第26話 シュガー・マヨネーズ
遭難してた人は、おにぎりを売ったのは俺だって憶えてたようで、こっちに向き直ってもう一回丁寧にお礼を言った。
「いや、それはお互いさまだし、俺だってタダで分けたんじゃなくておにぎりを売ったんですから、もういいじゃないですか」
俺を「命の恩人」だと思ってるのか、この人は何度も頭を下げるんだけど、正直やりすぎだと思う。そこまでしなくたって充分に感謝の気持ちは伝わってきてるし、死にそうな人と遭遇したら、まあ助けるだろ、フツー。人として当たり前だと思うんだけど、どうもこの人にとってはそうじゃないみてえな……。
あっ、そうか! この人コミュ障だったんだよな。だから他人との適度な会話も成り立ちにくいってことか!
「あの、みなさんはまたここに入るんですか?」
遭難してた人は、俺たちの顔を順番に見て、最後にユイと目が合ったとたん、気まずそうに俯いた。
そばで見てた俺は、やべっ、って直感した。こういう態度、ユイは絶対に嫌いだと思うもん。でも、ユイは冷静な表情のままで、口を出す気配はなかった。
「ええ、今から入るところです。そろそろ洞窟自体が移動しちゃうのか、入れるのは今夜までだったみたいでギリギリでした。あなたもそうなんですか?」
デカいリュックを背負った姿から、きっとそうなんだろうとは思ったけど、俺は一応訊いてみた。ユイにも聞かせたいし。
「はい。今回はちゃんと準備してきました。体調も万全です」
またユイの方をチラっと見てる。いつ怒られるか気が気じゃねえのかもな。ユイってそんなに怖えか? ま、怖いっちゃ怖い……な。
「よかったです。俺も前回入ったときに怪我したんですけど、やっと病院にも行かれました」
「えっ、怪我って、大丈夫ですか?」
おっ、ちょっとは他人と話せるようになったみてえじゃん。
「モンスターの技を受けたときの腕は、この通り。知ってますか? モンスターの技によって負った怪我は、専用の薬を塗れば一日で治るって」
病院で仕入れたばっかの知識を、ドヤ顔でひけらかした。
「そうなんですか! いえ、知りませんでした。じゃあ、私のこれも病院に行けば良さそうですね」
やっぱ知らなかったか。仲間もいないし対人恐怖症だって言ってたもんな。情弱さんには異世界ってキツイところだと思うよ、マジで。
右足のつま先をトントンしながら答えるこの人の足首には、包帯が巻いてあった。まだ病院には行ってないようだから、薬局で買ったのを自分で巻いたのか。ちょうど、イシグラーに体当たりされたみてえな、軽い怪我らしいけど、一人だと不安になるよね……。
なぜかここで会話が途切れて、俺たち四人は向き合ったまま沈黙した。すげえ気まずいのに、これといった話題もねえ。そんで、また誰かに先を越されちゃシャレになんねえから、早く水晶のある場所へ行かなきゃならねえ。「じゃまた!」なんて挨拶して、さっさと入洞するべきなのに、同じ方向に進もうとしてる人を置いて、ちょっと距離を置きつつ歩くなんて、なんか居心地悪くねえ?
ユイは、もちろん早く行こうとしかめっ面してて、四條さんもユイに同意だと頷いた。俺一人の判断で行動するわけにはいかねえが、前回、おにぎり転売ヤーみてえなことをしちゃった手前、やっぱこの人を放ってはおけない。すっげえ怖いけど、ユイの顔をチラチラ見ながらそうっと言ってみた。
「あの、これからまたここに入るんですよね? よかったら一緒に行きませんか」
「はぁ~っ?」
苛立ちMAXって感じでそう応えたのは、ユイだ。いや、そんなのユイしかいねえけど。ユイは反対するだろうとは思ったし、この人はユイに嫌われてるのがわかってるから、居心地が悪いしビクビクしてんだろうな。
でも、やっぱ男としてはさ、か弱い女性をみすみす一人で行かせるなんて気が引けるっていうか、なんつうか、責任感みてえなもんが芽生えちゃったんだからしょうがねえだろ、コンチクショー!
「ありがとうございます、でも、またご迷惑をおかけしたら申し訳ないし、準備はしっかりしてきたので大丈夫です」
顔の前で手を振って遠慮してるけど、一瞬ぱあっと嬉しそうな表情をしたのを、俺は見逃さなかったぜ。
「では、お先に失礼します」
ぺこぺこと低い姿勢で頭を下げて、その人は先に入り口をくぐろうとした。
「ちょっと、あなた!」
その背中をユイが呼び止めた。
もしかして、俺たちの方が先にここに到着してたから後にしろって言うんじゃねえだろうな? そんな意地悪言わねえよな?
ビクッとして振り向いたその人に、ユイはきびきびした口調で言った。
「あなた、モンスターは持ってるんですか?」
責められてると思ったのか、その人は肩をビクッと震わせて答えた。
「あ……はい、ポコロンを……」
その場で手のひらを斜め下に向けて、その人はモンスターを外に出した。現れたそいつは絵本に出てくるベタなタヌキみてえな感じで、出られたのが嬉しいのか、小躍りしながら太鼓腹をぽんぽこ叩いてる。なんか、ビミョーにオヤジの忘年会芸っぽいイメージで、正直、ピピス相手でも通用するのか怪しい感じ。
でも懐いてはいるようで、その人の脚にデコをこすりつけたりしてるけど、バトルの経験はほとんどねえだろな、ってことは明らかだ。
俺はひのまると雪風を見下ろして、強いモンスターの自信にあふれた表情との違いを思った。
「その一匹だけですか?」
「ええ、そうです」
高圧的なユイの言い方に、ますます委縮するその人。きっと、これからユイは正しいことを言うはずだ。俺だってそれはわかってる。でもユイ、お前にはもう少しやさしさが必要かもしれねえぞ……。
「洞窟内に、野生のモンスターがたくさんいるのはご存知ですよね。その子一匹でどうするつもりなんですか? 準備って、モンスターを育てることも入ると思いますけど」
やっぱり。ユイの言葉は俺の想像よりもキツかった。この人この前、「対人恐怖症だ」って言ってたじゃん。穏やかじゃねえ空気を感じ取ったのか、オロオロしながら二本脚で立ち上がるポコロンの頭を撫でてるけど、それはポコロンのためじゃなくて、むしろ自分がポコロンに頼ってるって感じだ。
誰だって怖いものの一つや二つはあんだろ。それが「恐怖症」ってレベルになってるとしたって、もう一回死ぬこともできねえ異世界に暮らす以上、どうにかそのフォビアを克服して、金を稼いでやってくしかねえじゃん。
きっと、この人だってそれをわかってて、またヨコハマ洞窟に入ることにしたんじゃねえの?
そこはユイだって認めたんだろうけど、前回からの一週間ちょっとで、モンスターや自分が危険な目に遭わないようにって、ちゃんと訓練をしてこなかったことを怒ってんだろうな。
俺と四條さんの入る余地なんか、もちろんない。
女同士特有のピリピリした空気に包まれた洞窟の入り口は、ある意味どんな魔物よりも怖いっちゃこわい。
でも、だからってユイは、この人を洞窟に入らせないようにしてるってわけでもなさそうだ。じゃあなんで? って、俺はユイの目的がイマイチわかんないから、まあ、口をはさむこともできねえ。心なしか、雪風が呆れた顔でユイを見たような気がした。
「そう……ですよね。洞窟の入り口付近でポコロンのレベル上げをしようと思ってたんですが、とにかくピピスが多いですし……。私に似て、人前に出るのが苦手みたいなんです、この子。だから、ガーディアンとのバトルはつい避けてしまって」
「モンスターを持ってて、戦わせる人のことよ」
初めて聞いた「ガーディアン」って言葉に首を傾げてたら、ユイが教えてくれた。
辺りはさらに重苦しい空気が充満して、四條さんと俺は、女の争いをどう収束させるか考えるが、いい案なんて思いつくわけねえ。
だって、漫画三昧の俺と「真理に絶望した」四條さんだぜ。
ユイは何がしてえんだ? 他人に構ってないで、さっさと洞窟に入って水晶を採りてえんじゃないの? なんでわざわざ嫌いなタイプの人間相手にしてんだよ?
「あなたが異世界でどう生きようと自由です。でもモンスターは、ゲットされた時点であなたと運命共同体だということを忘れないでください。食料や寝袋など、自分の身の回りの準備は万全ですよね?」
「はっ、はい。あと、モンスターの傷薬も」
「私たちは、それぞれ二匹のモンスターを持っています。前回この中に出現するモンスターとは、ひと通りバトルしましたし、順路もタブレットが記憶しています。遅れずに付いてこられますね」
ポコロンが野生のモンスターにやられるのを心配してか、ユイはこの人を一時的に仲間にしてあげるらしい。ユイの言葉に感極まった感じで口を押えて、目の前の人はポコロンと一緒に何度も俺たち三人に頭を下げた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします。あっ、改めまして、佐藤真世と申します」
「ユイよ。パートナーはリンリン」
「カズマです。こっちがひのまるで、左が雪風」
「四條幸成と申します。パートーナーは……」
そこまで言って、また四條さんはマルゲとディアボーラはでかすぎて出せないと思ったのか、下を向いて「くうぅぅー」なんて悲しみに耐えてる。
「あー、もう! いいじゃん四條さん、ここで一発、マルゲとディアボーラ出しちゃえよ」
俺は、周囲に人もいないし出しても大丈夫だろ、と思って四條さんの肩に軽く体当たりした。
「えぇっ! いいですかね? そうだ、ここで一度会っておけば、俺のモチベもあがりますね」
こんなに嬉しそうな四條さん、初めて見たかも……っていうくらいニッコニコで、マルゲとディアボーラを呼び出した。
「会いたかったよ、マルゲリータ! ディアボーラ!」
感動的な再会だ。前回、水晶のところで戦った時以来なんだよな。
俺とユイはもちろんだけど、四條さんだってマルゲとディアボーラを出すチャンスはなかったんだから。半泣きで二匹の首を抱きしめる四條さん。マルゲはもちろんだけど、ディアボーラもすでに四條さんを充分信頼してんのがわかる。二匹のデカさにびっくりしたみたいな、えーと、佐藤真世さん。
「マヨさん、か。お砂糖とマヨネーズ~とか、言われませんでした?」
真世さんの動きがぴたっと止まった。やべえぇぇぇ、この人虐められてたんだよな。きっとバカな男子にそう言われてたんだ。
「目標は、前回より一日短縮して、明日中に水晶を採取して帰路につくこと。いいわね」
コクコクと頷く俺ら。また四條さんが団体旅行みてえな旗の代わりを持たされて、一番先に入口をくぐった。これ以上は何も起こらずに至って平和に目的を果たせますように。
みんなの背中を見ながら最後尾を歩く俺の視界に、ぐにゃっと歪んだように地面が動いたのが映った。
いや、気のせい……だよな? そうそう、気のせい気のせい! わはははは! やな予感。




