第25話 ナンバーワン執事
ランチのオーダーストップよりもほんの十分前にドアを開けたのは、アラフィフと思われる女性の二人組だった。手が空いていた四條が糊の利いたナプキンを腕にかけて近づいてゆくと、二人は期待に目を輝かせた。
「お帰りなさいませ、奥様。ちょうどお食事の準備が整うところでした。お客様をお連れになると聞いておりましたので、デザートは特別に美しいものを作らせました」
先に店内に入った女性を「奥様」と設定し、一歩遅れた女性は「奥様の友人」として招き入れる。二人連れは、それだけで四條のペースにはまったように頬を紅潮させ、心なしか優雅な仕草になる。そして夢見心地で導かれるままにテーブルまで進んだ。
「奥様」はヴィトンのバッグにカルティエのネックレスを身に付け、「奥様の友人」はバーキンを持っている。テーブルへと歩く途中、店内に数名いる別の執事たちを品定めするように見ると、この中で四條が見た目も声も一番だと、得意げに微笑みを交わしていた。
四條が引いた椅子に掛け、その声を聴きたいがために、料理やワインについてあれこれ質問したあと、ふたりは料理を四條に選んでほしいと言った。
「寒い日のランチですので、暖色中心のメニューを選んでみました。前菜はフォアグラのパヴェ、温野菜と、お魚はスズキのポワレ、お口直しにカシスのソルベ。お肉はフィレ肉のロッシーニでございます。デザートは、お食事がお済みになりましたらプティフールをワゴンでサービスいたします」
恭しく頭を下げ、顔を上げるタイミングで二人の客それぞれと目を合わせる。四條がテーブルを去ると、若い女性がはしゃぐような声がその背中を追いかけた。
四條が執事喫茶&レストラン『ジャルダン・デ・ニュイ』で働き始めて約二週間。三日間の研修期間中は、接客業が初めてだったこともあり、続けられるか自信がなかったが、客に喜ばれたり、指名されたりするうちに、少しずつやり甲斐を見つけていった。
そして、ヨコハマ洞窟探検から戻ってから今日まで、カズマの家族を助けるという新たな使命も出来た四條は、自分に出来ることを尽くそうと頑張っている。
入店してすぐにナンバーワンの座を欲しいままにした四條が、もしも一般的な性格であったなら、自分はここで求められている、と必要以上に得意になっていただろう。だが、すぐにネガティブモードになってしまう四條は、自分が蹴落とす結果になってしまった元・ナンバーワンのスタッフに申し訳ないという気持ちと、自分なんてどうせすぐに誰かに追い抜かれてしまうだろうという思いに、いつも囚われている。
誰かと比べることなどない。自分は自分だと理解し、やるべきことを求められた以上の成果で返し、その対価を得る。仕事とは本来そういうものではないのか。
生前、内勤で主にデスクワークをしていた四條は、不得意分野である接客業をいまいち楽しめていないのだ。
ユイもカズマも、四條をイケボだと褒めているし、他のスタッフからも絶賛されている。何よりも訪れる客に満足して帰ってほしいと思うから、それならなおさら、自身の優れた部分を伸ばしていくべきだ、とはわかっている。
「オーダー入ります。十三番テーブル二名様。ランチコースふたつで、温野菜の玉ねぎは二つとも抜きでお願いします」
「りょうかい~! ついでに九番テーブルのデザート持ってってくれるか」
厨房からシェフの熊沢が声をかけると、四條は戸惑った顔をした。
「九番テーブルは、折原さんの担当では?」
四條が答えると、熊沢は壁の時計をチラと見遣り、肩をすくめて言った。
「折原の奴、十分前にトイレに行ったまま戻らねえんだよ。大きい方だな」
困り顔の熊沢に、四條は笑顔で「わかりました」と返した。
すぐにアイスクリームとプティフールの盛り合わせがカウンターに置かれ、四條はそれを九番テーブルへと運ぶ。
「お待たせいたしました。デザート盛り合わせでございます。チョコレートとキャラメルのソースは、お好みでお使いくださいませ」
テーブル担当の折原ではないことを咎められるのではないかと、内心ではびくびくしていたが、客は指を顔の前で組むと「美味しそうだわ。ありがとう」と、四條に好意的に微笑んだ。
「このあとすぐにコーヒーが参ります。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
ホストクラブと違って客にどれだけ金を使わせるかで、受け取る報酬が変わってくるようなシステムではない。四條はその点はありがたいと安心していた。だが、より高いコースを客に選ばせることができるかどうかは、執事スタッフにかかっているのだ。四條がごく短期間でナンバーワンに登りつめたのは、高級感を演出できるその声と、品を感じさせる身のこなしにあるのだろう。
九番の客に丁寧に頭を下げる。「失礼いたします」と言ってそこを去ろうとすると、十八番テーブルの客が伝票を持って椅子を立つのが目に入った。四條は無人だったレジに入ると、その男性客が来るのを待つ。
「十八番の旦那様がご出発です。コートをお願いします」
近くにいたスタッフに声をかけ、預かっているコートをクロークから持ってくるよう指示する。男性客から伝票を受け取って会計を済ませたあと、スタッフが届けてくれたコートを広げ、客の背後からそれを着せた。
「旦那さま、行ってらっしゃいませ。お早いお帰りをお待ちしています」
男性客は四條の言葉を満足げな顔で聴くと、北風の吹く寒い戸外に出ていった。
店は毎日それなりに忙しいが、このように充実したアルバイトを、まさか死んでから経験することになるとは、人生わからないものだ。死んでからも「人生」と言えるのだろうか、と四條はこっそり苦笑する。
客たちとは、それぞれの持っているモンスターの話でも盛り上がる。四條はそのたびに、マルゲリータと出会った日のことを思い出して泣きそうになるが、顔を引きつらせながら笑って堪えている。せっかく知的でクールな執事というイメージがついたのだ。ここで涙など見せるわけにはいかない。
良きライバルであり、仲間になったマルゲリータとディアボーラ。彼らにまたバトルの機会を与えてやりたいと思いながら、四條は今日も誠心誠意仕事に励む。
食料おけ、モンスターたちのフードおけ、傷薬おけ、採取した水晶を入れるためのデイパックおけ!
チェックした持ち物をひとつひとつ確認して……、準備万端、いつでも出発オッケーだぜ。
「やっとこの日がきたわね。水晶を守ってるギュレーシィはもういないんだから、今度こそサクッと採れるはず。いくわよ!」
前回、何者かに水晶を取られたことをまだ怒ってるユイが、興奮して顔を赤くしながら言った。
そうだ、ディアボーラがいないってことは、この五日の間に、また何者かが根こそぎ持ってっちまう可能性もあるんだよな? 俺たちは、たまたまみゅうから聞いて知ったけど、他にも水晶はまたすぐに生えてくるって、知ってるヤツもいるかも知れねえじゃん。
いや、もしそうだったら、どうなんの? 母さんと真帆がヤバいことになっちゃうじゃん! すっげ、急に心臓がバクバクしてきた。いやいやいや、待て待て。悪いことは考えだしたらキリがねえ。きっとあると信じて行くしかねえんだから、今から無駄に不安になるのはよそう。ったく、俺まで四條さんみてえにネガティブになってちゃしょうがねえよ。
「この前、俺が病院に行く前に見た感じだと、入り口は若干形が変わってたけど、中はそうじゃないんだよな? だとしたら、進路はみゅうが記憶してるし、前回よりも早く辿り着けるはずじゃねえか?」
『鍾乳石の位置などは少し変化があるはずですが、大きな違いはありません。ほとんど同じです! 不思議のダンジョンみたいなことにはならないので、ご安心を!』
バッグの中から、みゅうのくぐもった声が聞こえた。階が分かれてるような、入り組んだ洞窟じゃなくて本当に良かった。
他には強いモンスターも、いない……はずだよな。今回ばかりはチートで行かせてくれ、ヨコハマ洞窟編クライマックス。
話しながら歩いてたら、ヨコハマ洞窟が見えてきた。この前よりももっと細くなったような入口の前に、『間もなく終了! 本日二十時、ラスト入洞』のプレートが風に揺れてた。
飲食店のラストオーダーみてえだな、おい。入ったはいいが、そのまま出て来られなくなることを視野に入れて、入洞時刻には〆切が設けられてるってわけね。俺たちも、もうちょっと遅かったらヤバかったじゃん。
じゃあ、入ろうぜ、ってゴツゴツした岩の敷居みてえな入口の前に三人で並んだ時、俺たちが来た道とは反対側から、誰かが歩いてきた。
「あっ……、こんにちは。先日は死にかかったところを助けていただき、本当にありがとうございました」
え? 誰だっけ……。って、顔を見合わせる俺とユイと四條さん。
「あ、行き倒れてた……」
「あ、準備が大甘だった……」
「あ、おにぎりの……」
俺たちは同時に思い出して、それぞれがこの人の印象を口にした。「大甘だった」って言ったのが、もちろんユイな。
「あぁ、もう体調は大丈夫ですか?」
俺がおにぎりと飲み物を千円で売った、あの時の遭難者だ。ここでまた会うなんて、これって何のフラグだよ?




