第四.五章 第一話
今回のスピンオフは、玉川芳彦の曽祖父の話。時代は一気に95年前に遡ります。
昭和初期の雰囲気の、少しでも味わっていただければと思います。
1927年10月、関東大震災から四年経った東京は、八割方復興を果たしていた。そんな、活気を取り戻した大都市を、一人の男がトボトボ歩いていた。
「はぁ…。頭脳と夢で生きていけると思っていたが、現実はそう甘くなかったなぁ…」
彼の名は、斯波実森。室町から続く名門、斯波家の当主である。年齢は31。
「今日も野菜の味噌汁を作るか…」
立派なスーツにはしわが目立ち始め、いかにも苦労していそうな見た目になっており、最近では近所から野菜を恵まれることもあった。
アパートに帰ってくると、やはり、野菜が玄関の前に置かれていた。野菜の上には、
『お代は結構です。聡明なんですから、いい仕事見つかりますよ』
と書かれた紙切れがあった。
「本当にありがたい…。どうにかして恩返しをしたいものだ…」
そう言って部屋に戻り、その野菜で味噌汁を作り、夕食とする。そんな日々を、没落した名門の当主は送っていたのであった。
数日後、気分転換に街中を散策していると、何やら騒がしい声が聞こえてきた。それも楽しそうな声ではない。
「暇だし、覗いてみるか」
喧嘩かその類かと予想していたが…。
「参ったな…。赤旗とは厄介な…」
赤旗、つまりは左翼の野外集会であった。
「労働者の為に、我々は団結しなければならない!」
「資本家に暴利をむさぼられ、我々にはほんの少ししか給与が与えられていない!そんな世の中を、何としても変えなければならない!」
「社会主義、マルクス主義が、日本を、そして世界を、労働者、農民にとって暮らしやすい社会へと変えるのだ!」
「それを実現するのは、我々、労働農民党である!!」
労働農民党は、元世良田大学教授である大山郁夫を委員長とする左翼政党である。容共的であったため、当然警察からマークされていたが、それにもめげずに勢力を伸ばしていた。
「う~ん、ずらかるか…?」
「ちょっとちょっと、そこの方!」
一人の青年が駆け寄ってきた。
「良かったら貰ってください!」
そう言って、労働農民党のチラシを渡してきた。
「感心だねえ。だが、申し訳ないが遠慮させてもらいたい」
と、実森はチラシを返した。
「は、はぁ…」
「だがね、わしも今の政府の福祉政策は、不十分だとは思うよ。この東京を少し離れたら、生活するだけで精一杯な庶民がそこかしこにいる。確かに日本だけじゃない。アメリカにも居た」
「アメリカに居たんですか?」
「ああ、数か月前に戻ってきたがね。ただ、あそこはあそこで、中々に日本人への風当たりが強かった。自由の国と聞かされていたが、期待しすぎたな」
「それならソビエトに…」
「あの国はいずれ失敗するよ」
「…」
「人民皆平等と言っているが、そう簡単に理性と理想だけでは動かない。あのスターリンという男、いずれ独裁を確かなものにして、人民を抑圧するだろうな。聞くところによれば、もう党内抗争をやっているとのことだ」
「そ、それは…」
「青年よ。彼のような愚かな人間になりたくなければ、綺麗な心、人を思いやる心、そして確固たる理想を持ち続けるといい。そうすれば、もしかすると、君に共感してくれる人も増えると思うぞ」
そう青年と実森が話していると…。
「おーい、正武!ちょっと手伝ってくれー!」
「はーい、行きまーす!」
先輩党員が、青年を呼ぶ声がした。
「仲間か?」
「はい、興味を持ってくれてありがとうございました!」
「まぁ、頑張りなさい」
そう言って、実森は去っていった。
「綺麗な心、思いやる心、確固たる理想、か…。南興に戻っても、忘れないようにしないとな…」
この青年こそ、楠木正武。後に、南興労農党初代委員長、南興社会主義人民共和国初代大統領となる。この当時、弱冠19歳、南興から東京に遊学中で、既に社会主義思想に目覚めていた。そして、その東京で、お互いが知らない間に、南興楠木家と斯波家は一瞬だけ、交わったのであった。




