第11話 おにぎりは凶器?
「カ、カズマ、ちょっとなんとかしなさいよ!」
「ユイ! あ、あぁぁぁあれって本物の幽霊かな? それとも闇属性のモンスター? つうことはゲレーヴ? あいつの弱点ってなんなんだよ? いや、その前にアレだ。四條さんを、た……助けなきゃ」
四條さんの背中から生えてきた手のようなものを見て、俺とユイは同時に言葉を発したが、情けねえことに俺の声は震えてた。
洞窟内で正体不明のものに出くわすということが、こんなに怖いとは思ってなかったぜ。
「あたしにだってわかんないわよ! カズマ、近づいてみなさいよ」
ユイだって怖がってんのは同じだけど、俺よりはしっかりしてる、っていうか、通常通り俺に指図しやがった。
「ちょっと待ってよ! 俺よりユイの方がこの世界詳しいじゃん。あれが何なのか見て来てくれたっていいだろ」
あれはきっと、モンスターだ。闇属性で化け物じみた外見で、そんでめちゃくちゃ強いんだ。俺もユイも、四條さんもあいつに喰われちゃうのかもしれない。それか、生きたまま身体を引き裂かれて死ぬんだ……。
え? 「死ぬんだ」って、なんか俺、おかしいこと考えたような気がするんだが、何がおかしいのかわかんねぇ……。
洞窟に入って十分程度しか経ってない。序盤も序盤のこんなところで、まさか人間を殺したり喰ったりするようなエグいモンスターが出るわけない……はず。 この辺りはまだ、レベルが低くて弱いモンスターばっかだよな? セオリー通りだとすれば。
そうだ、四條さん、四條さんは大丈夫か? すでに背中から精気を吸い取られて老人化してるなんてこと、ないよな?
「し、四條さん、大丈夫ですか!」
またもや震え声で四條さんに呼びかけるが、本人はいたって平気で、俺とユイがきゃあきゃあ騒いでる様子を、怪訝な顔で見てる。
「え? 俺はいま『ピピスと戦いますか?』ってふたりに訊いたんですが、聞こえてました? どうかしたんですか?」
そう、四條さんはいたって普通。つまり自分の背後にいるモンスターには気づいてないってことだ。また……そんなにボケーっとしてていいのかよ、この人は。
四條さんに声をかけながらも、俺とユイは背後の「手」から目を逸らすことが出来ない。
その時、四條さんの背中から伸びてた手が、ずるんっ、と音を立てて地面に落ちた。
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁああ!」
俺の絶叫が洞窟の中で反響して、それがまた別の壁にぶつかって、もう「ぅわんぅわんぅわん……」て頭の中で響きまくってる。
ずるんっていう音のあとは、ドサッ、それから「うぅ……ん……」って呻き声。
あ、これはもう、モンスターじゃねぇな。人間だ。って確信したけど、それが余計に怖い。いったいなぜ、手だけ見えてた人間が、四條さんの背中からずるっと剥がれて落ちるんだよ?
「あなた、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
すぐ後ろで誰かが倒れたってことで、まず四條さんが声をかけた。俺の絶叫がそれほどイヤだったのか、ピピスの群れがばさばさと羽ばたいてどこかへ飛んで行った。
四條さんが倒れた人をタブレットで照らして、俺とユイも近寄って照らす。
「……あ……、うぅ、すみません。水を……水と食べ物を持っていませんか……」
途切れ途切れにうったえる声と服装からして、若い女らしい。ユイを見ると、やっぱりな。怒った顔してる。
「洞窟に入るっていうのに、充分な備えをしてこない方が悪いのよ」
倒れてる人をあえて無視するように、ユイは俺たちの進路の先をじっと見つめた。
えっ、ユイ、俺はどうすれば……? だってさ、倒れるほど腹が減ってるんだぜ、この人。見過ごせねぇじゃん。かといって、みんなで分担して得た稼ぎで買った食料を、みすみす他人に分けてやるのも違うとは思う……。
「あの、水とおにぎりですけど、お金はありますか?」
俺は自分のリュックから、ミネラルウオーターが入った一リットルのペットボトルとおにぎりを二個取り出して、女に差し出す前に訊いた。俺達はこれから洞窟の奥に進もうとしてる。そんな時にカネが増えたって無意味だ。けど、タダで見知らぬ人に分けてあげるよりはずっといいだろう。
「はい、モンスターを倒したときに拾ったのが……。千円でいいですか?」
女は百円玉を十枚、俺の手のひらに載せた。水とおにぎりの買い値は四百円くらい。二倍以上の値段で譲るなんて、困ってる人に高額で転売する悪いヤツみたいで気が引けるな。
でも、この人に食料を分けるためには他にやりようがないと思う。ユイと四條さんを見上げたら、ユイもなんとか頷いてくれた。
「どうぞ。慌てないで食べてください」
「あ……ありがとうございます。い、いただきます……」
俺の手からひったくるようにして、水とおにぎり二個を手に入れたその人は、先に喉をうるおせばいいのに、おにぎりのフィルムを焦って剥くと、いきなり大口を開けてかぶりついた。カラカラになった喉に米粒が張り付いて、そこへあとから押し込まれた米が溜まって、激しく咳込んでる。
うわー、それ苦しいよね……。俺も経験あるよ。ご飯でむせるのって絶望するくらい苦しいよ。ぐえぇぇって喉の奥がせりあがって、嘔吐しそうなんだけど吐き出せなくて、でも激しく咳込むからバラバラになったご飯が逆流して、鼻の穴からも出るんだ。涙もいっぱい出るし、周りに何人も見知らぬ人がいて、見守られながらのおにぎり一気食いでむせるパターン。恥ずかしいけど、そんなこと言ってらんねぇくらい苦しいよね。
あー、見てると俺まで苦しくなりそ。
おにぎりを片手に持ったまま胸をどんどん拳で叩いて、やっと落ち着いた彼女は、水を飲んだあともぜえぜえと荒い息で苦しそう。
引き続き見守る俺たちのそばを、土属性のイシグラーが何匹か、ちょろちょろと通過した。
「はぁ……。あぁ、お見苦しいところをすみません。助かりました。あなたたちは命の恩人です。いえ、もう命はなくなっているんですが、ははは」
「え、じゃああなたもジサツしたんですか……?」
四條さん以外に、ジサツしてここに転生した人に初めて会った。いや、今までにもいたのかも知れないけど、やっぱ訊けねえじゃん、そういうことって。だから、俺は驚いたのと嬉しかったので聞き返しちゃったけど、これって四條さんの時と同じ流れになっちゃいそうで、後悔したよ。だって、またユイに怒られそうじゃん。
「ええ、ですね。最終的には自殺しました。私は中学時代にひどいいじめに遭っていて、対人恐怖症なんです。大学に入学してからは落ち着いたものの、友だちはひとりも出来ませんでした。就職活動中には面接でセクハラに遭い、ついに家からほとんど出られなくなりました。自宅でライターの仕事を始めましたが、いまや自称ライターという人は腐るほどいるんです。書いても書いても収入はわずかで、次第に家賃を滞納するようになり、食費を削ることにしました。そうしたら体調を崩して寝たきりに……。こんなに苦しいのに、生きる理由があるかと考えたら、……ありませんでした。だから頸動脈を切ったのに、第二の人生? が始まってしまって」
そこまで聞き取りにくい声でぼそぼそ話してから、彼女はやっと顔を上げた。自分で不幸を呼び寄せてるような、暗くて陰湿な印象だった。うっ、気の毒だ! と思った瞬間、また俺が情けを掛けることがあっちゃいけないと思ったのか、ユイが後ろからずずいっと進んできた。
「対人恐怖症の割には、初めて会った人によく身の上を話しますね。つらい人生だったとはお察ししますが、この世界だってそう簡単にはいきません。ろくな準備もしないで洞窟に入るよりは、あちこちにいる野生のモンスターを倒してお金を集める方がいいですよ」
「お、おい、ユイ!」
女同士だからなのか、ユイの言い方がキツくて、ものすごく冷たい空気が足元を這ってるみたいなイヤ~な感じがして、俺はオロオロしながからもユイに声をかけた。
「いいんです。彼女の言う通りです。強いモンスターを捕まえて、賞金稼ぎから始めようかと思ったのですが、そもそも対戦を申し込むことが出来ず……。せめて友だちが欲しかったんだと思います。いつも一緒にいてくれる、私のパートナーが……。助けてくださってありがとうございました。出直してきます」
「出口まではそう遠くないですよ。タブレットで周囲を照らしながら歩けば、迷うことなく辿り着けます。お元気で」
ユイが「早く行け」と言いたげに突き放すような目で見ると、彼女は立ちあがって何度も頭を下げながら去っていく。三人とも、その姿が完全に見えなくなるまで無言でいた。俺は多少の気まずさを感じつつも、彼女から受け取った百円玉十枚をユイに渡した。
「ほんっとイヤなのよね! ああやって他人には簡単に話すくせに、自分はつらかった、苦しんだ、だから助けてもらって当然だと思ってるような奴!」
ツアーガイド役の四條さんは、無表情で旗を振り続けてる。内心ではどう思ってるだろ。
彼女を庇うわけじゃねえけど、ユイは自分から死のうと思うほどの経験がないから、そういう人の気持ちを思いやることができないのかって、少し悲しくなった。
「まぁそう言うなよ、ユイ。俺だって四條さんだって、つらくて苦しい日々を過ごしたし、それをお前に話したりもしたよ。でも、お前は俺たちを仲間と認めてくれただろ。この世界には、俺たちの他にも自殺者がいっぱいいて、人の数だけ悩みや不安や、孤独や絶望なんかがあって、いや、その複数を抱えてる人だっているよな、そういうどうにもならないもんがあったから自分で死んで、それなのに転生しちゃった人たちだろ。『これで全てのことから解放される』と思って死んだのに、またここでやりくりしなきゃならねえなんて、相当キツイと思うぞ。迷惑かけられたわけでもねえし、もういいじゃんか」
「カズマは甘いわ。あのおにぎりだって、カズマが自分の力で得た収入で買ったものよ。おにぎりは日持ちしないから、今日明日だけの楽しみだったのに……。初日から軽々しく人助けなんかしちゃって、あの人に分けたことを後悔する時がくるかもよ? あたしたちの目的を達成することだけを考えなさいよ」
ジャラジャラと百円玉をがま口に入れながら、ユイはくどくどと俺を叱り続ける。
いや、なんで俺、そんなに怒られなきゃなんねえのよ? そりゃユイの言ってることは正論だよ。洞窟の中で迷子になったり、三人がバラバラになったり、途中で食料がなくなったりしたら、水晶を手に入れるどころじゃねぇわな。
この先、さっきの人みたいなのがまた現れたら? それも何人もいたら? 俺の勝手な判断で、仲間や大事なひのまるたちをピンチにさせるなんて、あっちゃいけないことだよな。だけどさ、腹を空かせて死にそうな人がいたら、やっぱ助けてあげたいじゃん!
「カズマ、なにぼーっとしてるのよ。気を取り直して、行くわよ!」
ユイに急き立てられて、四條さんは再びガイドを始めた。旗を立てて、通路を明るく照らしながら俺たちの前を歩く。
と、はるか前方の鍾乳石から、なにかがするすると降りてくるのが見えた。
「四條さん、あれ、あれは何ですかね?」
俺はワクワクしながら訊いた。
「えっと、あれはですね……」
図鑑を手に、タブレットでその前方に光をあてる四條さん。光の中にいたのは……。
ユイ! あれってユイだよな? じゃあ今度こそ、本物の幽霊が出た……?
俺は混乱して、隣にいるユイを確認した。触るとまた怒られるかもしれないけど、思わずその肩に触れてみた。実体はここにある。じゃあれってナニ?