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第42話 アインとツヴァイ

 大観覧車・コロモクロックの中央に配置されたデジタル時計の時刻は、ちょうど十八時だった。あと一時間ですべての準備を済ませなければならない。

 入団してまだひと月という新米の教団員たちは、明日のセミナーで使用されるパイプ椅子の設置や、来場者に配布するパンフレットの準備などに追われている。その中でも十歳に満たないと思われる少女がふらふらしながら椅子を運んでいると、急に腕の中がふわっと軽くなった。驚いた少女が見上げた先には、背が高くやさしい雰囲気の男が立っていた。


「ありがとう。続きは私がやるから、向こうでお母さんと一緒に休んでおいで」

「ツヴァイさま……、でも」

「大丈夫。ここの責任者は私だからね」


 娘が教団幹部と話しているのを見つけた母親が急いでやってきて、そこに跪いて訊ねた。


「申し訳ございません、ツヴァイ様。娘が何か粗相を……?」

「いえ、よく働いてくれましたよ。少し休憩なさい」

「勿体ないお言葉をありがとうございます」


 少女の母親は何度も頭を下げながら娘の手を引き、会場の隅に移動して腰を下ろした。

 それを見届けたツヴァイは数人の部下を呼びつけると、椅子の並べ方が間違っていると注意し、自身も作業に参加した。



 「異世界ナチュライフの会」と称して開催されるセミナーは、通常は野毛にある「異世界会館」の貸会議室で行われていた。

 主催するヴェルト教団が、集まった参加者の中から新たに入団する者を選別するための場として重要な役割を担っている。

 明日は祝日ということもあり、記念すべき百回目のセミナーはみなとみらいのコロモワールド近くにある「鬼瓦パーク」内のイベント会場で行うこととなった。

 事前の参加申し込みは過去最高の三百人を超え、「もう二度と死ぬこともできない」異世界といえど、みな健康に気を遣いたいのだということがわかる。


 今回のメインは、鬼瓦パークだからこそ可能になった、巨大スクリーンでのビデオ上映だ。その内容は、ナチュライフの会が取り組んでいる自然派食品を作るところから始まる。もちろん「ヴェルト教団」の名を出すことはない。あくまでナチュライフの会としての活動を紹介するというものだった。

 無農薬栽培された米、麦、野菜等を収穫する様子、それを使ったパンや食事を摂り続けることによって、自分がいかに健康になったかを話す生産者たち。工場や流通過程の実際と、幸せそうな顔をした仲間たち。

 それに反し、不健康な顔色でイライラを周囲にまき散らす一般人。彼らはみな、農薬や食品添加物の悪い影響を受けているのだと、どす黒く彩色されている。


 教団員のインタビューでは、セミナーに参加したことがきっかけで健康と幸せを手に入れることができたと、何人もが口を揃えて話すシーンに続く。登場する教団員たちはみなコピーを貼りつけたように同じ顔で笑い、動作も似通っている。まともな精神状態で鑑賞すれば気味が悪いと感じるはずだが、巧妙に編集されたこのビデオを見た参加者の多くは、これこそが真実であると何の疑いもなく思い込んでしまうのだ。ビデオを見る参加者たちの顔を別室のモニターでチェックする幹部たちが、暗示にかかりやすそうな者を選別し、上映が終わったあとに個別で話をする。さりげなく資産状況や持っているモンスターなどを聞き出し、教団にとって有用だと判断された者だけを残し、あとは無添加クッキーを持たせて帰すのだ。



 壇上に設置されたマイクのスイッチを入れ、感度を確かめてからまたスタンドに戻したアインは、幹部の中でも自分より上級であるツヴァイの姿をみとめて眉間にしわを寄せた。

 販売するモンスターの育成を中心に教団を支えているツヴァイは、自分のように現場に出向くことはほとんどないはずだ。それなのに大規模なイベントとなる今回に限って、下っ端にやらせるべき作業に自らすすんで参加するとは、サガラから一体どのような命令を受けたのだろうと勘繰ってしまう。

 

 人当たりが良く、モンスターの扱いもやさしいと思われているツヴァイは、どんな目的があってヴェルト教団に在籍しているのか。アインは彼を信用できないどころか、常に疑惑の目で見ている自分に改めて気づいた。

 しばらく睨んでいると、気配に気づいたツヴァイが振り向いてアインの視線を捉えた。互いの視線で一直線に繋がったまま、ツヴァイはアインに微笑みかける。

 その容貌をなんと表現したらよいのか、アインは全身の肌が粟立つのを自覚しながらかろうじて微笑みをかえすが、たった今感じているものが恐怖であると認めるまでには数秒を要した。徐々に速く打つ鼓動、喉を絞られているような息苦しさ。本能が警鐘を鳴らしている。この男を敵に回したら危険だ、と。


「アインさん、こうしてお話しするのは久しぶりですね」

「ええ、私は現場仕事が多いものですから。セミナーの準備など、ツヴァイ様にご足労頂くことではないのでは?」


 歩み寄ったアインがツヴァイに声をかけられると、思わず嫌味を言ってしまった。まずいと思ったが、口から出てしまったものはもう仕方がない。自分はツヴァイを邪魔に思っているのだ、そしてそれはサガラの思惑が読めないせいだと理解した。

 ツヴァイは数秒間沈黙し、アインの愛想笑いにくくく、と喉を震わせた。


「これはこれは、随分と嫌われているようですね。だがアインさん、我々の仕事はサガラ様の命によって決められるもの。私もあちこち調査したいとは常に申し出ているのですよ」

「嫌いだなんてとんでもない。ツヴァイ様のことは尊敬しております。モンスターたちを強く懐きやすく育て、その価値を上げているのは他でもない、ツヴァイ様なのですから。それと、ツヴァイ様が捕獲現場にも興味を持ってくださるのだとしたら、その際はぜひご一緒させていただきたく思います」


 胸に片手を当て、アインはツヴァイに礼をする。自分の言葉と態度を果たしてツヴァイはどう思っているのか、また視線を合わせるのが怖ろしかった。


 ツヴァイはもともとの風貌や声色こそやさしく感じられるが、表情を取り繕うということをしない。それはきっとサガラに対しても同様なのだろうが、なぜかサガラはツヴァイに全幅の信頼を置いているようだ。

 目の前の男の正体がなんなのか、尻尾を掴んでサガラに報告してやりたい。教団を乗っ取りたいとでも思っているのだろうか。とにかくツヴァイは要注意だ、とアインは考える。


「それは素晴らしい提案です。さっそく明日、二人でサガラ様に直訴しましょう」

「は……?」


 この男はなにを言っているのだろう、とも思ったが、アインは頬を引き締めて頷いた。


「ええ。二人一組のチームで行動した方が、効率も上がると思いますわ」


 敵に回すべからず。なら仲間になればいい。アインとツヴァイは握手を交わし、互いに信用のできない笑みを顔に貼りつけた。


 今後もギュレーシィレベルの強いモンスターを捕獲するようサガラの命令が下ったとき、いつまでもあの三人の部下たちでは心許ないのだ。要するにあの男たちは使えない。まったく気が利かないし、言われなけれは自分からは何も行動しない。常に指示待ちの状態では役に立たない。


 ツヴァイとチームを組むこと。まずはサガラの許可が出るかだが、行動あるのみだ。

 不敵な笑みを残して去ってゆくツヴァイの背中を見つめ、アインは拳を握りしめた。

 いまに化けの皮を剥いでやるわ。そして私があなたのポジションについたら追放してやる。


 ツヴァイを追い落としてやると闘志を燃やしながらも、アインの身体は自身の内から湧き上がってくる恐怖に耐えるのが精いっぱいだった。

 悔しい。悔しい。この私が怖ろしさに震えるなんて……。

 両腕で自分の身体を抱き、冷たい北風が吹き抜けるのに耐えながら大観覧車の時刻を見遣った。あと三十分ほどで七時になる。



「あの、すみません。トイレはどちらでしょうか」


 明日、その時間になったらすぐに再生できるようビデオの確認をしていると、自分と同年代と思われる女性が声をかけてきた。

 視線を下げると、さきほどツヴァイが作業を代わってやっていた少女が、赤い顔でもじもじしている。


「会場を出て右に曲がり、すぐ目の前の通路を……、わかりづらいので案内しますね」

「ありがとうございます。もうすぐだからガマンね。カナ」

「う、うん! おねえちゃん、ありがとう!」


 「おねえちゃん」と呼ばれ、アインの脳裏に現実に残してきた妹の顔がちらついた。

 死んだのに死ねないこの世界で、悪質な商売の片棒を担いでいると知ったら、あの子はどんなにがっかりするだろうか。


 日没から随分時間が経っている。吹きつける風は弱いが、空気は冷たい。

 澄んだ外気に大観覧車のイルミネーションが七色に光っている。

 隣を歩く母娘は、どんな理由でここに来たのだろうか。モンスターは持っているのか、持っていなければ教団内での待遇は最低ランクだろう。まだ入団して日が浅いなら普通の生活に戻れるのではないか。

 だが立場上、自分の口から「戻れ」と言うことは出来ない。



 カレイドスコープ。万華鏡……か。


 きらきらと形を変えるイルミネーションは、万華鏡の中を覗いているようなデザインだった。

 覗きこんだら終わり。

 ヴェルト教団という深淵を覗いたがために、予想もしなかった行為に手を染めることになった。

 だが後悔はしていない。それほどにサガラの魔力には底がないのだ。

 どこまで落ちてゆくのか自分で見届けたいと、二度と死ねない世界の中でアインは哀しげに唇を歪めた。

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