第2話 JKのユイがしょうぶをしかけてきた!
「んん……、うぅーん」
遠くで俺が唸ってる? どこから聞こえてくるんだろう、と思ってたら目が覚めた。実際にうなされて声が漏れてたらしい。
「え? ……あれっ? ここどこだ?」
なんか頭痛てぇ、って目をこすりながら顔を上げたら、ちょっと待てよ。ここって外じゃん!
えぇ? 何がどうなってんのかわからなくて一瞬パニックになったけど、すぐに思い出した。家に辿り着く前にここで力尽きたんだな。あとちょっと頑張ればベッドで眠れたのに。こんなアスファルトの上で寝ちゃって身体もあちこち痛てえよ。
「ふあーぁ……」
欠伸しながら座ったまんまで伸びをした。肩を回して腰をひねって、やっと立ち上がってから時計を見た。もう昼前か。こんなとこで寝てたのに、誰も起こしてくれなかったんだな。佐藤さんちの旦那さんも、竹下さんちの裕也くんも、朝はこの道通るはずなのに。いや、でも見知らぬ通行人から、酔っぱらって地べたで寝るような若者と知り合いだって思われんのも、それはそれでイヤだろ。俺だったら起こすけど。
「ま、とりあえずコンビニいくか」
コンビニに向かって歩き出したら、五歳くらいの女の子が向かい側の歩道でしゃがんでた。周りに大人は誰もいない。あんなところに一人でいたら、さらわれちゃうんじゃねえかと思うけど、俺が声をかけて変質者や誘拐犯扱いされんのも困る。どうしたもんかと反対側の歩道から見守ってたら、その子が顔をあげてこっちを見た。
「うっ、めちゃくちゃ可愛い!」
エンジェルフェイスっていうのは、金髪に青い目って決まってんのかもしれないけど、それを差し引いても天使みたいに可愛い子どもだった。その子は俺と目が合うと、本物の天使のように笑って、その子が笑うと周りの空気がキラキラ輝いてみえた。
「ありがとうございます。あなたがわたしを助けてくれた王子様ですね」
「えっ? いや、あの……」
それって俺に言ってんの? きょろきょろしてみたけど、俺以外には誰もいない。
「ねえ、ママかパパか、大人の人は一緒じゃないの?」
女の子はいつの間にか白い小さな花を持ってて、それを鼻のところへ持って行って目を閉じた。花の香りを深く吸い込んでいるような顔は、なぜか見ていて涙が出そうなほど清らかで、俺は実際に目から溢れてくる涙を拭いながら、どうしたんだ俺って不思議だった。
女の子が俺を信用してくれたなら、近づいて話しかけてみよう。信号が青になるのを待って渡ろうとすると、赤信号なのに突っ込んでくる車があった。
「あぶねえだろ!」
と走り去る赤い軽乗用車に向けて悪態をつき、ふと正面に顔を戻したら、女の子は消えていた。
まるで幻のように、いなくなってたんだ。
二日酔いだからかな、と気を取り直してコンビニに入った。店内に客はいなかった。雑誌の棚には立ち読み防止のためか、最近はビニールカーテンがかけてある。その上からいろんな雑誌の表紙をずらーっと眺めたけど、まだ酒が残ってる頭には、大きく書かれた雑誌のタイトルや、イラストやモデルの写真なんかも、ぼんやりしてよく頭に入ってこない。
「取りあえずコーラだよな」
冷蔵ケースの扉を開けて、コーラにするかジンジャーエールにするか迷って、結局ジャスミン茶にした。二日酔いで胸焼けする胃に炭酸は良くないような気がしたから。でも茶葉の成分もけっこう空腹には良くないんだっけ……と、そんなことを思いながらとにかく冷たいものが飲みたくて、それをレジに持っていった。
いつもの店員は、どこの国の人だかは知らないけど、明るくて働きものだ。来るたびに笑顔で挨拶してくれるので、ここで買い物するのは気持ちがいい。
でも、今日はなんか、機嫌が悪いのかなんなのか、俺の顔を無表情のままじーっと見て、何も言わない。
え、俺の顔になにかついてんのかな、と思ったけど、気にせず「テープでいいです」って言いながら財布を出そうとした。けど、ジーンズのバックポケットに入れてあるはずの財布がない。
「あれ? すいません、ちょっと待って」
服の上からあちこち触ってみたけど、財布はどこにもなかった。マジか。寝てる間に誰かに盗られたのか? だったら交番に届けなきゃ、だな。クレジットカード類は入れてないからいいけど、いろんな店のポイントカードとか……あっ! 保険証も入れてあったのに。
財布はなくてもお茶は飲みたい……。思い出してコインポケットに中指を突っ込んでみても、硬貨は一枚もなかった。
「おっかしいなぁ。あぁ、すいません。またあとで来ます」
そう言って、ジャスミン茶を店員の方にちょっと押して、ペコっと頭を下げて店を出ようとした。
そうしたら、俺の背中に意味不明な言葉がかけられた。
「タクラマカン砂漠は、小学校の地下にあるらしいですよ」
思わず振り返って店員と目を合わせたら、いつもはやさしい表情の真っ黒な目玉が、もっともっと怖いくらい真っ黒に光って俺を見てた。
無表情な顔にでかくて真っ黒い眼は、人間以外のナニカを連想させて、俺は逃げるようにコンビニを出た。
「なんだよ、今の。トリハダ立っちゃったじゃねえか」
俺は服の上から自分の腕をさすって、ゾクゾクする肌表面を落ち着かせた。
「どうしたんだ、あの人。タクラマカン砂漠の出身なのかな。それにしたって小学校の地下ってなんなんだよ」
そういえば、通勤通学の時間は過ぎたっていっても、あまりにも人が少ない。少ないどころか一人もすれ違ってない。さっきの女の子も消えちゃうし、まだ夢の中なのか? いや、夢じゃない。俺は目覚めてるし正気だし、ここは俺んちの近所の路地だ。見回すとどの家も雨戸やシャッターが下りてて、人がいる気配が感じられない。
もしかしてアレか? 一夜にして町の人間全部が異次元にワープしちゃったっていう、関○夫がよくやってるような「信じるか信じないかは、あなた次第」な超常現象? そうだとしたら、俺んちは、俺の家族はどうなってる?
「お母さん! 真帆!」
誰もいない路地でダッシュをかけて、自分の家を目指した。角を曲がれば見えてくるはずの、俺のスウィートホーム。
だけど走ってる俺の目に入ったのは、角の手前にある電柱に寄りかかって、風船ガムをぷぅーっと膨らませてるガキだった。俺がそいつを見ると、そいつも俺を見てて、目が合ったと思ったとたん、場の空気感が変わった。
「ちょっとあんた、待ちなさいよ! 素通りなんて出来るわけないじゃない!」
ガキから「あんた」呼ばわりされる覚えはねえぞ、って思いながら立ち止まって、そいつのことを上から下まで眺めた。
服装からいって多分、いや絶対JKだよな。なんちゃってじゃなければ。白地に紺色のラインのセーラー服に、パンツが見えそうな短いスカート。そんで……笑っちゃダメか? 逆に今また流行ってるんだっけ? っていうスーパールーズソックス。
今実際にJKが履いてるような、くるぶし丈のソックスはぜんぜん可愛くなくてマジ勘弁だから、俺的にはルーズソックスの方がまだマシだけど、年長者にいきなりこういう話しかけ方をするって、親の教育がなってねえな。
「『あんた』って、俺お前の知り合いだっけ? 人違いじゃないなら何の用だ、俺はいま急いでんだよ」
早く家に帰って家族の無事を確認しないと気が気じゃねえだろ。なのにこのガキは一体俺に何の用があるのか知らねえが、ぐいぐいくる感じがちょっとコワイ。俺のタイプじゃないけど、アニメ好きには受けるような外見なんだろうな。長くて真っ直ぐな黒い髪がツヤツヤしてて、切れ長の目に生意気そうな鼻。
「バトルの準備はいい?」
「は……? バトル?」
「さっさと出しなさいよ。じゃないとこっちから行くわよ」
さっさと出せって、なんだこいつ、カツアゲのつもりか? それとも白昼堂々ここで俺にチンコだせってか?
「いや、金なら持ってねえよ」
財布を無くしたんだよ! って言いたいけど、それはこいつには関係ないことだ。
「あんたあたしを馬鹿にしてんの? さっさとあんたの持ってるのを出しなさいって言ってんのよ!」
『持ってるの』って、やっぱりチンコのことか? いや……さすがにそれはできねえよ。出した途端に「痴漢です!」なんて叫ばれて、逮捕されるか怖いお兄さんに拉致られるか、どっちかだろ。
「あの、俺、本当に急いでるんだ。早く家にかえらないといけなくて……。悪いけどまたな」
JKを振り切って走り出そうとした。そんな俺の目の前に文字が現れた。
『ダメだ! バトルから逃げるなんて! たたかえカズマ』
えっ……?
よく映画に出てくるような、透明のプレートに文字が浮き出たヤツ。あれが俺の行く手を阻むように迫ってきた。
「もう、なんなんだよコレ……」
俺はちょっとナミダ目になりながらJKを振り返った。するとヤツの上を向けた手のひらで青い炎のようなものがユラユラ揺れてて、それが次第に蝶みたいな形になった。
「なにっ!? なんなの、ソレっ!」
わけわかんねえ。見てるとその蝶みたいなのはどんどんデカくなっていくし、もしかして俺、あれと戦うの? バトルってそういうこと? あんなのに俺が勝てるわけねえじゃん。なんの武器も持ってねえのに。ゴジラじゃねえもん俺、超不利じゃんか。
俺はくるっと後ろを向いて全速力で逃げ出した、はずだった。でも、五メートルくらい進むたびにそいつの前に引き戻された。
「なんでだよ! もう助けてくれよ!」
逃げたくても逃げられない状況で発狂寸前の俺に、そのモスラみたいな蝶は翅をばっさばっさと振って鱗粉を吹き付けてきた。
「うぎゃっ。よせ、やめろよ!」
「だからあんたのを早く出しなさいよ! 持ってないならそのへんの子を捕まえるのね」
『そのへんの子』だ? 蝶なんか飛んでねえぞ。うっ、ちくしょう、目にモスラの鱗粉が入って痛てえ。えっと、えっと、あいつと戦ってくれそうなのは……。
片目が痛くて開けられない。狭い視界で周りを見ると、塀の上で日向ぼっこをしていた猫のような生き物が目に入った。
そいつは全身が茶色っぽくて、ツヤツヤでふわふわの毛並みで、首周りには透き通った青い炎のようなものがあった。なにより猫っぽい外見がいい。俺好みだ。
「おい、あのでかい蝶と戦ってくれないか? 俺を助けてくれ!」
顔の前で両手を合わせ、猫のような生き物に懇願した。そいつは俺をチラっと見て、ふふん、と笑うようにドヤったあと、ぐぅーんと伸びをしてから地面に降り立った。
「あの蝶とバトルしてくれ! やっちゃって!」
俺が猫さまをけしかけると、蝶の鱗粉攻撃が激しくなった。だが猫さまはそれをヒュンヒュンと見えないくらいのスピードで交わし、首をくるんと回したと思ったら、そこから青紫色の炎が発射されて、蝶は一瞬で黒焦げになった。空中でやられた蝶を抱きとめたJKがそいつにキスをすると、たちまち元の小さく元気な姿になって、JKの手のひらに吸い込まれていった。
「ふぅーん、あんた、初めてなのにいいパートナーと出会ったわね。はい、賞金よ。手を出しなさいよ」
いや、このJKは俺が躾てやる必要があるのかな~? 勝手にバトルをふっかけてきて勝手に負けて、そんでその態度かよ!
「お前なぁ、」
言いかけた俺の前に、JKが握った拳を出した。手を開けってことか。素直に開いた俺の手のひらに載せられたのは……三百円。
「は? 賞金ってこれだけかよ!」
「当たり前じゃない。あんたなに期待してんのよ、バカじゃないの」
JKはそう言ったあと、こんなレベルの低いバトルだし、あたしは大人じゃないんだから渡せる賞金だって少ないんだとか、色々説明を始めた。
なんか、さっきから薄々っていうか、ほぼ確信ていうか、背中にいやーな汗が垂れてるんだな。うん、ここって、もしかして……。
「そうね、あんたたちの言う『異世界』なんじゃない? あたしには当たり前の世界だけど」
JKはそう言うと、初心者に負けた悔しさからか、フンッと横を向いた。
「ふざけんなよ、俺はジサツしたんだよ。異世界なんかで生きるなんてまっぴらだね。ちゃんと死なせてくれる神様でも探しに行くわ……いるんならな」
そう言って歩き出した俺の背中に、JKからキツイ一言が投げられた。
「あんたが戦わないのは勝手だけどぉー、それで苦しむのはあんたの家族よ」
「は? なんでそういうことになるんだよ」
JKの説明によると、「この世界」はいままで俺がいた「現実世界」と反転してるっていうか、つながってるっていうか、とにかく俺がこっちで戦って賞金を稼がないと、お母さんや真帆が困るっていうことらしい。
「なんだよ、ソレ。そんなのありかよ」
「仕方ないでしょ。ジサツなんかするあんたが悪いのよ」
「この世界にいるのは、全部ジサツしたヤツなのか?」
俺が訊くと、JKは「さあ?」っていう顔をしながら教えてくれた。
「全部じゃないと思う。現にあたしは違うしね。なにを訊いても同じことしか言わない人はデフォルトのキャラクターと思っていいよ。そういう人はバトルを仕掛けてはこないから」
何を説明されたって、「ああそうですか」ってすんなり受け入れられるワケねえだろ。
死んでまで、なんで苦労しなきゃなんねえのよ。だったら死なないで頑張った方がよかったじゃねえか。
すでに死んだことを後悔しつつも、死んでまで喉が渇いたり腹が減ったり、それを買うために賞金を稼がなきゃならないことにうんざりした。でも確実に腹は減るし、なにより現世に遺した家族が困るのは回避したい。
おれは三百円を握りしめ、これじゃ何も買えないからと、JKじゃなくて大人のバトル相手を探して歩き出した。
「ちょっと! あんたはあたしと一緒に旅をするのよ!」
「俺一人でいい。お前なんか足手まといだ」
こんな生意気なやつとずっと一緒にいるなんて気が休まらねえ。
「お前じゃないでしょ! あたしの名前はユイ。言ってみなさいよ、ユイって」
「ユイ~? 生意気そうな名前だな。俺はカズマだ」
「パートナーは? もう格納したの?」
さっきの猫さまのことか。可愛くて強いあいつが俺のパートナーか。それはいいな。賞金稼ぎの旅も楽しくなるかもしれない。
猫さまは、さっきの塀の上に戻って毛づくろいをしてた。
「俺と一緒に来てくれるか?」
そういうと、ちょっぴり嬉しそうな顔をして、俺の手のひらに載ってきた。じっと俺の目を見つめながらちいさくなって、すぅっとその中へ消えていった。
「さあ、まずは腹ごしらえね。大人をやっつけてステーキ食べよう、カズマ!」
「だからお前より年上だっつーの」
「お前じゃなくてユイ! ちゃんとユイって呼びなさいよね」
「あー、はいはい……」
何から何までわかんねえ。ここが本当に「異世界」なのか、現実の俺は本当に死んだのか、これから俺がどうしていけばいいのか。でも、とりあえず一人じゃない。ユイと、猫さまと一緒だ。あ、猫さまに名前をつけよう。どんなのがいいかな。
「なあ、お前の……その、ユイのデカい蝶はなんて名前なんだ?」
「ん? あの子はね、リンリンよ。かわいいでしょ」
リンリンか……。俺の猫さまは、もっとカッコいい名前にしよう。
そんなことを考えてにやにやしながら歩いてたら、向こうからスーツ姿の大人が二人歩いてきた。俺とユイは顔を見合わせて、『ステーキね』と小声で言い合った。