる。


「チッ、バラバラに逃げやがったか」

「あ、兄貴!」


 密猟者たちは、小さなジェノールが父と一緒に走る方角に向けて、催涙弾をいくつも投げる。

 別の方向に逃げた一匹は、捕獲機の罠にかかってしまった。さらにもう一匹は、斜面で脚を滑らせ、そのまま崖下に落ちてしまう。


 暗い中、密猟者とジェノールは互いに音だけを頼りにする攻防を繰り広げ、仲間を逃がしたことを確認すると、小さなジェノールと父は崖下の岩場に追い詰められた。

 父はリーダー格の密猟者の腕に噛みつくと、唸りながら小さなジェノールに『行け』と言う。


「くそっ、痛てえ! この野郎、はなせ、放せぇ!」

「兄貴、今助けます」


 父に言われた通り、小さなジェノールは無我夢中で走った。走りながら、密猟者が泣きわめく声を聞き、銃声が何度も森の空気を震わせるのを感じていた。

 小さなジェノールは振り返らなかった。仲間と父が守ってくれた命を落とさぬよう、ただ走った。走り続けるしかなかった。

 


 何度かきょうだいたちと遊んだ湖に着いた。

 小さなジェノールは乾いた喉を少し潤し、白い毛皮を泥で汚した。枯れ葉を集めて休む場所をつくり、そこに丸くなってしばらく目を閉じた。


 木の上では、シマリの親子が身体をつつきあっている。太い枝の上で居眠りをしているポコロンは、寝返りを打ったらここに落ちてきそうだ。

 小さなジェノールは枯れ葉の寝床を別の場所に移そうと、のろのろと立ち上がる。それを不思議そうにのぞいている視線と目が合った。


「だいじょうぶ? けがしてる」


 人間の少女だった。小さなジェノールの前脚の怪我を指し、心配そうに眉を寄せている。


「ヴゥゥゥゥッ、ジェルルルル……」

「わっ、わっ、おこってる? いたいから?」


 少女は小さなジェノールの前にひざまずき、可愛らしいポシェットから絆創膏を取り出した。

 それがどういうものなのか知らない小さなジェノールは、ずっと唸り続けている。


「おこらないで。おくすりはもってないけど、これはっとけばいたくなくなるから」


 少ない語彙で必死に語りかける少女は、ついに泣き出してしまった。


「あーん、あーん、あたし、モンスターをたすけたいのに!」


 ポシェットからハンカチ、ティッシュ、チョコレート、森の中でモンスターと出会った時に食べさせるためのモンスター用おやつと、次々に取り出して小さなジェノールに見せる。

 敵ではないと判断したのか、小さなジェノールはやっと唸るのをやめたが、それでもまだ人間を信用できるはずはなかった。


 とその時、父の仇である密猟者が大きな木の後ろからひょっこりと現れた。


「おや、お嬢ちゃん、こんな森の中でお散歩かい?」

「……おじちゃんたち、だれ?」

「おじちゃんたちはねえ、ちょおっと、そのお嬢ちゃんの後ろにいるモンスターに用があるんだ。そいつはおじちゃんのモンスターなんだけど、さっき逃げ出しちゃってねぇ、森の中をずっと探してたんだよ」


 密猟者の言葉をうけ、少女が小さなジェノールを振り返る。


「あなた、このおじちゃんのこなの?」

「ジェルルルッ、ガウッ、ガゥッ」


 小さなジェノールは歯をむき出して怒りをあらわにした。すぐにでも男たちに飛びかかれるよう、重心を低くして身構えている。

 少女はモンスターと密猟者を交互に見て、男たちに言った。


「このこ、いやがってるみたい。用なんてないんじゃない」

「このガキ、素直に渡せばいいんだよ」

「兄貴、ガキ眠らせちまいましょうや」


 下っ端が少女に向かって手を伸ばそうとした。


「あたしが先にモンスターとおはなししてたんだもん! じゃましないで!」


 少女は下っ端の股間を蹴り上げた。そのまま地面に倒れた下っ端は、苦悶の表情を浮かべている。


「このクソガキが!」


 密猟者は少女に銃口を向けた。猟銃で脅せば、怖がって逃げてゆくと思ったのだ。

 だが、少女は両手を挙げ、目を見開いて震えながらも叫ぶ。


「にげて! そのけがならまだはしれるでしょ」


 銃口を見つめたまま、少女が小さなジェノールに言う。

 自分が逃げたら、この少女はそのまま撃ち殺されてしまうのだろうか。人間は、そんな酷いことさえやってのけるのか。


 そのとき、小さなジェノールは、自分が強力な技を使えるようになったことに気づいた。


「ジェルッ、ジェルルッ!」

「ジェル? そうだ、あなたのなまえはジェノールね!」


 少女と小さなジェノールが見つめ合う。その一瞬、ジェノールの脳裏に父の面影がよぎった。


「俺を無視してお話しかよ? お嬢ちゃん、本当に殺してやろうか? それとも怖いおじさんの家の子になりに行くか?」

「ジェノール、このひとのうでにディノニクス!」

「ジェルル!」


 少女の命令をきいた小さなジェノールは、密猟者の腕にディノニクスを炸裂させた。

 その恐ろしい鉤爪は肉を抉り、骨にまで届く。男の血が下草を汚し、肉片があたりに散らばった。これで男が猟銃を構えることは二度と出来なくなった。


 股間を押さえて悶絶していた下っ端は、殺される! と喚きながら「兄貴」と慕っていたはずの男を見捨てて逃げ出した。



 少女は小さなジェノールの首に抱き着き、ポシェットの中から子ども用のモンスター図鑑を取り出して見せた、


「もりのモンスターをさがしにきたの。ジェノール、あたしのモンスターになってくれる?」


 そう言いながら、モンスター用のおやつの袋を切って、手のひらにあけたそれを小さなジェノールに食べさせた。一粒食べたジェノールが顔を上げて少女を見ると、少女は嬉しそうに言った。


「あたしね、ちよこっていうの!」

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