第3話 保険金の罠
「へぇ……。真帆のやつ、ちゃんと遺族の役割果たしてるじゃん。まだ十四なのにこんなことさせて、悪かったな」
ユイとのバトルの時、逃げようとした俺の行く手を阻んだ道具。ユイが言うには、ここに転生してきた奴らに等しく与えられるらしい。いや、誰がどこから与えてくれるのかはわかんないけど、宙に浮く透明なタブレットみたいなやつに、精進落としの様子が映ってる。俺とユイは並んでそれをのぞき込み、ぽつりぽつりと言葉を交わしてた。
「カズマの妹、真帆ちゃんだっけ? ほんとよ! こんな可愛い子にこんな辛い役目を押し付けてジサツなんて。カズマってサイテー!」
お前は俺の何を知ってんだよ! って、無神経なくらいズバズバ言うユイにちょっとイラッとしたけど、ユイの言うことは間違ってない。俺がサイテーの奴だってことは確かだ。
「弁解はしねえよ。だけどお前……ユイ、そんな選択をするしかなかった俺だって辛かったんだよ。それくらい解ってくれたっていいだろうがよ」
そうだ、俺だって辛かったんだって、マジで。そうじゃなけりゃ今だって生きて、青春を謳歌したりしてるはずだろ。
「『辛かった』なんて言っちゃって、自分だけさっさとラクになりたかっただけじゃない。あたしはね、お母さんと真帆ちゃんの辛さを思いやれるだけの脳味噌がカズマにあるなら、もうちょっと出来ることがあったんじゃないかって言ってるのよ!」
こいつは他人の家族のことで何をそんなに怒ってるんだろう。ユイがここに来るまでに、一体なにがあったんだろう。そう思ってユイの顔をじっと見てたら、それに気づかれてもっと怒られた。
「あたしの顔に何かついてんの? もう、カズマって本当に自分のことしか頭にないのね!」
どうしてそういうことになるんだよ。でも、今の母さんと真帆だってユイと同じように思ってるかもしれない。母さんは母親だから仕方ないのかもしれないけど、中学生の真帆が親戚連中の席に寿司桶やビール瓶持って行って、お礼言ったり謝ったりしながらお酌して回ってんのを見て、俺はどうしようもない気持ちになった。
「真帆、ごめん……。俺は自分が死んだ後のこと全然考えてなかったかもしれない。ただ死亡保険金が出て、それで借金返してほしいって、それだけだった。けど、それで済む問題なんかじゃなかったよ」
モニターの中では、料理も酒も終わってきて、酔っぱらって赤い顔したおじさんが何人かいる中、喪主として母さんが挨拶をしてる。まあ、俺がジサツだったってことは伏せてあるのかも知れない。事故か病気か、俺の死因について言及してるシーンはなかったけど、とにかくそれには触れずに、『本来ならお正月のおめでたい日に、また、そんな日のお忙しいところ、和真のために集まっていただき……』なんて喋ってる。そうか、これは俺のためなのか……。
ひくっ、えぐっ……って変な声が聞こえて、俺は隣にいるユイを見た。そうしたら、なぜかユイは大粒の涙をぽろぽろこぼしながら泣いてて、ついでに鼻水も垂れそうになってた。
「ユイ! どうしたんだよ。俺が死んだのがそんなに悲しい?」
今まで俺を馬鹿にするようなこと言ってたけど、やっぱり十九歳の少年が借金を苦にジサツしたっていう事実を目の当たりにして、やっと悲しくなったのか。俺のために泣いてるんだなって、正直ホッとしたっていうか、なんだか赦されたような気がした。
「なっ、なに言ってんのよ! カズマなんか全っ然かわいそうじゃないし、ただのバカよ! あたしはねぇ、お母さんと真帆ちゃんが気の毒で悲しいのよ」
あぁ、そうかよ! なんで自分の葬式の映像を見ながらガキに罵倒されなきゃならないんだって、俺だって腹が立ってきたよ!
「んじゃ、ユイは見なきゃいいだろ。俺んちのことなんだからよ」
自分の身体をユイとモニターの間にぐいっと入れて、俺は映像の続きを見ようとした。で、あれ? と気づいた。
「親父、いねえじゃん……」
呟いた声が聞こえたのか、ユイはまた俺を押しのけて画面をのぞき込む。
「えぇ? カズマのお父さん、お葬式なのにいないの? どういうこと?」
俺だってどういうことなのか知りてえ。まさかあのクソ親父、こんな時にも飲み歩いてんのか? いや、まさかな……。
会場を出ると、母さんと真帆は俺の骨が入った箱を抱いてタクシーに乗った。自宅の住所を言ってからシートにもたれかかって目を閉じて、母さんは深い溜め息をついた。その顔には悲しみよりも疲れが浮き出てるように見えて、俺は何も言えずにただその様子を見てた。
『……お母さん、お父さんはどこに行ってるの?』
濃紺の制服を着た真帆が、母さんの膝に載ってる俺の骨の包みを睨みつけてから訊いた。真帆、やっぱり怒ってるよな。……ごめんな。
『さあ、電話もつながらないし、どこにいるのかしらね、お父さん。和真と最後のお別れだったっていうのに』
真帆の頭に手を置いて、寂しそうに笑いながら母さんが応える。母親のこんな顔を見ることになるなんて、俺って本当に親不孝だったんだって、今になって実感した。
まだ俺が死んで三日目だ。当たり前だけど家の中は記憶のまま変わってない。ひとつだけ違うのは、四十九日になるまで俺の骨を置いておく台が設置されてて、写真立てには俺の一番のお気に入りが飾ってあることだ。
花がいっぱいの台に骨の箱を置いて、母さんは椅子に座った。
『真帆、お茶淹れようか。疲れたよね』
『お寺さんでお線香たくさんもらったけど、つける?』
向かいの椅子に腰かけた真帆は、手提げ袋の中から大量の線香を出しながら俯いてる。
『いいや。お線香の煙って、煙草より有害なものもあるんだって』
母さんが答えると、真帆は大袈裟に驚いてみせた。
『えーっ、マジ? 安物だとそうなの?』
『私もよくは知らないけど、そうね、安物の香料だとそうみたいよ』
二人は顔を見合わせて、無理にでも笑顔になろうとしてるように見えた。
『お母さん……、お兄の遺書に書いてあったけど、保険金ていくらなの?』
真帆は少し言いにくそうに母さんを見た。
『あぁ、まだ確認してないけど、たしか書類はみんなのをまとめてここに……』
リビングボードの抽斗を開けて、俺の生命保険証券を探し出した母さんは、約款と一緒に保険会社の封筒に入ったままの、俺の証券を開いた。
『死亡保険金は一千五百万円て書いてあるけど』
『じゃあ、お兄の借金は返せるね。お父さんの分も』
ホッとした顔で頷いた真帆に、書類を読んでた母さんは目をつぶって顔を振ってみせた。
『ここ見て。……はあ、やっぱり和真のやることね』
えっ……、なんか問題でもありますか? って、俺は画面の向こうの母さんに直接訊くみたいに身を乗り出した。
『免責事項 ご加入後、二年以内に自殺された場合は保険金は支払われません』
証券を読み上げた母さんに、真帆が訊いた。
『えっ、どういうこと?』
『和真が保険に入ったのは、去年の春でしょ? お友だちのお兄さんが保険会社に就職したからって契約したの。でもね、入ってから二年以内に自死したらダメなんだって。保険金目当てに自死する人が多くなると困るものね』
「う……そだろ……」
ふざけんなよ! 俺はてっきり保険金で借金返せると思ったから、ウンコちびったらイヤだなぁと思いながら首吊ったってのに。死に損じゃねえか!
『お兄のバカ! 最っ低! 死んでも役に立たない! お葬式代がかかっただけ損しちゃったじゃん!』
母さんから保険証券をひったくって、それを俺の写真にぶつけた真帆。写真立てはガラン、と大きな音をたてて床に落ちて、俺の顔はガラスのひびだらけになった。
「なんか……」
なんか……、死ぬ以外に俺にできることはなかったのか? 一千万の借金抱えたまま返済するのに頑張れたとは思えないけど、親父の暴力から母さんを守るとか、もっと時給のいいバイトして、家に金をいれるとか……。
「俺、どうしよ……」
思わず情けない声が出た。ユイもびっくりしたみたいで、俺の顔とモニターを交互に見ながら口を開けたまま首を振った。
『もうイヤっ! もうほんとに嫌ッ! 最低のバカお兄! お母さんが苦労してるのに自分はいっつも遊んでばっかりで、家のこともやらない、お母さんのことも真帆のことも、なんにも考えてない! こんなことなら行方不明になって何年も戻ってこなければよかったのに。そうすれば、真帆だってお兄のこと、少しは懐かしくなったかもしれないのに!』
言い終わると同時に、真帆はうわぁぁっ、と泣き出した。母さんは真帆から出てくる、俺への呪いのような言葉を黙って聞いて、真帆の肩をさすりながら黙って聞いてて、泣きわめく真帆をぎゅっと抱きしめた。それからぽつりと『あなたのお兄ちゃんは、やさしい子だったのよ』と言った。
真帆が顔を上げて母さんを見る。それからもっと泣いて、母さんも泣いた。
「母さん、真帆……」
俺はモニターに手を伸ばしてみた。なんだか真帆の頭や母さんの手にさわれそうな気がして。でも、それは宙に浮いた透明のモニターで、実際には何もなかった。
「ユイ、元の世界に戻れる方法ってなんかある?」
俺は、涙でぐちゃぐちゃになってるユイに訊いた。
「『元の世界に戻る』って、生き返るってこと? それはあたしにもわからない。だけどカズマ、あんたもう骨になっちゃったんだから、戻れるわけないじゃない」
ユイは、ユイなりに出来る限りやさしく言ったんだと思う。でもそれを聞いた俺は、俺の身体が火葬場の炉の中でスルメみたいに裏返りながら燃えていくのを想像して、なんとも言えない気持ちになった。
そうだ。事実はそうだよ。そうだけどさ、なんとかならねえかって思うじゃん。あんな映像見たら。
「よし、わかった」
俺は涙をふいて立ち上がった。
「カズマ、どこ行くの?」
ユイも涙を拭いて、ミニスカートの尻をぱんぱんとはたいた。
「とにかく金だ。めっちゃ賞金稼ごうぜ。あとはまたそっから考えよう」
いつの間にか俺は、ユイが味方だって確信するようになってた。一緒に旅して、戦って賞金を稼いで、大金が貯まったらまた考えよう。金で買えないものはない。だったらここで億万長者になって、元の世界に戻ってやる。身体がなければまた作りゃいいんだ。
滅茶苦茶な理論で、強引に自分の中の悲しみと後悔をねじ伏せて、俺はこの世界で一番になることに決めた。
「まずは、どうしてカズマのモンスターがあたしのリンリンちゃんに勝てたのか。それはわかる?」
ユイは木の棒を振りながら、教壇に立つ先生みたいに俺に言った。
「リンリンて、蝶々だろ? つまり昆虫か。それに対して俺のあいつは、首の周りから炎を出した。リンリンは虫の丸焼きになった。そういうことだよな?」
「なーんかムカつく言い方ね。まあ一応合ってるけど。そうよ、ここも今までの世界と同じ。昆虫は火を使うタイプには弱いの。色んな相性があるわ。そうだ、カズマはパートナーに名前つけた?」
ユイがまた、得意そうな顔をして俺に迫る。こいつって、いっつもマウントとりたがるんだな。過去にいじめられっ子だったのか?
「いや、まだだよ。なあ、こいつらってデフォルトの名前はないの? モンスター名みたいな」
「現実世界の動物みたいな『種』の名前はあるわよ。でも、あたしもたくさんは知らない。リンリンは『ファレヨン』ていうの。可愛いでしょ?」
ファレヨンねぇ……。なんかこじゃれた感じでウソくせえな。ユイが勝手に決めたんじゃねえの? って言おうかと思ったけどやめた。またユイが偉そうに講釈垂れんのは目に見えてる。俺は何も言わなかったけど、そうだよな、猫さまの名前は早く決めてやりたいよ。
「昔さ、俺んち猫飼ってたんだ」
まだ親父がいい人だった頃だ。庭によく来る三毛猫を家に入れた。その時にはもう大人の猫だったから、そのあと十年は一緒にいられなかったけど、みんな「よん」が可愛くて大好きだった。
「へぇ、その子の名前は?」
ユイが興味を持ったように瞳をキラキラさせて訊いてきた。
「『よん』。『よんちゃん』だよ」
「可愛い名前ね。猫好きに悪い人はいないのよ。で、この子にはなんてつける?」
ユイに「悪い人はいない」と言われ、なぜか褒められたような気がした。『よん』は、やさしくてしなやかで可愛かったな。
「どうしようか……」
迷ってる俺たちの視界に、黒いスーツを着た大人の影が揺れた。なかなか怖そうな人がこっちに近づいてくる。でも、バトルにはそんなことは関係ない。この人なら、賞金もたくさんくれそうだ……って、まるでオヤジ狩りだな。
「バトル、お願いしていいですか」
俺が言うと、その人は口許を歪めて不敵に笑ったあと、渋めのイケボで言った。
「こちらこそ、いま申し込もうと思っていたところです」
よっしゃ! カモ一号だ! めっちゃふんだくってやるぜ!
俺は手のひらを上に向けて、猫さま出ておいでって念じた。相手のモンスターが手のひらに現れると、そこから水があふれ出た。螺旋状の水で着飾った、スゲー綺麗な魚なんだか蛇なんだか、その中間くらいの生き物で、ウツボが顔も姿も美しくなったような感じって言うとわかり易いかな。いや、逆に混乱しそうか。とにかく圧倒されるように綺麗なヤツだ。めっちゃデカい……。
 




