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第62話 『異世界』のアイドル

 スタッフに誘導されて選手入場口に到着した秋葉としおんは、しばらく手持ち無沙汰な様子で無人になったバトルフィールドを眺めていた。

 短時間で白熱もしない、カズマと草野のつまらない試合が終わったあとのそこに、何人かのスタッフが急いで入ってくる。そしてミミズバーがぐちゃぐちゃに荒らした土を平らにならし、改めてラインを引く。

 作業している本人たちにとっては、十分程度で清掃と調整を終えなければならないのは大変な仕事なのだろうが、観客にそれを悟られないよう、BGMはとても和やかで心落ち着くものだった。


 その様子を見るわけでもなく、衣装の汚れやシワを気にしている様子のしおんに、いちど深く呼吸をした秋葉が話しかける。


「ねぇ君、本物の牧内しおん……だよね?」

「本物? 私に本物と偽物がいるの?」


 しおんは秋葉を見上げてくすくすと笑う。

 可愛らしい笑顔を見せられた秋葉は、ヘンなことを言ってしおんの気を悪くさせたくないと、照れた振りをして自分の首を掻く。目の前にいるのは、本当に「あの」しおんなのだと、感激に胸を震わせながら、数ヶ月前の不思議な体験を思い出していた。




 弁当が三つと、シュークリームが二つ入った袋を提げ、秋葉は自動ドアの前に立った。


『お疲れっすー』

『あー、秋葉くん、明日の夜も入れる?』

『いや、明日はちょっと無理っすね。すんません!』

『いやいや、じゃあお疲れさま』


 オーナー店長の田中が、モンスターフードを棚に収めながら笑顔を見せる。


 深夜のコンビニには客もそれほど来ないし、客が来ないということは、やることも昼間のシフトよりはずいぶん少ない。割のいいバイトだと言われることもあるが、退屈なのは否めないし、友だちと遊ぶ機会も減ってしまった。

 そろそろ違うバイトを探そうかと思っていた秋葉は、家への道をバイクで走っていた。

 早朝四時を回ったところで、道を歩いている人などほとんどいない。犬を散歩させている高齢者とすれ違っただけで、あたりは閑散としていた。

 ハンドルにぶら下げた弁当とシュークリームの袋が、がさがさと音を立てる。その音で急に空腹感をおぼえた秋葉は、早く家に着きたいとスピードをあげた。

 あと二分もあれば家に着く。今日の弁当は、外国産と比べて高価な国産のうな重と、かつ丼だ。「コンビニの弁当は、廃棄すればするほど儲かる仕組み」──なんてなんかの記事で見出しだけ見たけど、なんとかなんねえのかよ、と思いながらスピードを緩めずに角を曲がろうとしたその時、小さなモンスターが道を横切った。


『危ねぇ!』


 反射的に思いきりブレーキをかけると、秋葉の身体は前のめりに大きく引っ張られた。前輪がロックされ、後輪が高く跳ねあがる。

 そのままバイクごと前転するように転倒し、秋葉の身体は大きく飛ばされて道路に叩きつけられ、そのまま二十メートルほど滑走した。

 その様子を見ていたモンスターは、驚いて反対方向に走り去ってゆく。意識を失くす瞬間の秋葉の目には、無事だったモンスターの可愛らしいピンクの尻尾が映っていた。



 目が覚めると、憶えのない場所だった。

 見知らぬ公園のベンチの上、気持ちの良い木陰で居眠りでもしていたようだ。

 周囲を見回したが、自分のバイクは見当たらない。そして驚いたことに、あれだけの事故を起こして一切の怪我を負っていなかったのだ。


 自分は確かにバイクで事故を起こしたはずだ。秋葉はそう思ったが、何かがおかしい。

 ここは今まで生きていた場所ではない、もしかしたら異世界に来てしまったのかもしれないと、そう思い当たった。

 まさか「異世界」なんてものが本当にあるとは思っていなかったが、そうでなければ説明がつかない。

 だってここにはモンスターがいないのだ。街中にも公園にも川にも、いたるところに棲んでいたモンスター。それがどこにも見当たらず、その代わり人の数が尋常ではない。おそらく今までの世界の五倍以上はいるだろう。


 いや、それともここは死後の世界か? 

 ここにいる人間たちには、血が通っている感じがしない。誰一人としてガーディアンではなく、みな小さな画面を見ながら歩いている。

 人同士が会話しているわけではなく、画面にむかって、あるいは何もない空中に向かって言葉を発している人たち。なんと奇妙で、不気味なのだろう。


 ふと、ギアゲルギのことが心配になり、秋葉はパートナーを呼び出そうと地面に手を向けるが、一切反応はなく、ギアゲルギがいる気配さえ感じられない。


『とうなってんだよ……』


 不安と心細さで泣きそうになりながら、秋葉はよろよろと歩きつづける。

 繁華街にやってくるとさらに人の数が増して、あたりはいっそううるさくなり、誰かにぶつからずに歩くのが困難なほどになった。


 ビルの外壁に設置された巨大スクリーンに、アイドルと思しき少女が映されている。

 秋葉はぼんやりとそれを見上げると、画面左端で踊る少女に釘付けになった。


 バイク事故で死んだ俺は、この子に出会うために異世界に転生したのかもしれない。


 そうでも思わなければ、自分のことを知る者が誰ひとりいない、お金もモンスターも、「何一つ持たない自分」という現実に耐えられなかっただろう。

 そのアイドルのおかげで、秋葉はかろうじて自分を保つことができたのだ。

 秋葉は、Palleteの出番が終わるまで、ずっとそのスクリーンを見ていた。牧内しおんに会うためにはどうしたらいいかと考えたが、それ以前に、ここで生きていく術を、秋葉は何も知らなかった。

 

 転生二日目、三日目とビジョンを見に行ったが、しおんが登場することはなかった。

 そして、秋葉は初日以降、何も飲食していないことに気づく。

 どうして今まで気づかなかったのかといえば、空腹も喉の渇きも感じなかったからだ。

 やっぱりここは死後の世界だからか、と思ったが、行き交う人々はみな普通に飲んで食べている。

 自分だけがなにも口にしなくても苦痛でないということは、つまり自分は、異世界(ここ)に生きてはいないのだと、はっと気づく。


 すると次の瞬間、意識が朦朧として視界が急に昏くなった。秋葉はその場で倒れてしまうが、遠くの方で何かが聴こえるような気がして、覚醒しようとしているのを自覚する。

 誰か、誰かが自分の名前を呼んでいる。これは、母親の声だ。

 強張っていた指がピクッと動き、まぶたの下で眼球がゆっくりと動く。重く感じるそれを上げると、視界に入ったのは自分を覗きこむようにしている母親の顔だった。その顔がたちまち歪み、わぁっと泣き出す。


『洋一! 洋一、わかる?』

『……母ちゃん? なんで泣いてんの』


 秋葉の声を聞いた母親は、口に手を当てて泣きながら言う。


『あんた、三日間も目を覚まさなかったのよ。バイクの事故であちこち骨が折れて、病院に運ばれたの、憶えてないの?』

『そっか……。ってて』



 バイクから跳んで道路に叩きつけられた秋葉は、四か所の骨折と打撲、擦過傷などの大怪我を負ったが、幸い全治二ヶ月程度で完治するそうだ。ギプスはまだ外せなくとも十日ほどで退院できると言われ、秋葉は一命を取り留めたことに安堵する。


 だが、何かを置き去りにした気がして仕方がなかった。

 意識が戻らない間、自分はここではないどこかで、重要な出会いをしていたような気がするのだ。

 一体なにと……? あるいは誰か、だったのか? 

 そんなうっすらとした記憶が残り、時々はそのことを思い出していたが、隠されたようなその記憶がよみがえることはなかった。




 祝日の今日、暇つぶし程度に異世界ナチュライフの会のセミナーに申し込んだ秋葉は、プランシャとのバトル希望と挙手した中に、とうとうしおんを見つけたのだ。

 そして、彼女を追うように自分も立候補する。自分の運の良さは、母親のお墨付きだ。


「俺さ、きみが生きてた世界に行ったことがあるんだ。そこできみを見てファンになったんだけど、そのことをずっと忘れてて、でもさっききみを見つけて思い出せたよ。俺にとっては当たり前のこの場所が、きみにとっては『異世界』なんだよね。そう、きみは死んでしまった……。でもだからこそ出会えて、バトルが出来る。このチャンスを俺はみすみす逃したくないんだ」


 秋葉の言葉を聞きながら、しおんはじっと見つめるだけで何も答えない。そのしおんの前に手を差し出して、秋葉が言う。


「俺がこのバトルに勝ったら、デートしてください」

「あら? 自信があるの? 私のモンスターに勝てるって」

「あるよ。俺のあいつは頑丈だからね」

「うふふ、楽しみね。じゃあ、あなたが勝ったら、そのお願いを聞いてあげる」


 十五分という短いインターバルが終わり、バトルフィールドが赤く染めあげられる。

 さっきまでの七色の光とは違う、一回戦最終、第四試合に相応しい演出は、やっと空が暗くなり始めた今だからこそ効果的だ。


「秋葉選手、牧内選手、それぞれの入場口へお進みください」


 スタッフが、ふたりをそれぞれの入場口へと案内する。しおんは秋葉に手を振り、狭い通路の中に入るとモンスターを出現させた。


「私たちが負けるはずがないわ。そうでしょう、アンディ」


 嬉しそうに返事をしようとするモンスターに向けて、しおんはしぃーっと人差し指を唇の前に立てて微笑み、そして手招きをした。

 ゆっくりしおんに近づくモンスター・アンディは、太い腕でしおんを抱き上げると、自分の肩に座らせる。


「行こ、アンディ」


 不敵な笑みで顔を見合わせたしおんとアンディは、Palleteの曲を口ずさみながら通路を進んでいった。

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