第46話 ユイとピアリーシャ
巨大なガラス張りのサロンは、幹線道路沿いの交差点に位置していた。病院とサロンの名前が記された立て看板の脇には、大きく育ったコナラの樹が繁っているため、前を通る車から店内が丸見えになることはない。
加えて歩道からサロンの入り口までは、両側に草花が咲く小道が続いており、その奥には人工芝が敷かれた小さなドッグランもある。
歩道を歩く人々がちょうどサロン前の角を曲がるとき、良く磨かれたガラスの向こうに、家庭犬やモンスターのグルーミングをするユイの姿を見ることができた。
このサロンの利用者の五割は、ペットとして飼われている犬のオーナーで、残りの五割はモンスターのガーディアンだ。
ひと言でモンスターといっても、属性や毛並み、大きさなど個体差は大きいが、ユイは主にモンスターのグルーミングを担当していた。
トリマーの資格を持っていないユイは、当然グルーマーとして働くしかないのだが、ただ犬やモンスターの体毛をカットするだけが仕事のトリマーよりも、ブラシやコームで毛並みを整えたり、爪を切ったり、耳の掃除をしたりと、細やかな世話ができるグルーマーの方が、自分には向いていると思っている。
トリミング台の上で毛をカットされていたモンスターのシャンプーが終わり、ドライヤー掛けを手伝ったあとは、ユイの腕とセンスの見せどころだ。
モンスターに話しかけながら、その個体が心地よく過ごせるように、より可愛くかっこよく、素敵なモンスターに見えるよう、愛情をこめてお世話をする時間は何より充実していた。
本来のユイは、とてもやさしいのだ。カズマに対しては、なぜか不必要なほどにきつく当たってしまうのだが、モンスターのことはとても大切に想っている。
いつかは動物病院の方の手伝いもしたいと考えるユイだったが、それが現実的でないこともわかっていた。
約二週間前、ユイ、カズマ、四條の三人は、やっと拠点となるアパートを見つけて住まうことになった。最寄り駅は横浜線の鴨居だ。元いたカズマの実家横の空き地と比べると、通勤時間も長くなった。
日によっては二件程度の予約しか入っていなくても、バイト代は変わらず一万円支払われている。それは、動物病院の院長がユイの身内だからなのだが、さすがに引っ越したからといって、この上交通費まで上乗せしてもらえるわけではない。
やっと、カズマと四條と三人で「家族」として生活し始めたのだ。自分だけ専門学校に通ったりと、抜け駆けのようなことはしたくないし、するべきではないと思う。
自分がやるべきことは、カズマにこの世界の厳しさを教え、時に導き、モンスターを好きになってもらうこと。
ひのまるや雪風のガーディアンになり、カズマはもうとっくにモンスターのことが大好きになっている。モンスターとの関わり方など自分が教えるまでもないと、ユイはカズマを信じているが、あの要領の悪さを見ると、どうにも苛立ってしまうのだ
そして、カズマはついにヴェルト教団に辿り着いた。
かわいいピアリーシャの耳の横に付けるリボンを選びながら、ユイの手がはたと止まる。
ヴェルト教団の支配から逃げてきたシャードネルのことは、どうにかして救ってあげたい。自分たちの家を気に入ったシャードネルが、新たなガーディアンを持たずに穏やかに暮らしたいと願うのなら、それでもいいとユイは思う。
だがカズマはきっと違うだろう。ひのまるに雪風という十二にゃんのうちの二匹のガーディアンになったカズマは、もともと猫好きなのだ。シャードネルのことも自分のモンスターとして可愛がりたいと思っているに違いない。
そしてヴェルト教団の悪事を知ったカズマたちは、捕らわれたモンスターたちを助けるために、ユイ抜きでもあの手この手を尽くすだろう。
自分もついこの間まで、一緒にヨコハマ洞窟で水晶を採ったりと、行動を共にしていたのだ。
今回は代わりにあのオタクの人が手伝ってくれるようだが、カズマはそれで不安ではないのだろうか。自分がいなくても大丈夫なのだろうか。
急に寂しさに見舞われて俯いていると、ピアリーシャが鼻を押し付けてきた。
「ピニャリ?」
「ありがとう。だいじょうぶよ。ほぅら、こんなにふわふわになった。ママがお迎えに来るの、楽しみね!」
「ピにゃあ~」
ピアリーシャを鏡の前に立たせると、ふふん、と得意げにポーズをとっている。左右の横顔を映し、耳の横に付けてもらったリボンを揺らして、とても嬉しそうだ。ユイはその後ろで、コームやドライヤーなどの道具を片づけている。
ピアリーシャは、『モンスター図鑑』に掲載されている中でも、群を抜いて人気のあるモンスターで、もちろん十二にゃんのうちのひとりだ。
手脚が長く華奢な体形だが、その前脚で踏みつけられると、相当重いモンスターでも身動きができなくなると言われている。全体的にふんわりとしたパステルカラーの被毛は、柔らかで長く、小さな顔に大きめの耳はぴんと尖り、濃いめのピンクで縁どられている。そしてくっきりとアイラインが入った瞳は濃いブルーだ。四肢の手首・足首に当たる部分には真っ白い羽のような形の飾り毛がついており、それは危険を察知すると青く変化する。
モンスターの売買は許可されていないため、運が良ければ非営利の保護団体が運営する「里親募集サイト」等で出会うことができるかもしれない。そしてうまく審査が通れば譲ってもらえることもあるが、なにしろ人気のモンスターなため、供給数はとても少ない。
また、「里親募集サイト」等に応募する者の中には、少なからず「里親詐欺」がつきまとう。
それは一般的には転売、または虐待目的の申し込みであるが、ピアリーシャのような人気モンスターを欲しがるのは、圧倒的に前者が多いとされる。特に富裕層に絶大な人気のピアリーシャは、かなりの高額で取引されているようなのだ。
また、モンスターの種によっては、いくら里親募集サイトに応募しても、条件的に断られてしまう人もいる。
たとえば独り暮らしの男性や、小さな子どもがいる家庭などでは、モンスターの安全確保やストレス軽減のため、なかなか譲渡してはもらえないのが現実だ。
それでも、どうしてもモンスターが欲しかったら……?
そういう人が最終的に利用するのは、言うまでもなくヴェルト教団のような組織なのだ。
どんなに欲しくても、正規ルートで手に入れることは叶わない。野良のピアリーシャなどいるはずもない。ブリーダーを探そうにも、どうすればいいのかわからない。
そんな人の耳に、悪魔のささやきのようにヴェルト教団からの知らせが届くのだ。
『あなたを待っているモンスターがたくさんいます。希少種も多数。ご連絡お待ちしています』
念願のモンスターが手に入る? この家で一緒に暮らせる? 子どもと庭で遊ばせてやれる?
有頂天になった人々は、愛するために、可愛がるために迎えるモンスターが、どこからやってくるのかを知らない。想像することもない。ただただ、モンスターを迎えたい。可愛がりたい。その一心で、結果的にはヴェルト教団の悪事の一端を担ってしまうのだ。
モンスターを可愛がりたいという純粋な想いが、醜い欲望と背中合わせだということには誰も想いを寄せることなどない。
自宅に迎えたこの子が、過酷な環境下で、無理なブリーディングに耐えていたモンスターから生まれたのだと知っていたら、高い金額で購入しただろうか。
ユイは、人間の底知れぬ欲望を恐ろしいと思いながらも、その仕組みを理解できる自分にも気づいていた。
モンスターに限らず、「転売ヤー」をはびこらせているのは、まぎれもなく「買う人間」がいるからなのだ。
ユイはヴェルト教団を憎んでいるし、モンスターを苦しめる彼らのことを許せないと思っている。
だがユイは、それ以上にヴェルト教団には関わりたくない。だからどうか、カズマたちには作戦を成功させて、無事に帰ってきてと祈るしかなかった。
待合室が混雑してきた。時間になると、ピアリーシャの持ち主が現れ、トリミングルームに入ってくる。
「んまぁ~、ワルキューレちゃん、見違えるようだわ。次もこのお店でやってもらいましょうねぇ」
「ありがとうございます。本日担当させていただきました、ユイです。ワルキューレちゃん、かわいくて大人しくて、とってもお利口でした。何かお気づきの点はございませんか?」
「あら、綺麗なお嬢さん。ふふ、ふたりの相性がよかったのかしらねぇ。ええ、毛の長さも手触りも、申し分ないですわ。かわいいおリボンまでつけてもらって」
上機嫌で話す客は、ブランド物のキャスター付き高級キャリーケースにワルキューレを入れ、ユイに一礼をする。そしてトリミングルームを出る前に、甲高く機嫌の良さそうな声で言った。
「ピアリーシャって、珍しいでしょう? 主人のつてで、やっと入手できたんです。ブリーダーさんを何人か知っていますけど、どなたもピアリーシャはやっていなくてねぇ、繁殖が難しいって聞きましたけど、実際にそうなのかしら? あなたお詳しそうだけど、ご存知?」
「申し訳ありません、私はまだ見習いなので、あまり詳しくないんです。ドクターだったら知っているかも知れませんので、今度ワルキューレちゃんの健康診断の時にお聞きになってみてください」
「あら、ご親切にありがとう。では病院もこちらに変えようかしらね。でね、とても高かったんですよ、この子。でも、お値段なんて気にならないほど、この子との暮らしは毎日が幸せなの」
「そうですか。私もピアリーシャを実際に見たのは初めてでした。人馴れしていて、普段から愛されているのが伝わってきました。ぜひまたお手入れさせてください」
「ええ、ありがとう。またお願いするわ」
婦人はにこにこしながら去ってゆく。ふと、窓にぺたんと手のひらをついて中を覗いている女の子と目が合った。
その子は、婦人が引く透明なキャリーケースの中のピアリーシャをじっと見つめ、それからユイに笑いかけたが、ユイは寂しさを感じ、ぎこちない笑顔を返すことしかできなかった。