第24話 死者の薬
ヨコハマ洞窟の入口は、俺たちが入ったときと同じように怪しげにそこに立ってたけど、誰も気にしねえと思ってか、微妙に形が変わってるようだ。
そうだよ。「入口」しかない洞窟は、まるでドラ○もんのアノ道具みてえに、「その先」が物理的に存在してるわけじゃねえ。
岩や鍾乳石でごつごつした薄くて巨大な塊を、人の身長よりでっかくくり抜いたっていうとわかり易いのかな、いや、逆にわかりづれえか……。
とにかく、現実にあったような洞窟を想像してたら大違いっていう、まあ、異世界仕様の洞窟だ。
この前入ったときには、ただ「ヨコハマ洞窟」って書いてあっただけのプレートには、
「超観光地・ヨコハマ洞窟 あと十日! 早く来てね!」
ってふざけた案内が増えてた。あと十日? あと十日でこの洞窟はここから消えて、また別のどこかに移動するのか……。そうか……。
って、あと十日かよ! ちょっと待て。それはこの入口がここにあるタイムリミットってことだよな。もし、俺らが中にいる状態で十日目を迎えたら、そん時は俺らってどうなっちゃうの?
えーっと、みゅうが今朝言ってた「五日後」に水晶を収穫するとして……それなら五日後プラス最大三日としても、大丈夫だよな? 俺たち、見知らぬ外国のジャングルなんかに飛ばされたりしねえよな?
のんびりしてられねえじゃん。ユイが書いてくれた病院の地図は、わかり易いようでめちゃくちゃなんだもん。
『ヨコハマ洞窟』って黒く塗りつぶされた塊の前に、人が立ってる記号みたいなやつが……。
「これがカズマよ。いい? ヨコハマ洞窟を背にして、道路を挟んだ向かいに薬局があるから、ここはモンスター用の傷薬なんかも売ってるわ」
って言いながら、三色ボールペンの黒を引っ込めて青を出し、薬局がある場所をぐるぐる塗りつぶす。
「薬局を左に曲がって線路沿いにしばらく歩いたら……、ほら、ここが病院。わかった?」
線路は黒いインクで、病院は赤に変えて地図記号で病院を表す十字を描く。こんな単純な道順で、間違えようがねえよ。地図なんか描かなくたって、口頭で説明してくれれば充分だっただろ。と思ったけど、せっかくのユイのご厚意の地図を握りしめ、俺は脚を引きずりながら病院に向かった。
『宮本さん、宮本和真さん。五番診察室へお入りください』
異世界の病院と現実の病院。俺がいまいるのはどっちだよ? って混乱しそうなほど、病院内は現実世界とまったく同じ様子だった。
こっちに来てから、外を歩いてる人は現実の半数以下だって気づいてたけど、病院はそれなりに混んでて、一時間以上待たされてから、やっと診察の順番がきた。これでちっょとラクになれると思うと、引きずってた脚も心なしか軽い。
クリーム色の地に大きく「5」って書かれたスライドドアを開けて、恐る恐る中に入った。
「こんにちは。お荷物はそのカゴに入れて、こちらにおかけください」
五十代くらいの看護師さんに言われるまま、俺は椅子に座った。
リアル「ロマンスグレー」って初めて見たかも、っていうのが第一印象。銀色に見えるほとんど白髪の頭が、なんていうかすごく落ち着いた感じでやさしそうで、身体の痛みを忘れさせてくれるような、そんなパワーを持つ六十代後半と思われる医師。目の前の医師は、さっき俺が書いて受付に出した問診表を読んだあと、まず腕を見せろと言った。
「ひどい打ち身だねぇ。痛みはどんな感じ?」
「こっちは一昨日やったんですが、昨日よりは今日の方がラクです。当日は痺れて力が入らない感じでした」
左腕は怪我してからまだ二日。マルゲのレインボースクリューがかすったところだ。あの、電柱を根元から抉り倒すほどの効果がある大技。それを、死んでるとはいえ人間の俺が受けちゃったなんて、かわいそうで鼻水が出そうだぜ。
「あとは、脚ね。そこの台に仰向けになって、ズボンをまくって見せて」
医師の机とは反対側の壁沿いにある処置用のベッドには、白いシーツがピシッとかぶせてあって、四角い枕にも白い布がかかってる。
「はい、どうぞ」
畳んで足元に置いてあったバスタオルをどかせて、看護師さんが言う。それから角柱を横にしたような枕の上に、ライナーシートをかぶせてくれた。
俺は言われた通りに台に上がって、ジーンズをまくり上げて怪我した部分を出した。
「あぁ、これはひどいねぇ。なんですぐ来なかったの?」
「いえ……、恥ずかしながら、お金がなくて……」
こんな結構な怪我を、二週間もほったらかしにしなきゃならないほどの金欠。それが恥ずかしくて、最後の方は声じゃなくて、ほとんど息しかでてなかった。この痛みにもだいぶ慣れたっていえば慣れたけど、強い打撲と縫うほどの裂傷は、まあそれなりにひでえ状態にはなってた。
打撲による内出血がなかなか治まらなかったらしく、真っ黒い皮膚の範囲が心なしか広がってるみてえだ。そんで、文字通り裂けたところは、ちゃんと傷口が閉じるように包帯を巻くなりしてなかったから、赤いゼリーの固まりかけっていうか、ザクロの実が潰れたっていうか、うん、とにかくまあそんな感じで、自分の身体のことなのにそれどころじゃなくて、傷のことなんか忘れていたかった俺は、この傷を極力見ないでいたわけだけど、いま明るい場所で改めて見ると、その悲惨さに思わずオーマイガ的なアクションして、ぎゅっと目を閉じちゃいたい気分。それくらいひどい傷になってる。そんで、化膿したのか壊死したのか、これぜってー腐ってる、っていう臭気が捲ったパンツの下からぷあーんと漂ってきたのも追い打ちをかけてて、その羞恥と混乱はちょっと俺の語彙力じゃ表せないほどに強烈。
生きながら腐ってるなんて、ゾンビじゃねえかよ! って心の中で自分ツッコミいれてみたけど、いや、自分生きてねえじゃん、て、そこへさらにツッコむ一人二役漫才な俺。
死んでんのに腐るって、そんなのこっちの世界では普通なんでしょうかね、先生?
「腕の方は、モンスターの技を直接受けたんですね……。まあ、強い打撲だね。それなら、専用の薬を塗れば一日で治りますよ。こっちは、電柱の下敷きになった……。うーん、日が経ってるし、これだけ表皮がぐちゃぐちゃになってると、これは縫えないねぇ」
医師が言ったことに、俺は驚いて顔をあげた。
「えっ? 専用の薬って、どういうことですか?」
「この世界の仕様だそうです。モンスターの技を人間が受けても、ゲーム上では人間は無傷でしょう。それと同じみたいですよ」
白衣の胸には、「藤本」ってプレートがついてる。俺は藤本先生の手元を見ながら「この世界の仕様」って言葉を頭の中で繰り返した。
『どんな怪我や病気をしても、この世界でもう一度死ぬことは出来ない』
ユイはそう言ってた。だったら、モンスターの技で傷ついた部分はすぐに治るから心配ないって、教えてくれたっていいだろうがよ。いや、でもユイにも知ってることと知らないことがあって、きっとユイはこのことを知らなかったはずだ。そのバランスの悪さはなんなんだろう?
この世界について詳しすぎるユイって、一体ナニモノなんだろな。それは訊いたらいけないような気がしてたし、俺も知るのが怖くはある。だからって、ずっと先送りにしていい問題でもなさそうだ。だって、ユイはこれからも一緒に行動する仲間なんだからさ。
「傷口が膿んでますから、洗い流して消毒して、圧着するように包帯を巻いておきます。お風呂に入るときはその上からラップをして、包帯は取らないでくださいね」
てきぱきと準備しながら看護師さんが言う。俺は、想像以上に酷いことになってた傷を見たショックで、まともな返事ができなかった。固まった血や膿を洗い流したら、傷自体はちょっと小さくなってるように見える。そんで、またユイのことを考えた。
一昨日はユイの方から、トリミングサロンのバイトの件を話してくれて嬉しかった。けど、それはどこにあるのかも聞いてねえし、ユイの家族のことも全然わかんない。なんか俺だけ母さん、クソ親父、それに真帆まで家族全員の顔と名前を知られてて、不公平感があると思うんだけど……。
「腕と脚とでお薬がちがいますから、薬局でよく説明を受けてください。右脚をかばって歩いていたせいで、腰もちょっとやっちゃってるねぇ。一週間後に、また診せてください」
「はい、わかりました」
腕には専用の湿布を貼ってもらった。痛みがすぅっと楽になって、腫れも引いたような気がする。内出血の色も含めて、明日には綺麗に治るらしい。
昨日から絵描きの仕事も再開したことだし、利き手じゃなくても多少の不便はあったから、ロマンスグレーの藤本先生に感謝、だな。
「宮本さんは、モンスターは持ってるんですか?」
ロマンスグレーは処方箋をプリントしながら訊いてきた。えっ! ここでそんな話をしてもいいんですか?
ユイ、四條さん以外の人とモンスターの話をするのは、もしかしたら初めてかもしれねえ、って、俺は急にハイテンションになった。
「はい! シャーヴォルとシャーグラスを……。先生は?」
「シャーヴォルとシャーグラス、かわいいパートナーですね。私のパートナーはシマリてす」
初めて聞いたモンスター名に目をぱちくりさせてたら、藤本先生はパソコンの画面にシマリを映してくれた。シマエナガに似た、白くてふっくらしてて、顔がすげえ可愛い鳥のモンスターだ。頭にはふさふさした毛が生えてて、俺はその毛を撫でてみたくて手がうずうずするのを自覚してた。
「可愛いですね! いいなぁ、シマリかぁ。この子、大きさはどのくらいなんですか?」
「ふふ、可愛いでしょう。シマリの大きさは、実はこの程度です」
そう言って先生が自分の手で作った丸は、直径十センチくらいだ。
「えっ! こんなに小さいんですか。へぇー、今度外で探してみます」
「可愛い見た目ですが、シマリのくちばし攻撃は強烈ですよ」
先生もちょっとドヤ顔になってて、モンスターのことを話すのは嬉しいみたい。
「俺のシャーヴォルも、どんどん強くなってます。まだ出会って三週間くらいですが、バトルではほとんど負けたことがありません」
「パートナーとの絆を深めるのは結構ですが、どうぞ怪我には気をつけて」
受付に提出するファイルにカルテと処方箋をはさみながら、藤本先生は微笑んだ。俺は、もっとモンスターの話をしたかったんだけど、診察室に長居すんのは他の患者に申し訳ねえよな。
「ありがとうございました。失礼します」
診察室を出たら、俺がいた時よりも待合室は混雑してた。やっぱここも現実と同じで、高齢者が多いような気がする。
異世界に来て、これだけの人数を一度に見たのは初めてかもしれねえな。現実だったら、どこにだって人は溢れて、どこに行っても誰かの干渉があって、窮屈だと感じることばっかりだった。この異世界に来たら、繁華街も閑散としてて、建物や設備が空虚なものに見えることもしばしば。ひのまると雪風がいてくれて、本当によかったって、俺は二匹がいる手のひらをじっと見つめて、それからそこに笑いかけた。
モンスターを持ってない奴から見たら、今の行動って気持ち悪いんだろな。ふふっ。
会計窓口のトレイにファイルを置いて、待合室の椅子に座った。診察の待合室は混んでたけど、会計は空いてた。茶色とベージュの合皮が張ってあるベンチはガラガラで、俺は周りに誰もいない場所を選んで溜め息をついた。
腕も脚も、来た時とは比べ物にならないくらい楽になってる。あんなに酷かった脚の怪我も、すぅっと痛みが引いて軽くなった感じ。やっぱ、適切な治療を受けるってことはメンタルにも重要なんだと再認識。そんで、ふと気づく俺。この世界に来てユイと出会ってから、ひのまるもそばにいない状態っていうのは初めてかもしれない。ユイと四條さん。雪風、それからリンリン、マルゲたち。あいつらがいなかったら、きっと俺、とっくに壊れてたのかもな。
自分の勝手で死んで、地獄じゃなさそうな異世界に来て、そこそこ楽しく、しかもやり甲斐を感じて暮らしてるなんて、なーんか、本当に母さんと真帆には申し訳ねえよ。
母さんは、あいつらに「来週までに十万円は返済する」って言ってた。それが叶うかどうかは、きっとこっちでの俺次第だ。俺がこっちで水晶を手に入れて金を作れたら、来週は母さんもイヤな思いをしなくて済むだろう。
ユイも四條さんも、自分とは無関係な俺の家族のためにがんばってくれてるんだ。
俺だって仲間や他の誰かを助けたり、幸せにしたいって、思うようになってきた……と思う。
昨日の朝、みゅうの緊急ニュースを見たあとに俺たち三人で話し合った計画は、前回ヨコハマ洞窟に入ったときと同様、食料その他を買うための金を、それぞれ稼ぐ。そんでふたたび生えてくる水晶を手に入れて換金して、住むアパートを見つけて引越しする。その二点だった。
ユイと四條さん、三人での生活はなんだか今より楽しそうだ。
そういえば、四條さんの家族構成って聞いたことねえな。現実に遺してきた家族って、いるんだろうか……。引越しが済んで落ち着いたら、訊いてみようと思う。たぶん、きっと、またグスグス泣いたりしてうざいんだろうけどな。
山下公園に着いたら、まずひのまると雪風を出した。ずっと手のひらに収まってた二匹は、嬉しそうに風の匂いを嗅いで伸びをした。両側から甘えてくるのを撫でながら道具を出してると、遠くから「カズマさ~ん!」って俺を呼ぶ声が聞こえた。
あっ……。俺はそのねちっこい声に思わず首をすくめたけど、この人もリピーターでいいお客さんだ。
そう、(俺の心の中での)あだ名はキモたん。いらっしゃいませーっ!




