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第67話 人骨はコーヒー豆より硬いか

 いつものように玄関ドアに鍵を差し込み、それを右に半回転させる。ガチャッと鈍い金属音がして、開錠されたノブを下げてドアを開けた。

 灯りの付いていない玄関は薄暗く、真帆は廊下を進んでリビングに目を遣る。

 そこでは母の幸代が、テーブルについてなにやら作業をしていた。


 それを横目で見ながら自室に入り、制服からふわふわしたボアの部屋着に着替えると、真帆は洗面所で手を洗った。

 同じクラスの楓が遊びに来たいと言っていたが、もしまた借金取りが自宅付近で待ち伏せしていたらと思うと、真帆は断らざるをえなかった。

 あんな修羅場を同級生に見られでもしたら、もう学校には行けない。

「ましてあいつらが、楓にもあたしにしたみたいにベタベタ触れたりしたら……」そんなシーンを想像すると、叫びだしてしまいそうだ。

 大きく息を吐きながらベッドに仰向けに倒れ込み、腕で両目を覆いながらもういちど溜め息をつく。



 一昨日やっと四十九日を迎えたばかりなのに、和真がいなくなってから、もう何年も経った気さえするし、それなのに存在感は生前よりも増したように思える。

 家族を借金問題に巻き込んでおいて、自分だけさっさと命を絶ち、遺書に明記してあったはずなのに、当てにしていた保険金は受け取れないことになった。

 毎日のようにガラの悪い男たちが訊ねてきて、中学生の真帆にまで借金返済のために仕事を斡旋するなどと、冗談とも取れないことを言う。

 こんな時にお兄がいてくれたらと、和真自身が引き起こした問題なのに、知らずに和真に頼ろうとする自分がいる。これは一体なんなのだろうと、真帆は感情のコントロールがうまくできなくなっているのを自覚していた。


 しばらくして、冷蔵庫から飲み物を出そうと幸代の後ろを通ったとき、幸代が何をしているのかがわかった。乳鉢の中の小さな白い欠片のようなものは、和真の遺骨だ。

 幸代は春に行われる予定の和真の散骨のため、もう遺骨を粉状にし始めているのだ。時おり鉢の中の和真に話しかけながら、幸代はまた涙ぐんでいる。


 真帆が冷蔵庫を閉じたパタンという音で、幸代は顔を上げて真帆を見た。


「真帆、おかえり」


 柔和な笑みを浮かべた母の顔が、また気に入らない。その顔は、たった今まで和真の骨に向かって話しかけていた顔ではないのか。


「随分前にね」


 ただいまとは言えず、尖った応えを返す真帆に、幸代は困ったような顔で微笑む。

 真帆が玄関から入ったのは、三十分ほど前だっただろうか。たった今気づいたように顔を上げた幸代に、真帆は苛立ちを隠せなかった。

 いや、隠せないどころか、和真が死んでから、自分はずっと苛立っている。

 そう改めて自覚した真帆は、だからといって幸代や、まして四十九日の集まりに来てくれた恭平たちに当たるのは間違っていると、頭では理解しているのだ。それでも、面と向かうと間違った態度を取ってしまう。


 幸代が何かを言う前に、真帆は背を向けて冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出して半分ほど飲んだ。

 思春期の娘を刺激しないようにか、幸代は真帆に声をかけるのをやめ、また骨をすりつぶし始めた。そこへ真帆が近づき、そばに置いてある遺骨のうちの数本を手に取った。


「まだいいんじゃないの?」

「そうかもしれないけどね、お母さん、毎日少しずつやりたいのよ」

「散骨って、こんなに面倒なことしなきゃいけないの? もう適当でいいじゃん」

「そうもいかないのよ。大きいままだと、誰かが見つけたら事件になっちゃうかもしれないでしょ? 二ミリ以下にしないと、罪に問われることもあるんだって。だから細かく粉にしない骨は、海に撒いちゃいけないの。だから真帆も一緒にやろう。お母さんがコツを教えるから」


 自分の隣に真帆を座らせ、幸代はキッチンからもう一セットの乳鉢と乳棒を持ってくる。そして、鉢の内側の溝に逆らうよう、斜面にこすりつけるようにして力を入れていくと良いと真帆にやってみせるが、真帆は一向に棒を握ろうともしない。

 真帆の手の中には、いまだ和真の骨が握られている。太さからみて、指の骨だろうか。


 幸代は真帆の背中と頭を撫で、真帆の気が変わるまで、一緒に待っていようと思った。

 だが真帆は、やさしくされても、放っておかれても、とにかく和真の気配がすることのすべてが気に食わないのだ、


「こんなもの、ひとつひとつ丁寧に削る必要なんかない!」


 突然大きな声を出し、真帆は幸代の乳鉢の中から和真の骨を奪った。

 キッチンカウンターに置かれていたコーヒー豆のグラインダーにそれを投げ入れ、コンセントに挿すと、幸代が制止するのもきかずにスイッチをオンにした。

 刃が高速で回転し始めたが、次の瞬間、バキッという音が鳴り響き、強制的に動きが止まる。

 真帆が怪我をしたのではないかと、幸代が慌てて駆け寄り蓋を開けてみると、骨は少しも形を変えることなく、グラインダーの刃だけが無残に折れていた。


「もうイヤッ! お兄のバカッ! 骨までバカッ! ムンバのこれ、限定で高かったのに! もう売ってないし、気に入ってたのに!」

「真帆!」


 罰当たりなことをしてはいけないと、幸代は真帆を叱りたかっただろう。

 だが、和真が死んでからというもの、自分が和真のことばかりで、真帆の気持ちを考える余裕すらなかったと、真帆には申し訳ないと思っているのだ。声を荒らげただけで、幸代は真帆を見守るしかない。

 これは発作のようなものだ、真帆が落ち着くまで刺激せずに待っていようと、それ以上は何も言わなかった。

 真帆と幸代の上に、重苦しい沈黙がのしかかる。

 どうしたものかと幸代が思っていると、真帆がいきなりグラインダーに手を突っ込み、和真の骨を掴んだ。

 真帆の指の、刃に触れた部分からは血が溢れたが、興奮している真帆は痛みなど感じないようで、怪我を負ったことにも気づいていない。そして傷口から血が流れるままの手で握った骨を、窓に向かって思いきり投げつけた。

 くるくると回転しながら弧を描く数本の遺骨は、西向きの窓から射す夕日を反射して、ところどころがキラキラと輝いていた。




 俺の、骨……?

 クルクルって回転しながら、なんか3Dみてえな勢いで、みゅうの画面から飛び出してきそうな自分の骨を見つめて、俺は呆然としてた。

 俺たちが異世界ナチュライフの会のセミナーに参加したのと同じ日、現実じゃ俺の四十九日の法要があったらしい。


 あんな死に方しちゃった俺だし、そんなことしてくれなくてもいいのに、と思ったけど、やっぱ母さんはなんていうか、俺が死んだことにまだ納得できねえっつうか、母親独特の悲しみとか喪失感なんかに胸を痛めてるんだろうな。当たり前だけど。


 こっちでの生活もそこそこ安定してきたし、家族がお金に困ることはもうねえだろうって楽観視してたけど、現実は、マジで現実はそんな甘いもんじゃねえわな。今日だって、借金取りはしつこく俺んちに来てた。


 俺が死んでから、生きてた時よりもっと真帆に嫌われたとは思ってたけど、弁解のしようもねえくらいにこじらせちまったよ。涙がちょちょぎれそうだぜ。まさか、実の兄の骨を投げつけるほど憎まれちゃったなんてな。


 俺って、つくづく能天気な大馬鹿野郎だな。

 ユイが聞いたら、「いまごろ気づいたの? バカね」って言いそうだけど、遺してきた家族のことなんか、俺がこっちで稼げばいいんだろ、くらいにしか思ってなかった。こっちでの生活が楽しすぎんのかな。

 母さんや真帆の気持ちなんか、ちゃんと考えてなかったかもしれねえな。どんなにつらいだろうな……って、少しの想像力があれば、わかるのに。

 金だけの問題じゃねえ。母さんたちの心も軽くしてやりてえよ。


「お母さん、真帆……」


 みゅうの画面にすがるように手を添えて、俺は目をつむった。ここへ来てから、色んなことに手を出しすぎたんじゃねえかって反省してるけど、今さらシャードネルのことだって諦められねえし、ヴェルト教団から出来る限りのモンスターを救いてえし、金は稼がなきゃだし、漫画だって描きてえんだからしようがねえ。

 ええい、仲間と一緒にぜんぶやりゃいいんだろ!



『次こそ合ってるんでしょうね』


 みゅうの言い方がとげとげしい。

 俺は、タクラマカン砂漠の入口が小学校の地下にあるって言われたことを思い出した。そう、ここに転生してきた直後、いつものコンビニのバイトの人から言われたんだ。

 最初に俺の家から一番近い、つまり俺が通ってた小学校に行ってみたけど、タクラマカン砂漠への入口っつうか地下に通じる通路なんか見つからなかった。

 隣の学区にある二つ目の小学校にも入口はなかった。そんで、三度目の正直。

 山下公園から近い、この『ヨコハマ市立北山下小学校』の正門前に、俺、四條さん、コジたん、それからユイの四人で来てる。

 どうしてここを選んだかっていうと、地図を広げてみんなでペンを倒してみたんだよ。

 ちゃんと考えようとしたって当たらねえと思ってさ。そしたら、四人中三人のペンがこの方向に倒れたんだ。あの体育館の中を探ってみたら、きっとすぐに地下に行けると思うんだ、たぶんだけど。



「行きはよいよい、帰りはこわい……」


 四條さんが低音のイケボで歌い始めると、コジたんもハモらせて一緒に歌いだす。

 やめてよ! 

 でもさ、砂漠に辿り着けたとしてだよ、こっちは土属性のモンスターに勝てんのは雪風とマルゲの二匹だけだぜ。

 もしも土のモンスターがうじゃうじゃ出て来ちゃったら、そん時はどうすればいいすかね。

 強い奴を探しに来たのに、返り討ちに遭うどころか、逆に俺らのモンスターを取られそうになったら……。

 懐中電灯で照らしながらグラウンドを横切って、そうやってあんまりよくねえ想像をしてたら、体育館の前に辿り着いた。


 あぁ、やっぱりね。

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