第二章 第十話
総長室に入った岩松正純元帥は、暫く正藤と沙織と他愛もない話をしていた。
「昨日、日本から仕入れた芋焼酎を飲んでみたんだけど、いやぁ、あれは美味いなぁ!」
「は、はぁ…」
「あの渋い甘さがたまらなかったわい」
「う~ん、気が向いたら飲んでみる」
「まぁ、その話はいいんだ」
そういうと、正純は少し前のめりに座り直した。
「君たちの父さん、一向に働くペースを変えないようだな」
「俺も心配なんです」
「私も…」
「わしも今朝、『病み上がりなんだから無理は禁物だ』とは言ったんだが、あの様子では、全く意に介していないようだ」
そう彼が言うと、正藤も沙織も顔を俯かせた。
「このまま君たちのお父さん、いや、大統領が、ハードワークをこなしていると、下手したら年を越せなくかもわからんぞ」
「そんなにお父さん、体調悪いの?」
「正確には分からん。だが、とりあえず何とか、どこへ行くにも医師を同行させている」
「沙織、俺たちも、早めに覚悟を決めた方が良いかもな」
正藤の言葉に、沙織はどう反応すれば良いか分からなかった。
「そうだな、正藤君の言う通りだ。で、このままだと、正朝君がこの国を継ぐことになる」
「「(沙織は軽く頷いているが、正藤は一点を見つめたまま)」」
「だが俺は、それを止めるべきだと思っている」
その言葉に、沙織は驚いた。しかし…、
「伯父さん、とうとう腹を決めたんですね」
「ああ、四の五の言ってられん。正朝にはかなり憎まれるだろうが、いや、もう鬱陶しがられているが、祖国の為には我慢してもらう。あの性格では、国を長く統治できない」
「俺も、致し方ないと思っている。同じ母親から生まれた弟だけど、流石に、あの状態から性格が温和になるとは思えない」
「おじちゃん」
「どうした、沙織」
「もし、正朝お兄さんが廃嫡になったら、この国は誰が継ぐの?」
そう訊かれた正純は、一息入れてから、言った。
「沙織ちゃん、君だよ」
彼女は、ただただ絶句した。
「まず、楠木一族以外から後継者を出すのは論外。娘婿(千種孝也副首相のこと)だとしてもな。もし、そうなってしまったら、国が混乱しかねない。正顕を後継者に戻すのも論外。彼も彼で、悠々自適の生活を捨てるつもりがない」
「因みに、正顕兄さんも、この話は知っているよ」
「そ、そうなの…?」
「ああ、因みに俺も、伯父さんから一度だけ後継者云々の話をされたことあるけど、その場で断った。俺は向上心が余り無いからな。はっきり言って、今の図書館総長の仕事が天職だ」
「いやでも、私はまだ20歳だし、私も一切、お父さんの跡を継ぎたいと思ったことないんだけど…」
「それでも大統領は、政治局員候補の一歩手前まで、君の地位に引き上げている。これは紛れもなく、後継者の選択肢の一つに沙織ちゃんを入れていることの、何よりの証だ」
沙織は、押し黙ってしまった。それもそのはずだ。望んでもいない南南興の次期大統領に祭り上げられようとしているのだ。
「沙織ちゃん。国民は、傲慢なだけの指導者と、優しさも持っている指導者、どちらをより支持するか。それは当然、後者だ。沙織ちゃんは、他人の気持ちもわかる。友人に対しても、目上の人に対しても、礼儀正しく、真摯に付き合っている。その優しさを、この困難な情勢に役立ててもらいたい。大統領として、国民を、励ましてほしいんだ」
「そうだ。俺もそう思っている。沙織ならできる。困ったら伯父さんや遠藤さんに聞けばいい。大統領だからと言って、自分一人で抱え込まなくてもいい。もし大ピンチな時でも、党幹部が身を挺して庇ってくれるはずだ」
正藤も、彼女を後押しするように言った。
「おじちゃんとお兄さまの気持ちは分かった。でも今は、お父さんが働き過ぎないように、皆で言っていく方が先だと思う。今は、そんな万が一のことは考えたくない…」
沙織はそう言うと、部屋を後にして、帰路についた。
部屋に残った正藤と正純は、引続き、万一の時の計画を練っていた。
「伯父さん。父さんが帰ったら、俺からも、沙織のことについて言ってみるよ」
「分かった。助かる」
「とりあえず、軍の方は伯父さんに任せるとして、青少年団の方は俺から話してみるよ」
「そういえば正藤君は、元青少年団総長だったよな」
「まぁな。一応つては残っているから」
4日後、大統領は地方視察から無事戻った。大統領はその後も、それまで通りのスケジュールをこなしていった。8月12日には、日本の物部泰三首相と電話会談を行い、経済協力の更なる推進に向けた調整を始めることで合意した。そしてこの電話会談が、楠木正興大統領にとって最後の大仕事だった。
8月15日早朝、大統領は、再び倒れたのである。




