第73話 熱っついおにぎり
『ぼくにわからないことなんてありませんよ。たしかに耳や鼻などのパーツという意味では、ぼくにはついていませんが、悪臭、爆音などに遭遇したときの不快感も、すべてデータとして入っています。そしてあのムスビンも、耳や鼻は見当たりませんが、水嶋くんの指示に応じているのですから、外見上存在しなくても、機能としては備わっているのです』
さっき俺が思ったことの答えみてえに、みゅうがぷりぷりしながら語ってる。でも俺たちはみゅうの相手なんかするより、このバトルの内容に夢中でそれどころじゃない。
遮那王の本体、そしてばらばらになりかけたご飯粒は凍り、遮那王はしばらく動かなかった。かろうじて手の先が動いてるっつーことで、一村はまだカウントをとらねえ。
そしてやっと賞味期限のねばねばから解放されたファルチェは、さんざん吐いたあとの口や鼻が気持ち悪りいのか、不快そうに首を何度も振った。後ろに跳んで中野さんのそばまで戻ったはいいが、強制嘔吐はまだ効果が切れてないらしく、自分のコーナーでまた吐き始めた。
『遮那王! 遮那王、聞こえる?』
奏くんが不安そうな声で遮那王を呼ぶと、遮那王は返事の代わりにお下げの先端を少し揺らした。モニターに映った遮那王は、時間が止まったみたいに動かねえけど、奏くんの声が届いてるなら反撃する力も残ってんのかもしれない。
『ムスビンの強烈な攻撃により、大きなダメージを負ったであろうジェノールですが、フォトンブリザードを発動し、ムスビンの身体は一部がバラバラになりながら仰向けに倒れました。これは決まったのか? それともムスビンは持ちこたえるのか!』
遮那王の状態は、戦闘不能なのかまだいけんのか、奏くん以外にはマジでわかりづらいんだろうな。だから一村もカウントを取っていいのかどうなのか、慎重に試合を見守ってる。
『遮那王、いくよ! 焼きおにぎり!』
『……むぅっ……』
くもってるけど可憐な呻き声で応えると、遮那王は身体の内側から、なんかとてつもねえパワーを発動させようとしてんのがわかった。
俺はまさか、と思って四條さんとコジたん、順番に目を合わせた。これ以上、一体どんなムスビン専用技が出るんだよ。
ムスビンの場合、技名を聞いただけじゃどんな攻撃をされんのか想像できなくて、相手にとってはすげえ不利だと思う。
そこんとこ考えると、中野さんとファルチェは本当によくやってる。俺だったら、ひのまるが強制嘔吐なんかくらったら、とてもじゃねえが耐えられる自信なんかねえもん。すぐにギブアップしそうだよ。
「焼きおにぎり……ってまさか!」
四條さんが椅子からちょっと乗り出して言った。コジたんはモニターの遮那王をじっと見つめてる。
まさかって、そのまさかだった。二台のドローンに前後から撮影されてる遮那王は、どんどん体温を上げてるらしく、フォトンブリザードで凍った身体はツヤツヤの炊きたてみたいになって、それから地面に散らばってたご飯粒は本体目指してざざぁっと集まってきた。
その間にも遮那王の身体とご飯粒たちは少しずつ色を濃くしてって、気のせいか、いや、気のせいじゃねえよ。うっすらと刷毛で醤油を塗って、網でこんがり焼いたおにぎりみてえな、芳ばしくてきっと日本人なら誰でも好きな匂いが場内に広がった。
さっきの腐敗臭から一変、時間が昼過ぎってこともあってか、この香ばしい匂いにお腹を鳴らす人が続出してる。客席からはぐうぐうってウシガエルの合唱みてえな音が響いて、もう俺はなにがなんだかわかんねえ。
そしてファルチェはというと、かわいそうにまだ鼻からご飯粒と鼻水を垂らしながら、口は半開きでげーげーしてる。大量のよだれがだらだら流れて、ちょっとふらついてて、ファルチェはずっと唸ってる。
悔しいだろうな、怒ってるよな。その様子を俺の膝の上で一緒に見てたみゅうが、またなんか発言したけど、その声は遠くから聞こえたように何て言ってんのかわかんなかった。
だってさ、あんなファルチェを見て冷静に現状を語るなんてできねえじゃん。しかも、いま遮那王は焼きおにぎりなんて技を発動してる。それがこの先どうなんのか、まだわかんねえんだぜ。
『ファルチェ!』
たまらず中野さんは泣き出してしまった。ラインの内側にいるファルチェに近づいて、屈んで声をかけてる。ファルチェは中野さんを振り向いてくぅん、と弱々しく鳴いたあと、また背中を丸めて咳き込んだ。
『ファルチェ、避けて!』
中野さんが叫ぶ。アッツアツの焼きおにぎりになった遮那王が、ものすごいスピードで飛んできた。
ファルチェはかろうじて避けたけど、その勢いでとうとうフィールドに横倒しになっちまった。
『ジェノール、ダウンです! これは強制嘔吐で体力を奪われたせいか。勝負は決まってしまうのか!』
フィールド内を走りながらマイクに向けて一村が叫ぶ。ファルチェのところまできてカウントを始めたが、ファルチェはセブンの途中で立ち上がった。そんで寄ってきたドローンを睨みつけて、その一台をディノニクスで破壊した。モニターには大きなノイズが走って画像が乱れ、何十も設置してあるスピーカーからは、キィーンって音が響いて、俺たちは思わず耳を塞いだ。
『ムスビンの焼きおにぎりが炸裂―! この焼きおにぎりという技は、身体の内側から高温を発し、体表面をアツアツに焼いた状態で体当たりするもののようです。加えて、大量のよだれを出させ、相手の水分を奪うという追加効果もあるようです。ジェノールのよだれはいまだ止まりません! また、飢餓感に苛まれるという辛さもありそうです。私も空腹感を覚えています』
『ええ、その通りです』
一村の解説に答えるように、奏くんがドローンに向かって言った。そしたら静かだった場内に、またも奏くんコールが鳴り響き、ついでにムスビンへの声援もぐっと増えた。
「ムスビーン!」
どこに隠し持ってたのか、コジたんはマジで鉢巻きつけてペンライトを持って、人さし指と親指で三角のおにぎり型を作って遮那王を応援してる。
もちろん会場全体で言えばファルチェへの声援の方が多いけど、いまこの状況でのムスビンコールは、それが耳に届くだけで中野さんにはかなりなダメージだと思うぜ。
『ダークラヴィーネ!』
勢いあまってラインからはみ出しそうになって、おっとっととなってる遮那王を指して、中野さんがファルチェに指示した。
プラネタリウムは使えない。近づいてディノニクスの一撃をお見舞いしようとしたら、また強制嘔吐をくらうかもしれねえ。つうことで無難な技で戦うしか、いまのファルチェにはやりようがねえんだよな。
遮那王はまた土下座的なポーズになって、降り注ぐデブリに耐えてる。いつの間にか着替えたみてえにピカピカのお海苔に当たると、デブリはつるんとすべってそのま消滅した。
『遮那王、ジェノールに近づくんだ!』
『ファルチェ、接近させないで距離を取って』
どっちも譲らない戦いが続いて、ダークラヴィーネが終わる瞬間を、誰もが祈るような気持ちで見つめてる。俺は実際胸の前で手を組んで、お祈りのポーズをしてた。
ブラックホールは少しずつ小さくなって、最後のデブリが落ちたら静かに閉じた。
うつ伏せのまま、じりじりとファルチェに近づいてった遮那王は、チラっと後ろを振り返ってから、奏くんの指示を聞くより先に前に向かって高くジャンプした。
『強制嘔吐!』
お海苔の着物みてえになってる合わせ目のところから、ご飯がぼこぼこって瘤みてえに盛り上がって、ミニミニおにぎりが大量に出来上がる。
今度は賞味期限で拘束されてないからか、ファルチェは左右に動いてそれを避けたけど、飛んでくるミニミニのうち数十個は避けきれずに、無理矢理喉の奥に詰め込まれた。
体力が落ちてるからか、効果が出たのはさっきより早くて、さっきよりも低くゆっくりなかぽっ、かぽっ、っていう音が聴こえて、苦しそうにご飯粒を吐きながらファルチェはフィールドに倒れた。
『ワン、ツー、スリー、フォー……』
一村が近寄ってカウントを取る。奏くんと遮那王を応援してる人は一緒にカウントして、俺と、他にも大勢のファルチェ推しの客たちは黙ってモニターに見入った。
ファルチェ、中野さん、遮那王、奏くんが四分割されたモニターに映る。
奏くんは、倒れたまんまのファルチェのそばから走り寄ってきたこんがり遮那王と、ハイタッチする準備をしてる。
『ファルチェ、ピカピカボイス』
その嬉しそうな遮那王の背中に、ファルチェの鋭い電撃が命中した。
『切り札は最後まで取っておくものなのよ、ぼく』
カウントナインで立ちあがったファルチェは、蓄積されたダメージを背負ってぼろぼろだったけど、その顔からは揺るぎない自信と誇りが感じられて、試合が始まる前よりもむしろかっこよく見えた。




