第一章 第二話
沙織の成人は、南南興各地で祝われた。楠木一族は、南南興を領導する一族であるが故に、その一員、特に大統領の子供となると尚更、国威発揚のために彼らの『優秀さ』を宣伝されるのである。
「またお寿司食べに行きたいんだけど…」
「申し訳ございません、お嬢様。これからは、それが難しゅうなります…」
執事の一人が言う。
「えぇ…、あのカウンターでお寿司食べるの、雰囲気が渋くていいのに」
「大統領の御意向ですので…」
「というか、別に私まで国の宣伝に使わなくてもいい気がするんだけどなぁ」
「恐れながら、楠木大統領による領導無くして、この国は成り立ちません。そして楠木一族の『高貴な血統』を受け継ぎし方々でなければ、人民大衆を『正しき』方向へ導けませぬ。故に、一族全体を高く戴かねばせねばならぬのです。気軽に出歩いては、皆から軽く見られます」
「あなたが言っていること、分からないわけではないのよ?でも、社会主義の建前は、皆が平等な社会を作ることでしょ?それなのに、私たち一家を余り神格化しすぎるのは…」
「お嬢様、それは禁句にございます」
「まぁ、わかったわ。でも、何とかしてよね」
「機会があれば、大統領にもお話しします。しばしご辛抱を…」
そういうと、執事は沙織の部屋を辞した。
「私も、小さいころのように、芽美たちと外で遊びたいな…」
そう言って、昔のことを思い出し始めた。
沙織は、1996年9月10日に生まれた。幼いころから大人しめの性格であったが、外に行けば普通に元気よく遊びまわる子供だった。海に行けば、沖の方へ50mを余裕で泳いでしまい、周りの人たちを心配させたりもした。
中等学校に入ったころから、日本のエンターテインメントが南南興に上陸し始めると、沙織はこれに夢中になった。特に、アイドルには目が無かった。お忍びで日本に行けば、クレープを食べながら竹下通りを散策し、秋葉原でアイドルグッズやCDを大量購入し、その後に大好物であるお寿司や和牛ステーキを堪能してから帰る、というような、結構破天荒な観光をしたことも一度や二度ではなかった。彼女に影響された学友(芽美を含む)も少なくなかった。
しかしこのような沙織の日本への傾倒ぶりは、直ぐ上の兄である正朝との深い溝を作った。正朝は、国の後継者に指名されて以降、南南興を再び『真っ当な社会主義国』にして、アメリカと対峙する理想を確固たるものにしていた。そして日本のことも、アメリカの傀儡として嫌うようになっていた。そして、『資本主義的な』日本の文化に傾倒する沙織のことも、彼は軽蔑し、警戒するようになっていったのである。
「また正朝兄さんのことで悩んでた。あの兄さんはそういう人。私は私の『好き』を極めれば良いだけ」
沙織は、そう自分に言い聞かせて、アイドルのミュージックビデオを見るのであった。