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第37話 はじまりはシャシャシャから

 自動ドアだと思いこんでた俺は、マットを踏んで待つこと二秒。あれ? 壊れてんのか、と思ったところで、出ていく客が内側から引き戸を開けた。


「あーりがとうございましたーっ!」


 カウンターの中で頭に黒いバンダナを巻いた人が、怒鳴ってるみてえな勢いで叫んだから、一瞬俺が怒られてるのかと思って、ひゅっと首が縮まった。

 昼時だからか、キモたんイチオシのラーメン屋は予想以上に混んでて、この異世界で一箇所にこんなに人がいっぱいいるのを初めて見たかも知れねえと思いつつ、ちょうど空いたカウンター席に三人ならんで座った。


「ご注文わぁ?」


 若い店員が、まるで恫喝してるみてえな有無を言わさぬ勢いで訊いてくる。

 こういう場合、今さらメニューを見てあれこれ迷うのは粋じゃねえよな。何回か来てるキモたんは「白とんこつ!」とすかさず言う。

 続いては意外にも四條さんが「俺は塩バター。バリ硬で」なんて追加トッピング付きの通ぶったオーダーをする。

 いや、なんか俺、鈍臭せえみてえじゃん。って自覚しちゃうと、ますます焦ってメニューの文字も頭に入って来なくて、何でもいいから早く言え、ってもう一人の自分に急かされながら絞り出した言葉は「味噌コーン」。


 ほんとはね、こってりした味噌ももちろん好きだけど、今はあっさり醤油が気分だったのよ。だけどなぜか「味噌コーン」なんて言っちゃった俺。ここで「やっぱり醤油にして!」なんて言った日にはあんた、店内にいるすべての人々から白い目で見られるような気がして、とてもじゃねえが訂正する勇気なんかねえよ。


「はい、塩バター、味噌コーンに白とんこつ、おまちどお!」


 黒いバンダナの店主が、俺たちのラーメンをほぼ同時にカウンターに置いた。ふわっと鼻をかすめる匂いがもうたまらなくて、俺たちはそれぞれのどんぶりを笑顔で受け取る。


「いただきまーす!」


 あとはしばらく無言で、ひたすら目の前のラーメンを味わうだけだ。

 シャードネルがどこから来たのか……の調査には、今日一日、いや、何日かはかかるだろうけど、まずは今日の腹ごしらえってことで、横浜駅近くのラーメン屋「麺処シャシャシャ」に入った。


 で、やっぱりっていうか、キモたんは白と黒の脂が浮いてる濃厚なとんこつラーメンを頼み、カウンターの上の透明容器から紅しょうがをたっぷり取って麺の上に載せる。

 四條さんの塩バターは、炒めたもやしを高く盛ったさらに上に、三十グラムくらいありそうな四角いバターが誇らしげな姿をさらしたのち、徐々にとろけてスープに混じっていってる。濃厚でまろやかな匂いに涎が出そう。

 そして俺の味噌コーン。ほんとはしょうゆが食いたかったなんて思ってごめんなさい。絶妙なオレンジがかった色合いの味噌スープに、淡い茶色の厚切りチャーシューに囲まれたきらめくコーンがなんとも可憐で、オレンジとイエローのグラデがめちゃキレイ。チャーシューの端には鮮やかなグリーンの絹さやが二枚と、外周が上品な茶色に縁どられた煮たまご。いやあ、これ頼んで正解だったわ。


 真ん中に座る俺の鼻に、キモたんの白とんこつと四條さんの塩バターの匂いが入ってきて、どっちも美味そうでたまんねえ。両側にいるのが恭平と裕介だったら、間違いなくスープを取り換えっこして飲んだんだろうな。

 熱い味噌ラーメンの太い硬麺をすすりながら、俺は現世に遺してきたダチの顔を思い出してた。


「小島さん、四條さん、今日は来てくれてありがとう。シャードネルはすっかり俺たちの家に慣れて外飼いのペットみたいになってるけど、俺はどうしてもあいつがほしいんだ。あいつに何があったのか、なんで元のガーディアンと別れるようなことになったのか、ちゃんと知りたいの。そのうえで、あいつに認められて俺がガーディアンになりたいんだ。あ、小島さん、改めてこちらは四條さん。執事喫茶『ジャルダン・デ・ニュイ』のナンバーワン執事。四條さん、小島さんは俺のイラストのお得意様です」


 待ち合わせ場所ではかるく挨拶しただけだったので、俺はそれぞれを紹介した。キモたんと四條さんはカウンターで俺の両側から、改めて名乗り合う。

 それから二人はお互いに俺との関わりについて話しはじめた。


 四條さんは、俺がここにきてすぐに知り合って冒険を共にしてきたこと、そして今は同じアパートで家族みたいに暮らしてること。小島さんは、俺のイラストに惚れ込んでること。


「カズマさんは、僕の運命の神絵師さんです。一生放しません」


 キモたん……。そんなこと笑いながら言ってくれちゃうけど、俺は今、血の気がさぁ~っと引いて生きてる心地がしねえって感じだよ。や、生きてないんだけどね。それくらいゾッとしたってこと。キモたんが冗談で言ってるわけないのはわかってる。「一生」俺のいいお客さんでいてくれるよね。でもここでの俺たちの一生って、それはつまり永遠だよね。

 永遠にキモたんに付きまとわれる俺……。「キモたん」っていうくらいだから、小島さんの外見はいわゆる「キモヲタ」だけど、モンスターにやさしくて常識人だってことはすでにわかってる。

 だけどさ、欲を言っちゃえばだよ? かわいい女の子のファンがほしいなぁ、なんていうのは、もっと安定してシノげるようになってから言えやって、まあ自分でも思うわな。


「ごちそうさまでした! あー、うまかった!」


 二人には先に出てもらって、俺が三人分のラーメン代を払った。俺の用事のためにわざわざ来てくれた四條さんとキモたんに、せめてものお礼のつもり。


 まだ二月上旬だけど、借金取りがいつ母さんのところに押しかけるかわかんねえもんな。真帆のことだってすげえ心配だし、つねに余裕があるように稼いでおきたい。念には念を、だ。


 今日はシャードネルの探索のあと、ヨドシバカメラに寄ろうと思ってる。この前からユイにうるさく言われてるから、ついに俺ちゃんもデジタルデビューを考える時かも知れねえと思ってさ。



 お腹がいっぱいになって麺処シャシャシャを出たら、ユイは昼に何を食べたのかって、急に気になった。

 俺と四條さんが出掛ける時にはシャードネルがまだくつろいでたから、「今日はサロンを休む」って言ってたユイ。

 三人それぞれの仕事時間以外で、ユイと完全に別行動を取るのは初めてだな。ユイがいないと不安な部分もあるけど、俺だってここに来てもう二ヶ月だ。いい加減ユイ抜きでも渡り歩けるくらいには異世界の仕様や知識を知っとかなきゃだめだと思う。

 なんか、ママと離れたら不安になる、ユイの子どもみてえじゃん。

 


 さて、シャードネル探索開始だ。


「ひのまる、たのんだよ」

「にゃっ!」


 かわいい手を挙げてから、ひのまるがシャードネルのにおいをくんくんと探しはじめた。

 一月の末で終わったヨコハマ洞窟は、まるでそんなものは初めから存在しなかったみたいに、影も形もなくなってた。


「ひのまるちゃんは今日もかわいいですなぁ。僕のマリリンちゃんと友だちになってくれますか?」

「シッ! 小島さん、静かに!」


 ひのまるが集中してるんだから、カンベンしてくださいよ。

 俺と四條さんは唇に人差し指を当ててキモたんを叱った。


 ひのまるは、「抱っこしたいよぅ、可愛がりたいよぅ」ってオーラをぬらぬら発してるキモたんを見て、一瞬ためらうような困った顔をしたけど、すぐに表情を引き締めてふたたび意識を鼻に集中させた。

 そうしながら歩くこと一時間くらい。シャードネルはいつも屋根を伝って跳んできてたから、地面に匂いはあまり残ってないのかもしれないと思ったけど、ひのまるの手にかかればそんな心配は無用だった。


 横浜駅から横浜線沿いに少し行った、わりと高級住宅街的なところに入ったひのまるは、地面の匂いを嗅ぎながら力強く歩きはじめた。

 一軒ずつの敷地が広めで、犬を遊ばせる程度の庭がある家が並んでる区画に俺たちを呼ぶと、一軒の家の前でひのまるは止まった。


「にゃうっ、にゃにゃ!」

「ひのまる、ここからシャードネルの匂いがするんだな?」


 コクコクと頷くひのままるの頭を撫でて、俺たちは門扉の隙間から敷地の中を覗いた。

 この家にシャードネルの匂いが残ってるのか。シャードネルは少し前までここにいたんだ。ここでどんな生活をしてたんだろ。


「人がいる気配はありませんね」

「ええ。カーテンや家具は残っていますが、誰も住んでいないように見えます」


 キモたんと四條さんが、伸び上がったり屈んだりしながらその家の様子をうかがう。俺はいっそのこと塀を乗り越えて、庭に降りてみようと思った。

 こんな大きな一軒家のペットだったシャードネルが、檻やケージに入れられてたなんておかしいよな。だとすると、ガーディアンとは何らかの理由で引き裂かれたと考えるのが妥当か? それともこの異世界でも破産したとか、あるいは引越しのためとかで、置いていかれたか。だけど、シャードネルがあんなに哀しそうに鳴くのは、きっと家族のことが好きだったからだ。可愛がられてたからだ。だったらなんで? 家族の意思じゃなくて「誰か」の思惑によってなのか? 


「シャードネルは、ここで家族と暮らしていたんでしょうか。ペットには不向きのシャードネルを、大人になってから飼うことは困難です。生まれた時から一緒だとして、ガーディアンが彼を手放す理由はなんでしょうか」

「調査の基本は情報収集です。近隣の住人の証言が取れればいいんですけどね」


 俺の後ろで、四條さんとキモたんが話してるのが聞こえてきた。うわ、なにこれ。キモたんもイケボだから、イケボ×イケボの会話なんて俺の耳が幸せ過ぎるじゃん! 

 まるでイケメンでイケボバディの刑事ものの会話みてえで、こんな状況じゃなかったらずっと聴いていてぇ!


 そうだ! ふたりに朗読劇をやってもらって、そのCDを売ればいいんじゃね? 異世界にもイケボ好きな腐女子っているよな? よし、帰ったら四條さんに話そう。


「俺、中に入っちゃおうかな」

「いやカズマくん、それはマズいでしょう」


 四條さんはやっぱり常識的な大人だから、ヤバい行動は慎むべきだっていう考えだな。確実に真相を突き止めたいなら、こっちに少しでも咎められるようなことがあっちゃダメだ。


「じゃ、外から写真だけ」


 資料として、ていうか、あとでシャードネルにも見せられると思って家の写真を撮ってたら、さすが異世界のチート仕様か、二軒隣の住人が買い物帰りらしいエコバッグを持って家に入ろうとしてる。

 なんとなく俺たちを胡散臭せえ奴らだと感じたらしく、怪しむようにチラチラ見ながらも急いで鍵を探してるらしい。


「あっ、すみません!」


 家の中に入られちゃう前に、俺はその住人を呼び止めた。

 主婦っぽい感じのその人は、一瞬びくっとしてからそろそろとこっちに顔を向けた。


「……何でしょうか?」


 絶対怪しい奴らだと思われてるな、と感じた俺は、イケメン・イケボでスーツ姿の四條さんの背中を押した。


「あぁ、突然失礼いたします。私たちは宮本建設という不動産業の者ですが、この家が売りに出されていると聞いて調査にやってまいりました。ここにシャードネルというモンスターが飼われていたと伺いましたが、間違いないでしょうか?」


 不動産屋がなんでモンスターのことを訊くのかよくわかんねえけど、その人は「不動産の調査」だっていう四條さんの言葉を信じたらしく、安心したように答えてくれた。


「ええ、花村さんご家族は、シャードネルのタケルくんをとても大切にしていましたよ。でも、去年の末ごろにいつの間にかお引越しされたようで、どこへいらしたのかも、タケルくんも一緒だったのかも、わからないんですよ。……そう言えば、しばらく前の夜中にタケルくんの声がお庭から聞こえてきました。あれは、もう花村さんたちがいなくなって随分経ってからでしたねぇ」


 なんとなくわかったっていうか、いや、全然わかってないかもしれねえけど、シャードネルはここの家で大事にされてたペットで、何かが起こって家族と離れて、あるいは捨てられて、独りぼっちになったってことだ。


「タケルくんは元気なんでしょうかねぇ。どうして置いていっちゃったのかしら……」


 頬に手を当てて、何かを思い出そうとしてるようなこの人。


「真面目で、やさしいご一家でしたよ。うちの子のことも可愛がってくださって。あらいやだ、人物の調査じゃないんですよね。私ったら余計なことを」

「いえ、どんな方が住んでいらしたか、なぜ手放されたのかも調査しているんです。もし何かご存知のことがあれば」


 四條さんが食い下がってくれた。住人は、ひらめいた! って感じで顔を上げて、声を潜めて言う。


「……ヴェルト教団をご存知ですか」

「ヴェルト教団? いや、知りませんけど、悪の秘密結社ですか?」


 間抜けな感じで訊いちゃった俺。四條さんも知らないらしく、俺と顔を見合わせて首を傾げてる。でもキモたんだけは眉間にシワを寄せて厳しい表情をした。

 あ、いや……、俺も知り……たいです。 

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