第1話 異世界ファンタジーなんて大嫌い
こんなことになるってわかってたら、少しは書き方の練習だって真面目にやってたのにな。自分で書いた遺書の封筒を見つめて、その字の下手クソ加減にうんざりして溜め息つくなんざ、俺ってやっぱ最後までバカだわ。
「はぁーっ、ちくしょう。カッコ悪り」
書いたばっかのこれは誰かが見つけやすいように机の上に置いて……、さて、準備するか。
ゆうべはあいつらと飲んで、もう先のことなんかどうでもいいやって馬鹿騒ぎして、途中までの記憶しかない。家までどうやって帰ってきたのかまったくわかんねえ。
そんでさっき目が覚めて酒でむくんだ顔を鏡で見てたら、金を返すあてがぜーんぶなくなったことを思い出した。俺の人生マジで詰んだ、マジで終わった……って、逆に笑いがこみ上げた。
もう、アレしかねぇじゃん……。ジサツ。生きてたって家族に迷惑がかかるだけだ。
ロープを買いに行く気力も金もないから、服役中の囚人がするみたいに、シーツを裂いてそれで首を吊ることにした。最期くらいさ、なんつうかこう、もっとスタイリッシュな死に方を思いつかないもんかね、って自分に失望したけど、やっぱ俺なんてこんなもんなんだって妙に納得。
「よっこらしょ」
踏み台の準備オッケー。顔っつうか頭を入れる穴は、こんな大きさでいいんだよな? こんなことなら絞首刑の画像でも見ときゃよかった。
よし、梁に結びつけた紐の強度もオッケーだ。シーツで作った輪っかに頭を入れながら、俺は今まで生きてきた自分の部屋の中を見回した。
しっかし、いやぁ、どこでどう間違えたら十九で一千万も借金作って金貸しに小突き回された挙句に、自殺なんて人生を歩んじゃうんだろうな。
普通に生まれたはずだった、多分。結婚した頃の両親はサラリーマンと専業主婦で、俺が生まれて五年後に真帆が生まれた。可愛かったなぁ、真帆。
それが一体なんでこんなことになったかっていえば、アレだアレ、異世界。異世界ファンタジーのせいだ。
クラスにたいてい一人はいる、「マンガを描くのが上手い子」。俺も小学生の頃からその一人だった。休み時間はもちろん、授業中でもノートの端にこっそりマンガを描いて、先生に見つかって怒られたことは数え切れない。夏休みの自由研究で、実に八百二十四ページにわたるパラパラ漫画を描いたこともあったんだぜ。あれはクラスの奴らからの評価が半端なく最高で、みんな神を見るような目で俺を見てたっけ。
休み時間には俺の机の周りに男子が何人も集まって、
『おぉっ! スゲー』
『やっぱ和真っち天才じゃん!』
『マジ面白れえ!』
なんてほめられるもんだから、バカな俺は調子に乗りまくり。勉強なんて特別な才能のないヤツのやることだ、なんて訳のわからねえ屁理屈こねて、もう「俺は漫画家になるために生まれてきたんだ」って思い込んでたね。まったく疑うこともなく、それは信仰に近いくらいの確信だった。
で、そんなガキがどうしたかっていうと、中学になって二十ページくらいのまとまったストーリーものを描けるようになると、当然出版社に投稿した。すぐに編集部から電話があって、「ぜひこれでデビューしましょう!」って言われるのをずーっと待ってたんだが、待てど暮らせど連絡なんか来やしねえ。
ま、当然ていえば当然だけどな。中学生が中学生の知識や経験でいくら頑張ったって、商業でやってる大人たちを納得させるのは難しい。つまり要は「カネになるかならないか」だ。でも不可能とは言わねえ。それが出来る中学生もいるだろうけど、俺にはその実力はなかったってことだ。
だけど俺はつくづくバカで、そんなことには気づきもしなかった。
高校になると、「俺の漫画が認められないのは、いま流行ってるものを描いてないからだ」なんて勘違いの気づきを発揮しちゃって、流行ってるジャンルにシフトチェンジすることにした。
それが例の、「異世界ファンタジー」だ。
「異世界」って聞いて、みんなはどんなのを想像するんだろう。まあ、今はどれも似たり寄ったりな設定やキャラクターやストーリー展開なのかもしれないな。実際本屋に行くと、俺には見分けもつかないような表紙の本でいっぱいだった。
でも俺は、異世界ファンタジーを認めることができないまま、出来ないなりに「俺の異世界」を描こうとした。それは世に溢れてる異世界モノとは一線を画した……っていうとなんかトクベツなモノっていうイメージだけど、要するに「異世界ファン」からは総スカンを喰らったわけだ。
嫌いなら嫌いで、それは個人の勝手だ。けど、彼らは自分が支持する世界を俺に汚されたとして、俺を破滅に追い込もうとした。数の力ってすげえんだよ。
俺のタイムラインには「タヒね」っていうコメントが毎日百件以上ついた。別にそれだけなら、気にせずにいられることはできた。でも、数年間にわたる俺の熱意に負けて「読み切りとして掲載させてください」、と上司に掛け合ってくれた編集さんは、読者の信頼を裏切ったとしてゲームの情報誌に異動させられた。二年間は漫画誌に戻ってくることは出来ないらしい。
それでいいのか? 「異」なのに、誰もがすんなり受け入れられる、いやむしろその場に憧れさえ抱いちゃうような世界。それってある意味「天国」じゃん?
そんな「異世界」っつう名前の天国で、誰かと出会ってモンスターと戦って、試練に耐えて、魔王に勝って、チートだハーレムだって、巨乳美少女の入れ食い状態。それってなんか、男にとってのご都合主義的な妄想垂れ流し毎日マスターベーションしまくりで汁男より射精回数多いっすよ、はーっはっは。みたいな、俺にとっては夢も希望も挫折も絶望も、なーんもない世界だったのよ。
異世界っていうからには、もっと緊張感をもってそこで過ごしてほしい。だってさ、今までいた現実世界とは違うんだぜ? 何もかもが初めてで恐ろしくて、手探りで生きていくしかないような世界で、なんで傲慢に振る舞えるわけ? なんで美少女が何から何まで教えてくれるの? 現実では非モテな奴が、なんで美女を周りにはべらせてんの?
いや、俺にだってわかってる。
『それは創作のなかだからね。こういう妄想を多くの読者が求めてるから』
『非モテの現実を描いたものなんか、誰がお金払って読みたいと思う?』
編集さんの言うことはごもっとも。だけど俺は、「少年漫画」が描きたかったんだ。少年のための、正義感や冒険や、神秘や憧憬、そんなさ、なんつうかこう、もっとキラキラしたものが描きたかったんだよ。
最初から自分ではなんの苦労も努力もしないで、「異能力」や「特別な力」や「パートナーのおかげ」で「最強の敵」をも倒して、可愛い女の子にモテまくる。俺はもっと、そこに至るまでの過程を見せたかった。苦労して紆余曲折を経て傷ついて勇気を出して、それで得るものって、すごく大事な気がしてた。だから達成感があったんじゃねえか?
でも、「それじゃ売れないよ」だってさ。「漫画でカネを稼ごうっていう気がないなら趣味でやればいい」だって。「カタルシスを与えてしまったら、それによる満足感は大きいでしょ? そしたら次をなかなか買わなくなるでしょ? 麻薬のようにね、ストーリーの中でもっともっとって快楽を求めるようにさせなくちゃ儲からないわけよ!」最後はキレ気味で言われた。俺の漫画なんかじゃ話にならないってさ……。
別に爆売れしなくたっていいんだよ。ただ俺は、ガキの頃にクラスのみんなが俺の机の周りに集まって、楽しそうに嬉しそうにしてた、あの顔が忘れられねえ。いまの小学生や中学生に、現実は厳しいけど、きみたちの知らない世界は、こんなにも綺麗なもので溢れてて、守るべき価値があるんだって伝えたかったんだ。
俺だけがいくらそう思ってたって、求められない、売れないものは商品にはならない。価値はない。つまりゴミみたいなもんなんだけどな。
それを衝撃とともに受け入れた俺は、厨二ぶりを発揮して廃人への道を歩み始めた。
俺の漫画は求められてない。
俺には価値がない。
って、今になって自分にめっちゃ突っ込みたくなるよ。お前の覚悟はその程度だったのかって。妙な自信を粉砕されたからって、そこから這い上がることもしないで適当に生きることを選んだのかってな。
チートを求めてたのは、ほかでもない「異世界嫌い」の俺自身だったってわけだ。俺の、自分への失望は底なし沼のように深かった。なんかもう生きること自体どうでもよくなって、適当に売れそうもない中途半端な「異世界」を描いて、だらだらと編集部への持ち込みを続けた。
いつか、売れるものが俺の中から生まれるんじゃないかっていうかすかな期待と共に。
でも、もう遅かった。バイトもしないで漫画を描くための材料やなんやらでカードローンを組んで、気づいたら借金まみれ。
「な? もう死ぬしかねえだろ?」
自分に言い聞かせるように呟いて、俺は母さんと真帆と、クソ親父の顔を思い浮かべた。
家族には……、母さんと真帆には本当に申し訳なかったと思ってる。
真帆が生まれてしばらくしたら、オヤジが事業を始めたいって会社を辞めて、退職金も何もかもつぎ込んだのにうまくいかなくて、次第に母さんに当たるようになってお決まりのDV。
段々エスカレートする暴力に、俺と真帆は離婚をすすめたけど、母さんは別れないで頑張るって言った。スーパーのレジのパートで生活費を稼いで……いや、こうして言葉にすると俺んちってベッタベタじゃん。もう、絵に描いたような不幸。それも自業自得系でややマヌケ寄りだよな。
そんで息子は家計のためにバイトで稼ぐわけでもなく、自分の「趣味」の漫画のために作った借金が膨れ上がって首も回んなくなってジサツ。
娘は可愛いJCだけど、なに考えてるのかさっぱりわかんねえ。いや、実際この家、今となっちゃ俺がいても居なくても同じくらいダメな部類じゃね?
そんな俺だけど、最期のさいごに母さんにはちょっと恩返しできるんだよ。底辺だけど大学に入った時に作った保険があるからさ、死亡保険金の受取人はもちろん母さんにしてある。オヤジなんかには絶対やらねえ。それで借金を全部返したら少ししか残らないかもしれないけど、借金のないところからリスタートしてほしい。それが、親不孝者の俺の、最後の願いだ。
輪っかに頭を入れる。椅子を後ろに蹴り倒す。
「うぐっ! ぐえっ!」
こんなに苦しいもんかよ! なんか俺、やり方間違ってねえか?
首吊りって、窒息して死ぬんじゃなくて頸椎が折れて死ぬから一瞬だとか聞いたことがあるような気がしてたのに、なんだこの苦痛は!
やべえ、この紐はずしてえ。カーペットに足が着くわけなんかないのに、こんなにバタバタしてみっともねえ。いや、誰も見てねえし……って、そういう問題じゃねえよ!
あっ、いま思い出した。小便とかうんことか、洩らしちゃうんじゃなかったっけ。げっ、犬のシーツでも下に敷いときゃよかったぜ。俺の小便やクソを掃除しながら、母さん怒るだろうな。「親不孝者」ってさ。
……うぅ、やっと気が遠くなってきた……みてえ。これで俺は……うん、最高にアホな人生にサヨナラだ。正面の鏡に向けて、中指立てながら自分に言った。
「グッバイ和真……。ファックユー……」
俺はもう二度と目を覚ますことなく、楽になれるはず……だった。そうだ、異世界ファンタジーさえなければ……。