第四章 第三話
同日昼過ぎ、楠木沙織たちを乗せた飛行機が、北京の国際空港に到着した。一行はそのまま、中共政府の中枢が置かれている中南海へ向かった。
「何?岩松まで一緒に来ているのか」
一行を待つ周主席が、李首相に話しかけた。
「どうやら、数日前に急に決まったことらしい」
「それでも、わしに報告が上がっていてもおかしくなかったはずだ!どうなっているんだ」
「わしも知らなかったんだよ」
「お前もか…。まぁ、仕方ない。岩松まで来ているとなると、本当に無下にはできんな」
「もしや、緊張してるのか?」
「ああ、とたんに緊張してきたわ」
「君にしては珍しいな」
「小娘だけが相手なら何とでもなるが、あの元帥まで来ているとなると話が違ってくる」
「確かに。あの御仁からは、普通の軍人とは異なるオーラを感じる」
「だな。大統領を差し置いて、国家の後継者を挿げ替えることができるくらいだ。その上、我が国にいい顔をしながら、それ以上に日本へ接近しようとする。策略家とは、あいつのことだよ」
そして午後五時、遂に楠木沙織と周陣兵が顔を合わせた。
「初めまして。南興社会主義人民共和国大統領、楠木沙織と申します」
通訳を通して、言葉を交わす。
「初めまして、中華人民共和国主席、周陣兵と申します。ようこそ、我が国へ」
そう彼が言うと、合図を出し、両国の国歌が演奏された。
会議室に向かう途中、周は沙織に質問をした。
「そういえば、貴国の国歌は、元々ルーマニアで使われていたものでしたな」
「はい、元はソ連の愛国歌の一つである『聖なるレーニンの旗』を、歌詞を全て変えて使っていたのですが、御存じのようにソ連との関係が冷え込んでしまいまして。それからルーマニアのチャウシェスク大統領との関係が深まったのですが、1975年頃にルーマニアの国歌が変わりまして、その数年後に我が国の大統領だった私の曽祖父がブカレストを訪れた際に、その前の国歌を譲ってもらったようです」
「なるほど。それを使い続けるとは、何か意図がおありなのかな?」
「いえ、何も。ただ、父によれば、前の国歌よりも今の国歌の方が国民の受けが良かったから、そのまま使い続けたいと言っていました」
「彼らしいな。貴殿の父上とは一度だけ会談を行ったことがある。悔しいが、隙が殆どない指導者だったな。そして実のところ、それ以上にわしは、貴殿の伯父が恐ろしく思えるぞ」
そう言うと、周は沙織の後ろを歩く岩松正純を見た。
「いいや、私はただの伯父であり、戦争経験の無い軍人です」
「そうおっしゃるな。正興に薄々気づかれること覚悟で、彼の20歳の末娘を大統領に擁立するくらいの力量がある。そして、わしが嫌がりそうなことを平気でやる胆力は、世界中見てもごく少数だろうよ」
「その嫌がりそうなことのきっかけを作ったのは私ですけどね」
沙織が皮肉を返した。
「私が幼い頃より日本好きで、それが長じただけです」
「ほう…(小娘の癖に、中々に無鉄砲だな)」
周がニヤリとする。
「ですが、我が国は社会主義国。貴国の進むべき道と、我が国の道は、同じになるはずなのですが…?」
「ハハッ、何が言いたいのですかな?」
「今でも、貴国は共産主義社会を目指されているのかなと、単純に思っただけです」
「目指していないのなら、中国共産党の名前を変えている」
「なるほど」
「だが、今はそれ以上に、中華民族の安寧を保全することが優先、というだけだ」
「それは理解しています。我が国も、南興人の安寧を守らんとしていますので」
その後、周主席と李首相、楠木大統領と岩松統合参謀総長、計四人で首脳会談が行われた。結論から言うと、一定の経済交流の継続以外、成果は無かった。
会議の後、周は李に言った。
「もはやあの国の『心』は、完全に我が国から離れているな」
「でしょうなあ」
「残念だが、これからは容赦しないぞ」
「だが、やりすぎるなよ。これでアメリカにも接近されたら、たまったものではない」
「ああ。今日彼女と話していて、感じたよ。あれは『小娘』ではない。勿論、岩松の傀儡でもない」
「俺もそう思う。彼女の意志で、日本に接近している」
「南南興への諜報を強化するように伝えておけ」
「分かった」
その頃、ホテルに入った沙織は…。
「た、只今…」
「お帰り。沙織ちゃん、よく頑張ったね」
高宮奈穂が、一足先に部屋で待っていた。
「ねえ」
「なぁに?」
すると、沙織は奈穂に抱き着いて、シクシク泣きだした。
「ハハハ、相当緊張したんだね」
「こ、怖かったぁ……!」
周たちが沙織たちを警戒し始めた一方で、沙織は極度の緊張から解放されていた。




