第4話 刺身か炙り焼きか
俺の猫さまは、オレンジ色に透き通る綺麗な炎をスヌードみたいに首にまとって、目からはゆらゆら揺れる赤い炎をだしてる。うん、やっぱり可愛い。あの気が強そうな顔がたまらん。大きさは、いわゆる中型犬くらいってところかな。体重でいえば二十キロちょっとの、ボーダーコリーとかそのくらいの大きさだと思う。
それに引き換え相手の手のひらから出てきた魚は、なんだ? 魚類ではあるんだろうけど、釣られたアジみたいにバタバタしてるわけじゃもちろんなく、蛇のように身体の前半分を立ててる。全長は六メートルくらいあって、だから地上から頭までは、約三メートルってところだな。まさか魚に見下ろされる日が来るなんて思ってもみなかったぜ。キレイな色のヒレがゆらゆらしてて、魚っていうよりは竜に近いイメージだけど。
いや、だけどアレじゃね? 魚って猫の捕食対象じゃん。完食するにはデカすぎるけど、俺の猫さまならこの魚を食っちゃうかもな。まずは刺身で! んで、あとは干物にして旅の保存食にしてもいいかな。
ところで、魚の攻撃ってどんなのだ? リンリンの鱗粉みたいに、ウロコを飛ばしてくるのかな。それともカジキみたいにヒレの端っこが鋭利で切れるとか……。色は熱帯魚みたいに明るく綺麗で、ピンクや薄むらさきの配色はセンスがいい。そんで顔もやさしそうだ。
でも、バトルはバトル、敵は敵だ。俺はこの巨大魚を倒して賞金を手に入れなきゃならない。
「申し遅れました。私は四條幸成、パートナーはマルゲリータです」
「マルゲリータ、ますます美味そうですね。……あ、いや、宮本和真です。パートナーは……」
しまった。まだ猫さまの名前を決めてなかったじゃん。バトル中に名前を呼べないのも不便だけど、ま、今回だけごめんな、猫さま。地上に降り立った猫さまは、目の前の巨大な魚・マルゲリータを見て全身の毛を逆立てて威嚇し出した。目が三角に吊り上がって、カッコいいぞ!
「ほほぅ、まだパートナーを組んで日が浅いと見える。戦い慣れていないようですね」
余裕しゃくしゃくって感じであごに手を当てて、四條幸成……さんは言った。なーんか上からっぽくて微妙にムカつくなぁ。慣れていようがなんだろうが、俺の猫さまはぜってー負けない。なぜなら、マルゲリータが現実世界で魚類だとすれば、猫さまは猫だ。トップハンターの猫が、鮮魚に負けるわけにゃいかねえだろ。
「慣れてなくても、猫さまは負けず嫌いですからね。とっととやりましょう」
俺と四條さんの視線がバチバチって音を立てて絡み合った。それを合図のように、マルゲリータがまず先に動く。
極太の蛇みたいに地面にどおーん、と転がった先の尾ビレを華麗に振るう。その途端、バケツをひっくり返したような大雨が俺たちの上だけに降ってきた。猫さまはすばやく飛び上がってずぶ濡れになるのを避けて、空中から炎の弾を連射する。が! 厚い水の膜で覆われたようになってるマルゲリータにその攻撃が届くことはなく、燃える弾はことごとくマルゲの体表面で消えた。
「クッソ、なんだよ。魚が水を操るなんて聞いたことねえぞ」
ぼそっと呟いた俺の台詞を、ユイは聞き逃さなかった。
「カズマ! あんたって本物の救いようがないバカね! 海や湖の生き物が水を武器として使うのは当たり前じゃない! そんな基本のキも知らないでバトルして勝とうなんて思ったの? あーあー、もうほんとやんなっちゃう。いい? 魚類の属性は『水』よ。忘れないで!」
ユイは俺をコテンパンにディスるけど、そもそも「属性」ってなんだよ。それってどんな異世界でも共通の決まりごとか? だったら猫さまはなんで「炎」なんだよ。初めて他人とバトルしてるんだぜ。もうちょっとこう、チームらしく応援とか勝つためのヒントとか、そういう声援を送ったっていいだろうがよ。
「宮本さんは、本当に初心者なんですね。その猫ちゃんを困らせるのも可哀想だ。ギブアップしても、いいんですよ」
四條幸成、このやろう。眼鏡のブリッジ部分を中指でちょっと上げるっていう、漫画っぽい仕草なんかしやがって。俺のことはいいけどよ、猫さまをナメたこと言うと承知しねえぞ。
「ご心配なく。こいつは今、マルゲリータをどうやって焼き魚にするか考えてるんですよ。とても食いきれない量になりますけどね」
自分のパートナーをバカにされるのは、絶対に気分の悪いものだ。きっと四條さんの方が俺より頭がいいから皮肉も上手いだろうけど、俺もマルゲのやつを貶めることを言ってやった。でも、「どうだ!」とは思わなかった。言ってから後悔。戦う相手のことは、常にリスペクトするべきだ。
「では、再開しましょうか。手加減はしませんよ」
マルゲが立ててる上半身をゆらっと動かした。胸ビレと腹ビレが細かく動いて、そこからマシンガンみたいに水の弾が連射される。それを脇腹に食らった猫さまは、「ぎゃっ」と声をあげて地面に叩きつけられた。
「猫さま!」
思わず走りを寄ろうとした俺をチラっと見て、猫さまは素早く立ち上がる。そうだよな、助けになんか入られちゃプライドが傷つくよな。だけど猫さま、首の周りで揺れてた炎の勢いが気のせいか弱くなってるじゃん。それってダメージがあるって印なんじゃねえのかよ……。心配でたまらないけど、俺はぐっとこらえて腕組みし直して考える。
水をまとったマルゲには、炎の攻撃は不利らしい。その上、体格はマルゲがはるかに優ってる。このまま猫さまが負けるなんてことになったら、賞金稼ぎどころか逆にこっちが払う羽目になるじゃんか。どうすんだよ! カネなんか持ってねえぞ!
「カズマ! 水攻撃には気をつけて! 首の周りにある炎が全部消えたら、猫さまは死んじゃうわ!」
ユイの言葉に、俺は手のひらがじっとり汗ばむほどには追い詰められた。猫さまが死ぬ? 異世界では「死」の概念てどんなのだよ!
焦りまくってバトルに集中できない俺の隙をついて、マルゲが砲弾のような水の塊を放ってきた。俺と猫さまは左右に飛んで無事だったけど、それは後ろにあった電柱の根元を直撃した。水によってでっかく地面が抉られて、電柱の根っこがむき出しになって、次第にぐらぐら揺れ出した。先端に重い電線がたくさんくっついた状態のそれが倒れるのは当然のことで、それはユイに襲いかかった。
「ユイ!」
とっさに助けに入った俺は、ユイを突き飛ばしたはいいが、自分の脚が下敷きになるって言う失態に見舞われた。電柱から脚を引き抜いてみたら、おおぅ……、ひでえ打撲と五センチくらいの裂傷。ひぇー。
「うわ、いってえぇぇぇ! なんだよ、俺死んでんだよな!?」
「バカズマ! 何やってるのよ! そうよ、どんなに大怪我をしたってここで死ぬことはないの! だから咄嗟の行動はダメだって言ってるじゃない!」
「聞いてねえよ、そんなこと! くっそ、痛てぇ……。とにかくこのバトルに勝たなきゃ話になんねえぞ」
お前を助けて怪我したんだぞ! もう少し人をいたわる心ってもんがお前にはねえのかよ! 言えないけどそう思った。でも、ユイも泣きそうな顔をしてた。強がってるのは四條さんにむけたパフォーマンスだ。こっちが「負け」を意識してるなんて、相手に知られたら本当に負けだ。
「私のマルゲリータは加減というものを知らないんです。そこはこの世界のバトルですから、どうかご容赦を」
あー、そうですか。加減を知らねえなら教育してやれよ、って言いたいけど、四條さんのその台詞だって、バトルを盛り上げるための演出みたいなもんだ。俺だって負けてねえぞ。
「加減ですか? そんなことしてたら猫さまに秒で切り裂かれますよ。こっちだって加減はしないんで」
強がって自分を追い込んで、そんで勝つのはいいことだ。勝つためのバトルだ。現実世界に遺してきた母さんと真帆のために、俺は負けるわけにはいかねえんだよ。
スリスリしてくれる猫さまの頭を撫でた。首の炎は二割くらい縮んで見える。大丈夫なのかよ。
「辛くないか? まだ二回目のバトルなのに、ごめんな」
猫さまの頭を撫でながら俺は考える。敵の属性は「水」。その威力は消防隊の放水よりも強力だ。そして猫さまは「炎」で、正面から属性同士をかちあわせたらこっちが不利だ。何かあるはずだ。そうだ、さっきの電柱は……。
「あなたの可愛いパートナーを殺したくはない。降参したらどうですか」
「いーや、俺は諦めが悪くてね」
俺は自分の言葉にはっとした。そうだったか? 自分が漫画を描いてた頃のことを思い出す。俺は独りでやってたから諦めたのか? 守るべきものに気づかなかったからじゃないのか……?
いままでは距離を取っていたマルゲが、巨大な身体ごと近づいて来る。うっ、怖え。そして四條さんが声をかけてた『七色の水』の発射準備にかかったようだ。俺は猫さまとアイコンタクトをとり、右方向に走るように念じた。
「ひのまる……、そうだ、ひのまるーっ! 走って跳べ!」
傾いた電柱の上を走り、ひのまるはその先端を目指す。ひのまるを追って高速で這ってきたマルゲが電線に触れた。表面にまとう水に電気が反応してパチパチとスパークする。感電したのか、マルゲの動きが圧倒的にのろくなった。それでもマルゲは七色の水を発射しようとひのまる目がけて口を大きく開けた。
「今だ! ひのまる!」
「んっ、にゃーっ!」
ひのまるが叫ぶ。すると喉の奥から赤と青をねじったような炎が吐き出され、マルゲの口の中と顔を焼いた。あたりに魚の焼けるいい匂いが漂って、俺とユイの腹が同時に鳴る。さらにノリノリのひのまるは、どおん、と前に沈んだマルゲの巨体に上手に焼き目を付けていき、これはもう焼き魚以外の何物でもねえな、っていうまでにこんがりと焼いてくれた。もちろんマルゲは生きてるけど。