第7話 クソ親父のご帰館
汚ったねえな、親父……。あれ、俺が首吊った日に着てった服のまんまだろ。顔にアザや擦り傷つけてこっそり帰ってくるなんて、お前はガキかよ。そんでまたいつもの仏頂面か。母さんに当たり散らしたら承知しねえからな。
「クソ親父が……」
思わず声に出したら、四條さんはそれを聞いて大袈裟に驚いてみせた。
「えぇっ! カズマくんのお父さんなんですか?」
俺とモニターの中のクソ親父を見比べて、なるほどって顔をしてる。俺だって似てるなんて認めたくねえよ。だけど、どっちかっていえば母さんよりもこのクソに似てるのは間違いない。
「ええ、俺の葬式にも帰って来なかったクソ親父ですよ」
親父はドアに鍵を差し込んでガチャガチャやってるが、アンタ違うの差してんじゃねえかってくらいなかなか開かなくて、イライラしてるようだ。やっとガチャッって音がして鍵が開いて、玄関を入る。その間もずっと、モニターの右上には「LIVE」って文字がくるくる回っててけっこう鬱陶しい。
『和真―! 和真、いるかー!』
もうそろそろ出勤時間になる母さんは支度をしてる最中だったようだが、突然親父が帰ってきたんで、驚いて部屋から出てきた。
『お父さん……、四日間もどこに行ってたんですか』
母さんは親父の顔を見て、ピンときたらしい。アザ作って四日ぶりに帰ってきたんだ。どうせまた、酔っぱらって喧嘩して、警察沙汰になったんだろうよ。クソが……。
『ちょっと警察の世話になっただけだ。そんなことでガタガタ言うな。ったく、国家権力振りかざしやがって。俺の言うことを信じてりゃすぐに帰って来られたのによ。あんな狭いところに四日も閉じ込めやがって』
やっぱりな……。どうせそんなことだろうと思ったぜ。
行きつけの呑み屋で居合わせた客と口論になって? そんで殴り合いになった? 先に手を出したのは向こうで、俺は悪くねえ?
何回聞かされた言い訳だろう。警察を呼ばれて、パトカーで連行されて、「酔いを醒ましていけ」って言われて鉄格子の中へ。一晩中わめき散らして暴れて、翌日になっても反省なんかまったくしてねえ。相手のことばっか悪く言って、呑み屋に迷惑をかけたことなんか眼中にもない。普段から周辺住民の評判が悪い上に、妻へのDVの疑いもあるってことで、取調室でこってり絞られる。それでその日も、次の日も檻の中だ。
今日、四日目になってやっと、相手の酔っ払いが自分が先に手を出したことを認めて釈放されたらしい。
いや、だけど警察も家に連絡くらいしてくれたって良さそうなもんだよな。家族が心配してるかもしれないじゃん。……うちは、とくに真帆は、「お父さんなんか帰って来ない方がいい」って言うだろうけど。
『それより、和真はどうした? あいつはまた遊び歩いてんのか』
お前に言われたくねえよ……。俺は、自分の漫画が認められなくて、描くことに絶望したんだよ。それでも漫画から離れることは出来なかったけどな。大学に入ってからは、そりゃ新しい友だちとフラフラ遊んでた日も多かったよ。だけど、普段は俺の顔なんか見ようともしないクセに、なんか用なのかよ。
『あの、お父さん、和真はね……』
母さんが言いにくそうに切り出そうとして、また口ごもった。まだ母さんの中でも俺が死んだなんて受け入れきれてないだろうに、それを、そんな時にいちばん一緒にいなきゃならないはずのクソ親父は、何も知らずに酔っぱらってたってワケだ。ったく、情けなくて笑えてくるぜ。
『なんだこりゃ!』
キッチンに入って、リビングに目を向けた親父は、俺の骨が入った箱と、ろうそくと写真で飾られた白い祭壇を見つけて素っ頓狂な声をあげた。そうだよな、そりゃびっくりするだろ。
『おい、これはどういうことだ! 和真はどうしたんだ? なんでこんなもんが家の中にあるんだよ!』
振り返って、後ろに立つ母さんに詰め寄るクソ。これはまずい。このままじゃまた母さんが殴られる……。
『和真は、亡くなりました。四日前の朝、自分の部屋で首を吊って』
母さんは、クソ親父に真っ直ぐ向き合って静かに言った。親父が持ってた紙袋がバサッと音を立てて床に落ちた。袋の口からは、漫画を描くために使うタブレットの外箱がのぞいている。
『……和真が、死んだ?』
クソ親父は、母さんと祭壇の俺の写真とを交互に見て、それから母さんの肩を掴んで前後に強く揺さぶった。
『お前! お前のせいじゃねえのか!』
母さんは目を見開いて怒ったような傷ついたような顔をして、それから顔を背けて声を殺して泣き始めた。
『お前が! お前が和真を追い込んだんじゃねえのか! あいつが借金までして叶えたかった夢を、少しでも理解しようとしたか? 応援したか? 和真は現実を見たんじゃない。お前と真帆の白い目に耐え切れなかったんだろうよ!』
「おい!」
俺は思わず叫んだ。母さんのせいじゃない。ろくでもねえ親父のくせしやがって、俺が死んだのは俺自身に絶望したからだよ!
いくらこっちの世界で叫んでも、モニターの中のクソ親父に聞こえるわけがない。親父が母さんを突き飛ばす。リビングとキッチンの境目のレールの上に倒れたまま、母さんは否定もしなかった。親父はそんな母さんの襟元を掴んで無理矢理身体を起こすと、右手を振り上げた。
「やめろ!」
俺はもう一度叫んだ。けど親父は、拳を握ったまま自分の膝の上に静かに下ろすと、わんわんと泣き出した。そのまま俺の部屋まで走って行って、俺のいないそこを見て、呆然と立ち尽くしてる。
俺は思い出した。
小学生の頃、描いた絵を一番に褒めてくれたのは親父だった。自由帳を買ってもらって、漫画の構想を練ってた時、俺を膝に抱いて一緒に自由帳を覗きこんで考えてくれたこと。俺と親父の間によんが来ると、ふたりで交代に頭を撫でながら、創作の話をしたこと。そうか……。このクソは俺の一番のファンだったんだ。
「それがいまさら、なんだってんだよ……」
そうだ、今さらこんな記憶がよみがえったって、あいつがクソ親父なことには変わりはない。
退職金まで全部使った事業をダメにして、失敗した後のことも考えずに突っ走ったバカ。失敗したのは自分のせいなのに、家族に当たって、母さんに当たって、自分だけが辛いみてえな顔しやがって、自分ばっか苦しんでるみてえなこと言いやがって。
酒ばっか飲んで、家に寄りつかねえ、どこにいんのか連絡もできねえ。俺と真帆の授業参観にだって、酔っぱらった赤い顔で来たことが何度もある。そのたびに真帆は泣いて、友だちに恥ずかしいって泣いて、お父さんなんか学校に来させないで、お願いだからリコンしてって、母さんを困らせた。
そんなクソ親父と別れない母さんも不思議だったけど、真帆は今、俺という兄弟もいなくなって、そんな両親のことをどう思ってるんだろうな……。
『ニュースの時間でした! それでは、今日も良い旅を!』
「おい! まだ終わってね……」
ライブ中継が終わり、モニターはそれ自体が消えてしまった。俺は困惑していた。親父が母さんに暴力を振るうようになってから、ほとんどヤツと話したことはない。もちろん親父自身のせいだけど、親父は家庭の中に居場所がなかったし、それは返せる見込みのない借金をした自分も同じだった。でも俺は、迷惑をかけてたけど、母さんと真帆とは仲が良かったと思ってる。今は真帆に思いっきり嫌われてるけどな。
親父は、いつか元の家族に戻りたいと頑張っていたんだろうか? でも、だったら母さんに暴力を振るうなんて一番やっちゃいけないことだろ。ガキじゃねえんだからよ、甘えてんじゃねえぞ。……って、それは俺自身にも言えることかも知れない。親父も俺も、ダメな自分を持て余して、それでも家族にいい顔したくて、だけどどうやってもダメで、きっと受け入れてくれるはずだって思える家族──母さんに甘え切ってたんだ。
なあ親父、アンタもそうだったのか? いつか、家族を幸せにしたいって思ってたのか?
もう確かめることはできないし、さっきの母さんへの八つ当たりを見たってそうは思えない。でも俺のことは可愛かった……のか? 俺は、クソ親父に愛されてた……?
「二人とも、いきなりびっくりしたよな。俺のクソ親父、すぐに母さんに当たるんだ。そんで俺は、勝手に人生終わったと思って、死ぬより他の道はなかった。とにかく母さんと真帆を借金地獄から解放してやりたい。それには俺の死亡保険金しかねえだろって」
「で、約款をよく読まなかったから、支払われないのよね」
ユイが腕を組んだまま言う。なんでこいつ、俺にこんなにキツイんだろ?
「……ユイの言うとおりだよ。俺は決意して死んで、そんで異世界に転生してまだ四日目で、もう生き返りたいと思っちまった。行き当たりばったりっつーか、先のこと考えないですぐに行動起こすクセは、あのクソ親父に似てると思う。ったく、しょうがねえな! 宮本家の男は!」
「そんなことないでしょう。カズマくんはいま、家族のためにがんばろうとしてる。私には『自分のために生きろ』と言ったカズマくんがですよ。何がなんだかわからない世界です。横浜駅の向こうには洞窟がありましたし」
四條さんの言うことは、イマイチよくわからない。俺んちのことと洞窟が、どうつながってんだ? ま、いいか。もちろん現実の横浜駅の向こうで、洞窟なんか見たことはない。
でも、行くだろ? ってユイに視線を移すと、ユイは凛々しい瞳をして頷いた。
「行こう! カズマ。あの洞窟にはね、換金してもらえる水晶が落ちてることがあるの。けっこう高額で取引されてるのよ。強いモンスターが守ってるけどね」
「強いモンスター? ひのまるよりか?」
俺は顔を上げて不敵に笑った。いつの間にかチームとして行動することになったユイと四條さんと三人で頷き合い、洞窟の水晶を見つけるために出発する。モンスターが守ってるっていうことは、そいつの所有物なんじゃねえの? 俺たち泥棒になっちゃわない? って内心ドキドキしながら横浜駅を目指して歩き出した。あぁ、シウマイ弁当……。