第22話 闇夜を駆け抜けろ
白いフレームには、教団のトレードマークである世界地図を模した意匠が施され、周囲には白い宝石が散りばめられていた。座面と背もたれには、白い羽根が刺繍された贅沢なクッションが配置されており、その、まさに玉座といえる椅子に沈むサガラは、目の前に立つアインと、その部下である三人の男性団員を一瞥すると、目を閉じて静かに溜め息をついた。
「申し訳ございません、サガラ様!」
アインが跪いて謝罪の言葉を吐くと、三人の男たちも慌ててその場に倣った。
「水晶はひとつ残らず採取し、持ち帰りました。ただ、そこを守っていたギュレーシィは想像以上に強く、捕獲には至りませんでした。あれ以上の攻撃は、ギュレーシィの命を奪うことになると判断し、『生体での捕獲』を命じられた我々は、やむなく引きさがりました」
ひとつひとつ慎重に言葉を選び、サガラの機嫌を損ねないようにと注意したアインだったが、そこまて聴いていたサガラは、目を閉じたまま眉をぴくりと動かした。
「そうですか。あなたの『判断』で引き下がったというのですね。この私のではなく……。アイン、それはどんな意味を持つのか承知していますか」
冷たく言い放つサガラの言葉に、アインは震えあがった。
「滅相もございません。サガラ様、私はサガラ様の忠実なしもべでございます」
ギュレーシィ捕獲のために、アインと団員たちが使ったモンスターは相当なダメージを負ったが、すでにそれぞれに適した薬で回復している。サガラの前に並んだ四人は、まだ顔や身体のあちこちに包帯が巻かれ、杖を手放せない者もいる有り様だ。
「そうですか。データでは、ミニュルだけで互角に渡り合えるはずだったのではありませんか。我々の考えが甘かったようですね。珍しいモンスターはなにもギュレーシィだけではないわ。次の作戦に切り替えましょう」
「ありがとうございます、偉大なるサガラ様。水晶についてはすでに納品し、代金は受領済みでございます」
指先を小刻みに震わせながら、アインは報告する。なんとしてもこの場で、サガラの信頼を回復しておきたいところだ。
「いい、アイン。私は大いなる神に選ばれたものです。そしてアイン、あなたは私に選ばれた存在なのです。あなただけではありません。このヴェルト教団に集まる者たちすべては、私が神とともに選んだ者。我々だけが、この世界を治めることが出来るのです。モンスターを持つのは、私たちだけでいい。民衆が自らの愚かさに気づく前に、すべてのモンスターを我がヴェルト教団で管理し、あるものは供物として、あるものは母体として、そしてまたあるものは我々の糧として永遠の命を謳歌する。弱いものにも強いものにも、私がみな同じ光をあたえましょう。それがヴェルト教団の理想とする美しく素晴らしい世界です。さあ、アイン、新たな作戦を始めなさい」
こうしてサガラに洗脳されてゆくのだ、と思いつつも、アインはサガラの瞳を見つめ返しながら頷く。サガラがどんな悪事を企んでいようとも、サガラが自分に手を差し伸べてくれるなら、それにすがるしかないのだ。あの永遠に続くと思っていた地獄のような日々から掬いだしてくれたのは、他でもない、このサガラなのだから。
だからアインはサガラに感謝し、サガラに尽くし、サガラに認めてもらうことだけを幸せとしてこれからも生きるのだ。
「サガラ様、次の作戦を実行するための指示をください」
アインは気持ちを引き締め、いつまでもサガラの側近として一番近くにいるために働こうと、指示を待った。
「ヨコハマ洞窟はまだ口を開けているけれど、再度ギュレーシィを狙うのは、あまり得策ではなさそうですね。あまり目立つことはしない方がいいでしょう。新しい『家族』のためにも」
家族とは、最近入信した信者のことだ。彼らはサガラを崇拝し、自分たちが持っていたモンスターを教団に預けた。それ以上何も知らなければ、彼らにとってここは聖なる楽園に違いないのだ。
終わりのない戦いから退き、二度と死ぬことのできない、この世界での永遠の命を嘆くこともなく、たくさんの仲間、いや、家族に囲まれて日々を暮らす。彼らにはもう、個々の感情も不要なのかもしれない。なにをもって幸福とするかは、人それぞれだ。
「しばらくは商品の管理をお願いすることになります」
期待を込めてサガラからの指示を待っていたアインは、そのやり甲斐のなさに落胆した。
「えっ、それだけ……ですか?」
「それも重要な仕事ですよ、アイン。現場に出て終わりではありません。持ち帰ったものを資金に変えてこそ、今後につなげてゆけるのですから」
アインにとっては慈悲深いととれる表情で、一語一語含めるように伝えるサガラの顔を見上げ、アインは涙ぐんでいた。
「はい。お任せを」
アインが胸に拳を置いた。するとサガラは微笑みながらアインに立ち上がるよう促す。そして自身も玉座から腰を上げると、アインの頭を片手で抱いた。
「期待しているわ、アイン」
頬に触れるサガラの髪の感触、やさしい声と芳しい香水の匂いに、とうとう涙をこぼしながら、アインは「はい」とだけ返す。三人の男たちは、その様子を無言で見守っていた。
サガラの部屋を出ると、アインは三人の部下たちにモンスターのフードを調達するよう命じ、自身は保管室へと向かった。保管室は、サガラの部屋のある南棟からいちばん遠い北棟の端にあり、そこは外部のものが出入りするための駐車場と倉庫の隣に位置していた。
アインが保管室の鍵を開けると、身動きする余裕もないほど狭いケージのひとつひとつには、前回と変わりなくモンスターが押し込められていた。そのケージは何段にも積み上げられ、上下左右には脈絡もなく異なった種が収まっているので、相性の悪い種同士はケージ越しにも攻撃技を放っている。それはかつて誰かのパートナーだったものや、教団員が捕獲してきたものだった。
アインが近づいてゆくと、モンスターたちはあからさまに不快感を露わにし、狭すぎるケージの奥に逃げようとしたり、気性の荒い個体は威嚇したりした。
そんなモンスターの様子など気にも留めず、アインは個々の状態を機械的にチェックし、タブレットに入力していった。
「グログラン・体長五十センチ、毛並みが荒れてるわね。フードは……食べてない、か。食べないとますます外見がボロボロになって、売れなくなるじゃない」
深紅のグログランは、ちょうど脱皮したばかりのようだ。自分の身体の下に、茶色がかって干からびた抜け殻が落ちている。
「そう、あの汚い色から深紅に変わったのね。だったらなおさらきれいに保たないと。美しくなったお前をサガラ様にお見せするのが楽しみだわ」
ワイヤーで編まれた質素なケージは、どれも錆が目立っている。元は白いプラスチックでコーティングされていたが、経年にしたがって赤茶色に変色していた。
「この部屋も、一度全部のケージを出して掃除しなくちゃね。ひどい臭いだわ」
不衛生で狭く暗いこのモンスター保管室には、一日に二度、給餌担当の幹部が来るだけだ。長く閉じ込められているモンスターの中には、すでに生気を失っているものもいる。そうなったらよほど健康を回復しなければ商品としては通用しない。
アインは、そんなモンスターの未来を知っているだけに、ふっと暗い気持ちになる。
その時、すぐ脇のケージの中から鋭い視線をぶつけてくるモンスターがいた。
「うるぅぅっ、ぐるぅぅっ、シャー!」
腕時計に搭載されたAIでスキャンすると、そのモンスターの情報が現れた。
「シャードネル……猫型のモンスターは高く売れるのよね。はぁ、ヨコハマ洞窟であの氷の猫を捕獲できていれば、昇給間違いなしだったのに」
給料のことはあまり気にしてはいないものの、上がるに越したことはない。お金があれば、強くてかっこいいモンスターも、ブランド物の服もバッグも、なんだって手に入る。お金で不可能を可能にするサガラ様は、つくづく人を支配するのにふさわしいと思う。
先日入荷したシャンテーヌとシャノワールは、すぐに売れてしまったと報告があがってきたが、このシャードネルは人馴れしにくい種だ。販売予定価格は十五万円と記されたカードがついているが、もう少し下げて早々に手放してしまった方がいいのではないか。などと考えていると、シャードネルが技を発動してケージの一部が腐食した。
「くっ、この……!」
ミニュルを出してシャードネルにけしかけようかと思ったが、ケージだらけのこの部屋の中では、ミニュルを解放できない。アインが怯んだのを見逃さなかったシャードネルは、何度もケージの一ヶ所を攻撃し、ついに自分が通れるくらいの穴を開けた。
アインは捕まえようと手を伸ばすが、シャードネルはすり抜けざまにアインの手に噛みつき、目にも見えないほどのスピードで脱走していった。アインは焦った。このことがサガラの耳に届いたら、自分はお払い箱になってしまうと。
「ゲレーヴ!」
先日捕獲したばかりのゲレーヴに追わせようとしたが、シャードネルの素早さには到底勝てなかった。おどおどしながら戻ってきたゲレーヴを睨みつけ、アインは部下に音声データを送る。
『緊急連絡、緊急連絡。保管室からシャードネルが脱走。サガラ様のお耳に届く前に、速やかに確保せよ。繰り返す。シャードネルを確保せよ』
『了解!』
『了解!』
シャードネルが教団敷地内の地理を理解しているはずがない。目的地もなく、闇雲に走るだけのモンスターなど、簡単に確保できるはずだと、アインは自分に言い聞かせる。保管室から外へ出ると、冷ややかな空気が肌を撫でていった。
アインは目を閉じて耳の後ろに手を添え、シャードネルの気配を辿ろうと試みるが、モンスターたちのように、特殊な能力を授けられたわけでもないただの人間には、室外機やボイラーのノイズが聴こえるだけだった。
倉庫の屋根で身を低くしていたシャードネルは、そこを飛び出して広い駐車場を横切ると、教団施設をぐるりと囲むフェンスを軽々と跳び超えた。夜の闇に身を溶け込ませ、久しぶりに味わう外の空気を胸いっぱいに吸い込む。冷たい風にしなやかな毛並みをなびかせながら、家族とともに暮らしていた家の方向を目指して疾風のように走った。




