第三章 第七話
遠藤からの予想だにしない申し出に、沙織は戸惑った。
「ちょっと、いきなりどうしたんですか…?」
「ご存じの通り私は、元々正朝様ともある程度近く、正朝様を廃嫡する際にも、私自身の意志を鮮明にしませんでした。そのせいで最近、一部の政治局員や中央委員から訝しまれております」
「なるほど…、確かに最近、そういう声を僅かながら聞きますが、全て岩松元帥が抑えて下さっていますし、何より私も元帥も正藤も、遠藤さんのことは信頼しています」
「とはいえど、このまま、私が副委員長、副大統領に残ることで、党中枢で要らぬ緊張が高まるのは不本意です。故に、私は現在の職を全て退きたいと思った次第です。何卒、辞職をお許しいただければ…」
彼の相当思いつめた様子に、沙織はいたたまれなくなった。沙織としては、遠藤という存在が居るからこそ、最初期の体制構築を上手く進めることができていると考えていた。そのため本心としては、これからも今の職にとどまってほしいと思っていた。
「私としては、遠藤さんには引続き今の職に留まってほしいと思っております。貴方の調整能力が、今の党運営に欠かせないと思っているんです」
「委員長。それは心配御座いません。調整については関泰弘同志(首相)が引き継いでくださるでしょう。関同志は、正朝様廃嫡の際には賛成されましたが、今でも正朝様の近況を心配しておいでです。実は昨日、私と関同志は、正朝様の邸宅に行きまして、私たちの意志を正朝様にお伝えいたしました。話した限り、正朝様は関同志に対してはある程度信頼を持ち直した様子でありました。何かあれば、これからは関同志が取り持って下さるでしょう」
遠藤の言葉を聞いた沙織は、苦しい決断をすることにした。と同時に、とある提案をした。
「分かりました。貴方の辞職を認めます」
「有難う御座います」
「その代わり、別の辞令を出します」
「委員長…」
「貴方には、駐日大使になっていただきます」
「委員長、それは…」
「私の命令を、聞けないというのですか?」
今まで、沙織の口から聞いたことが無かったような強い口調に、遠藤は言葉を続けることをやめた。
「私は、これから日本との関係を強化しようと思っています。そのためには、国の重鎮を大使に任命したいと、前々から思っておりました。丁度、12月初旬に日本の物部首相との首脳会談が行われます。その時、私に随行してもらって、そのまま日本に留まってもらい、経済関係のみならず他の可能性を、現地で探ってほしいのです。これは、国の重鎮である貴方しかできないことだと持っています」
「委員長閣下…」
「あともう一つ」
「はい」
「私の妹、美桜のことを、見守ってほしいのです」
「なるほど…」
「これまで一度しかあったことがないとはいえ、楠木家に連なる者です。彼女に万が一のことがあった時、彼女のことを保護したいと思っています」
「分かりました」
「彼女が、私の妹であるという事実は、楠木一族、岩松元帥、そして貴方しかいません。その中で言えば、貴方しか美桜のことをある程度近くで見守れる存在は居ません」
「委員長の、言う通りだと思います」
「どうか、引き受けて下さい」
「分かりました。謹んで、お引き受けいたします」
12月1日、遠藤通明は副大統領、党副委員長、党政治局員の職を退き(党中央委員には残留)、駐日本大使に異動することが発表された。このニュースは、南南興人民のみならず、日本政府も驚いた。
「国のNo.2を、我が国の大使に寄越してくるとは、沙織さんは、腹を決められたようですね」
森田正好農水相は、微笑みながら言った。
「『小娘』、やっぱりただものじゃないな」
荒垣防衛相も、ニヤリ顔。
「太平洋の情勢、これから上向けばいいですな」
二人の言葉に対して頷きながら、奥羽太郎外務相は言った。
12月8日、楠木沙織・南南興大統領は、最初の外遊先である日本に飛んだのであった。




