第35話 プラチナブロンドの君
「えっ! おまえ、どこから来たんだよ!」
ユイが開けっ放しにしてた窓から飛び込んできたのは、全身が泥で汚れた四つ脚のモンスターだった。
俺と四條さんは並んでそいつと向き合って、ユイと出窓のところにいた雪風は、ユイを護るようにその前に立った。
「えぇっと、この状況って……」
何がなんだかわかんなくて、俺は横にいる四條さんをすがるように見た。
四條さんは俺がテーブルに置いたモンスター図鑑に手を伸ばして、こいつだと思われるモンスターのページを開いて見せてくれた。
「シャードネル。属性は電気。随分汚れていますg……」
早速いつものように解説を始めようとする四條さんだったが、シャードネルはそんな四條さんと俺の前を素通りすると、ちらっとひのまるに視線を送ってから、迷うことなくキッチンへ入っていった。そして皿に出してあったモンスター用のフードをがつがつ食べ始める。
「えっ、なんでキッチンの場所を知ってんの?」
「バカね、フードの匂いでしょ!」
間抜けな俺のひとりごとに、厳しくツッコむいつものユイ。
「それより泥だらけで困るわよ! せめて足だけでも拭かせてくれないかしら」
俺たちに背中を向けて夢中で食ってるけど、その背中にはピリピリした緊張感が漂ってて、俺は無理なんじゃねえかな~? と思った。
だって、ユイがウエスを取ろうとほんの少し手を動かしただけで、それを感じたシャードネルは食べながら唸ってるじゃん。
「これってどゆことですかね?」
「シャードネルは、全身が美しいプラチナブロンドの毛皮で覆われています。十二にゃんの体型や大きさはほとんど同じですが、繊細なつくりのシャーグラスと比べると若干筋肉質で、左肩には雷のようなボルトのマークが瑠璃色で入っているのが特徴です。毛質はやや硬く、全身の毛を逆立てての放電攻撃は、属性の相性に関係なく相手を一撃で倒すほどの威力があります。気性が荒く人に懐きづらいため、ペットには不向きです」
「へえー、こいつって金髪なんだ。やべぇ、かっけー」
もうモンスター図鑑を見なくても、四條さんは「全モンスターを」把握してる。自信満々にシャードネルの紹介をしたら、いつものようにメガネのブリッジをクイっと上げた。
シャードネルが食べてるドライタイプのフードが、カリカリカリカリって小気味よい音でかみ砕かれてる。ひのまるも雪風も、自分たちのご飯を取られてるっていうのに、俺たちと同じようにただ見守ってるっていうのがなんか可笑しい。呆気に取られてるって感じかな?
まさに「かわいくて強い」を地でいくシャードネルか。いや、ひのまるだって雪風だって、十二にゃんは全員そうなんだけどさ。
けどそんなシャードネルがなぜ外にいるのかってことは、俺たちには見当もつかねぇ。いや、可能性として、こうやって夢中でフードを食べてるって状況から、お腹を空かせてる=ガーディアンとはぐれた?=野良になった。って図式が脳内に浮かんだんだが、「はぐれた」ならガーディアンはゼッタイ探すよな、そしたらそこへ帰れるはずだから、こいつはガーディアンに捨てられたのかな……。
もちろんシャードネルの口から説明されるなんてことはないから、俺たちはただこの光景を見守るしかできないんだけど。
「にゃっ!」
ひのまるが俺を見てかわいく鳴いた。
攻撃するつもりはないようだけど、味方とも言えないって、ひのまるは思ってるらしい。『何かあったら行くよ』って言いたいのか、俺が指示を出すのを緊張気味に耳を立てて待ってる。
「うーん、大丈夫だよ。ひのまる」
たった今、手の中からこの場に出てるのはひのまると雪風。リンリンも今はユイの手の中で休んでる。
だから、そのひのまると雪風に危害が及ばないなら、こっちから先に攻撃なんかしないよ。ていうか、この中でバトルが始まったりして、借りたばっかの部屋が壊されたら大変じゃん。だから本当は、フードも外で食べてほしいとはチラっと思うわな。
そんなことを思いながら、泥んこのシャードネルを見つめること約一分。俺がヒヤヒヤしてる間にすっかり完食したらしく、ひのまると雪風それぞれと一瞬だけ視線を合わせてから、シャードネルは出窓まで跳んだ。そんで一度振り向いてから、また外へ飛び出していく。
来た時と同じように、リズミカルにぽーんぽーんと屋根を跳び越えて、あっという間に見えなくなった。
「ちょっと待ってよ!」
身体の泥を拭ってやろうとしたのか、ユイはウエスから清潔なタオルに持ち替えてた。
ほんの一瞬の出来事で信じられないけど、俺たちシャードネルにご飯をあげたんだな。なんか、強烈な印象だぜ。
俺は出窓から乗り出してた上半身を反転させて、室内をじっと見た。
俺を見つめてるひのまる、雪風。そしてユイと四條さん。
「俺、あいつ欲しい!」
両手を握りしめながら言ったら、ユイはいつものようにシラーっとした感じで冷たく返す。
「なーに言ってんのよ。また会えるかどうかさえ確かじゃないのよ」
けど、俺は確信してたね。
「いーや、あいつはぜってーまた来るよ」
俺を言い負かそうとユイがまだなにか言ってるけど、俺はひのまるたちの食器を数えながら洗った。
水を入れる深皿とフードを入れる普通の皿が、余分も合わせて五セットある。手の中に入ってる時のモンスターは空腹を感じないから、マルゲとディアっち、それからハッピーの分はまた今度揃えようってことになってる。だからいつも使うのは、ひのまると雪風と、リンリンの三セットだ。
そして翌日。一月二十七日。
「ほーら、俺の言った通りだろ?」
得意げにユイに言ったら、予想より強めの肘撃ちが俺の脇腹を抉ったけど、ひのまる、雪風の横にシャードネルが並んで、三にゃんで朝ごはんを食べてるっていう、眼福極まりねぇ光景が俺の目の前に展開されててだな、もう目尻が下がってしょうがねえんだが、さすがに昨日の今日でシャードネルが来るとは思ってもみなかったんで、ユイに放った俺のひと言も実際はちょっと震えてたわけだ。
だがしかしなんという不幸か、俺は午前中に病院の予約を入れてしまっていた!
シャードネルとの距離を縮めたくても時間がなく、四條さんとユイにそこを任せて泣く泣く部屋を出た。
管理人とのバトルに勝って居住権を手に入れたアパートは築二十五年で、まあ相応にボロっちくはあるけど、こまめな掃除で清潔に、そしてセンスの良い小物で見栄えを整えれば、だいじな俺たちの拠点としては文句ねえ場所になるはずだ。
振り返ってアパートを見ると出窓にはやさしい水色のカーテンがかかってて、あれを目指して跳んでくるシャードネルを想いながら、俺は横浜駅近くにある病院を目指した。
家賃の安さも重視したから、最寄り駅は横浜線の鴨居。JRの駅前だってのに、地味な感じでちょっと暗め。商店街は便利そうに見えるけど、現実世界と同じだけ店が開いてるワケじゃねえ。これまでは横浜駅近で生活してたから多少の不便はあるだろうが、それでもみんなで助け合っていく暮らしは楽しいだろうな。
前回同様、いや、今回は予約してあったにもかかわらず、また一時間以上待たされた。あの先生って話し好きみたいだからな。
腕の傷はすっかり治ってたから脚を見せた。あれだけグズグズになってたから縫えなかった傷だ、綺麗に治るはずはないけど、傷口は思ったよりもスッキリしてた。もう痛みはほとんどないから抗生剤も飲まなくていいらしい。特に問題なければ、今日で通院終了だって。
藤本先生はひのまると雪風のことを憶えててくれて、帰り際に「シャーヴォルとシャーグラスは元気?」って聞いてくれた。
俺はそれがすっげえ嬉しくて、ふたりが入ってる左手を挙げながら「はい!」って力いっぱい答えちまったよ。ここで出して先生にふたりを見せられたらいいのにな。
その次の日も、さらに次の日も、シャードネルはフードを食べに来た。
「ここに来ればおいしいご飯が食べられる」って覚えたらしく、四日目になると俺たちヒトへの威嚇もしなくなったし、ひのまると雪風とも喧嘩をする様子はない。あえて言うなら「普通」。うん、あくまで普通に、自然に、俺たちの生活の一部として溶け込んでる。
「シャードネル、ガーディアンはいないのか?」
ヒトの言葉はどれくらい理解してるんだろな。もしもシャードネルがかつて誰かのパートナーだったなら、ある程度の意思疎通は出来るはずだ。十二にゃんは頭がいいし。
「きゅるる……」
そしたらシャードネルは、俺の瞳をじっと見つめながら喉を鳴らした。
俺はその音を聴いてはっとした。だって、それはこの前ディアっちがいなくなったことを悲しんで啼いてたシャーザブルの声と同じだったから。
「おまえ……、なにがあったんだよ……」
俺はなんだか切なくなって、シャードネルの頭に手を置こうとした。本当は抱きしめたかったけど、いきなりそんなこと許してくれるはずはないと思って。
そしてシャードネルは、タンッと足を踏み込んで、出窓からまた夜の街へと消えて行った。
「明日も待ってるからな!」
跳んでいくシャードネルの耳に、俺の声は届いてるはずだ。ここは危険じゃないってことは理解してるらしいし、もうちょっとくつろいで長居してけばいいのに。
ひのまると雪風が、やさしい目で俺を見上げてる。
「そうだな、焦らずにいこうぜ」
俺はふたりに話しかけながら、自分にもそう言い聞かせた。