第71話 おにぎりの賞味期限
群青色のプラネタリウムが晴れたら、ガラス屋根の向こうの空は明るくてまぶしいくらいだ。ブラックホールから降ってくるデブリも止まって、ようやくファルチェと遮那王がみつめ合う。
リングの上でプロレスラーがよくやってるように、お互いに相手を睨んで距離を取りつつ、同じ方向に円を描きながらゆっくり歩いてる。
『フィールドでにらみ合う二匹ですが、それぞれの身体から発せられる殺気のなんという違いでしょう! ジェノールから出ているヒリヒリするような緊張感に比べ、ムスビンからはのどかでうららかな空気が漂ってくるようです』
すぐ近くで二匹を見てる一村が、興奮気味に言った。
なんか、あいつが羨ましくもあるな。殺気満々のジェノールなんて、近くで見たらかっこいいに決まってるもん。
プラネタリウムは、おにぎりくんに使っても意味がないってことで、事実上封印されたな。中野さんが連続でダークラヴィーネを指示するとは考えにくいし、すると次はディノニクスか、それともワンダーシャドーで遮那王の背後から動きを封じるか……? いや、あの短い手足を拘束するのって、逆に難しいんじゃねえか。
つうか遮那王の海苔の部分もワンダーシャドーみてえに見えるけど。
『ファルチェ、フォトンブリザード』
この後の展開を考えてたら、中野さんが聞いたことのない技をファルチェに指示した。
えっ? なに? それって新しい技? 俺は動揺して、左右に座ってる四條さんとコジたんを交互に見たけど、二人は腕を組んだまま頷いてる。
「うーん、なるほどね。そういうことですか」
「なに? 二人はわかってんの? あれって初めて聞く技だよね。どういうこと?」
状況がつかめてない俺は、一人だけおいてけぼりにされたみてえでちょっと焦った。
「ジェノールは覚えられる技の種類が豊富です。さっきはおにぎらないを喰らいましたが、動きも先週より更によくなっている。技構成次第で、同じモンスターでも全く違う戦い方ができますからね」
四條さんの解説みてえな言葉は、俺の質問の答えとしては微妙に不親切だったけど、やっと理解できたぜ。
中野さんは、この一週間でファルチェに別の技を覚えさせて、自慢のモンスターに更に磨きをかけてたっていうことだよな。
遮那王は、ファルチェの新技・フォトンブリザードが発射される直前、後ろに高く跳んだけど、残念なことに避けきれなかった。目に見えないくらい小さい粒子状の氷が、腹を抉るように命中して、遮那王は苦しそうに倒れた。
誰にとっても未知数の「食品」モンスター相手に、中野さんだって警戒して距離を取りてえのは当然だ。
遮那王にいくつか攻撃を命中させて、ダメージを与えてからじゃないと、ディノニクスは危険すぎる。
『ワン、ツー……』
実況を忘れてた一村が、はっとした顔をして遮那王に近づいた。
うつ伏せに倒れたおにぎりは、なんだかバチが当たりそうで見てらんねえ。しかし遮那王は、一村がツーカウントを言い終わらないうちに立ち上がって、ファイティングポーズを取った。
短い枝が刺してあるような見た目だけど、ちゃんとした腕なんだよな。
モニターにアップで映った手の部分が丸くなってるんだけど、そうか! あれって拳を握ってんのか!
その様子が可愛かったのか、客席から歓声があがった。コジたんも目じりを下げて、モニターの遮那王を撫でるみてえによしよしってやってる。
「いやぁムスビン、かわいくて強いは人気に直結します。ぜひキャラクターグッズを作ってほしいところです」
コジたん、12にゃんとムスビンじゃ、全然「かわいい」のジャンルが違うと思うんだけど、ムスビンのことはかなり気に入ったらしい。
……ん? いままで十二種類だと言われてた属性に「食品」があるとわかったってことはだよ、食品属性のにゃんずもいるってことか? いや、マジか。そんなん想像できないって。なんなの、食品にゃんずって。
俺と同じくにゃんず好きのコジたんにも言いたかったけど、今は試合の真っ最中。かつ、客席の前後にもぽつぽつ立ってるスタッフにも注意しなきゃならない。食品のことは気になるけど、その好奇心はひとまず鎮めて、勝負の行く末を見守ろうぜ。
『ムスビン、即座に立ち上がりました! 中野選手のジェノールは、一回戦とは異なる技を覚えて試合に臨んだようです。対する水嶋選手の立ち回りに注目です!』
先週の一回戦同様、奏くんがモニターにアップになると、客席からいちいち黄色い歓声が沸く。
フォトンブリザードの直撃をくらってもピンピンしてる遮那王の背中を見つめて、余裕の笑みっていうの? 口許を不敵に緩めて残酷な笑顔を浮かべてる奏くん。
思うように戦えねえからか、ファルチェはちょっと苛立ってるみてえだ。まぁ、誰もが初めて見る食品のモンスターで、しかもおにぎりだもんな。やりにくいとは思うよ。
ファルチェは遮那王を睨みつけながら前脚の爪で地面を掻いてるけど、中野さんはファルチェが負けるなんてことは全然思ってなさそうな表情だ。
『今度はこっちから行きますよ! 遮那王、賞味期限!』
賞味期限? それって技の名前か……? うぇっ! なんだこの臭い。くっせー!
「なんか、臭くないすか?」
「……カズマくんも感じますか? ええ、かなりきつい臭いですね……」
見ると、遮那王の身体が倍速映像みてえにぐにゃって崩れて、みるみる腐っていってる。かわいい目の周りは落ちくぼみ、口も取れ掛かってるし、手足もだらんと垂れ下がってるしで、「かつておにぎりだった食べ物」って感じの、腐敗して悪臭を放つ生ごみと化してる!
海苔がめくれたところなんか米粒が糸を引いてて、ビジュアル的にもかなりきつい。
一見すると、ムスビンがダメージをくらってるように勘違いしそうだけど、これはムスビンの技なんだよな。この腐った自分の身体をどう使うっていうんだ? 遮那王!
すると、どろどろに崩れた腹の辺りを、遮那王は小さな手でかき集めて内臓みてえに引きずり出すと、丸めてファルチェめがけて投げつけた。
『ムスビン、賞味期限なる技を発動! 食品属性のモンスターについては、我がナチュライフの会でも、把握していることは多くありません。はぁ……、どうやら自身の肉体を……急速に腐敗させ……、うっ……、て悪臭を放ち、糸で絡めとって……、はぁ、はぁ、相手の動きを封じるもののようです。ぐっ……、もっとも、素早さに磨きがかかったジェノールには……はぁ……、通用しなかったようですが……。しかし……、この強烈な臭いがジェノールにどんなダメージを与えるのか、……それは未知数です。……両者のこの後の動きから目が離せません……うぷっ……』
一村が途切れ途切れに実況する。だって臭せえもんな、すぐ近くにいたら客席にいるより臭さ倍増だろうし、まあ辛いわな。
『ダークラヴィーネ』
中野さんも腕で鼻を覆いながら指示を出す。
ジェノールのような、獣モチーフのモンスターは当然嗅覚が優れてるはずだ。一回戦でのティンプル相手の時もそうだったが、目や鼻を封じられると、いくら強い個体でも、勝負のゆくえはわからねえ。今の勝率は五分五分ってところかな。
けど、心理的には中野さんが若干不利かもしれねえ。中野さんはファルチェを美しいと思ってるのがわかるし、ファルチェ自身もプライドが高いだろう。そんなペアが、腐敗したおにぎりに翻弄されるっていうのは、かなりやりにくいはずだ。
中野さんは、きっとその不安をかき消すために、ファルチェに指示を出してる。
そんな長年のパートナーとの絆が勝つか、それとも宇宙並みの未知数のムスビンか、まだまだバトルはこれからだぜ。
『ムウゥッ!』
遮那王が、はじめて声を出した。見た目のかわいさに似合う可憐な声でちょっとびっくり。
さっきのおにぎらないほどじゃねえけど、賞味期限を使ってる今現在も、見た目はかなりぼろぼろだ。その身体でデブリを受けながら、ねばねばの糸をファルチェに向かって何度も投げる遮那王。
しかしファルチェは捕まらねえ。
『ファルチェ、一気に決めましょう。ディノニクス』
『ジェルルルルッ!』
猛獣の顔つきになったファルチェはやっぱりかっこいい。
糸を避けながら少しずつ近づき、ついに遮那王の両足を掴んだ。そして片手を振り上げて、自慢の鉤爪で腐った海苔をはがし、それをバトルフィールドに放った。
どんどん腐敗が進む遮那王は、ついにお下げも取れ、目も口もどこにあるかわからなくなって、そして……とうとう動かなくなった。
『ムスビン、戦闘不能ですか? 水嶋選手、この状態は……?』
奏くんは一村にチラっと視線を送ったけど、特になにも答えなかった。
かつておにぎりだった、どろどろのモノ。中学の時、誰かが合宿の時におにぎり持ってきてたのを忘れて、三泊して家に帰ってからリュックの底にそれを見つけた。アルミホイルで包まれてたそれは、もう開ける前から酸っぱい臭いを漂わせてて、そいつは開ける「儀式」に俺を呼んだ。
「いいか? 和真、開けるぞ。鼻ふさぐのナシだからな」
なにを試されてんだよ、と思いながら、俺も好奇心から銀色のホイルに包まれたそれに顔を近づけた。
カサッ、ていうかすかな音。そいつがゆっくりホイルを剥く。
「うあぁ、臭せえ!」
思わず腕で鼻を覆った俺にそいつは「はい、和真の負けな」ってすっげえ嬉しそうな顔をした後、洗面所で思いっきり吐いてた。そんで、ゲロが詰まったって、家族に怒られたらしい。
いやー、ノスタルジックな気持ちになっちゃったぜ。ムスビン、どうなの? 負けちゃったの?
『ムスビン、戦闘不能……? よって勝……ごほっ……』
会場はしんとしてた。一村が遮那王にかぶさるように覗きこんで、腕で鼻をかばってなおも咳き込みつつ、両手を振ろうとした。
あー、やっぱ遮那王ダメだったか……って、予想通りなんだけど、俺はちょっと残念で寂しい気がした。
その時、遮那王は少しずつ元の形に戻って、かわいいつぶらな瞳をキュピーンと真っ赤に光らせた。
その顔のアップがまた怖くて、俺は何度目かの悲鳴をあげちまった。
なんなの遮那王? 未知数が過ぎるんじゃねえの? でも、まだ試合はこれからだっていう期待値が高まって、悪臭が薄れつつあるフィールドから、ますます目が離せなくなった。




