第二章 第九話
大統領、倒れる。この情報は一部の人にしか知られなかった。幸い、現場を発見したのが軍の高官であったためか、少なくとも中堅幹部以下に情報は伝播されなかった。
「正興さん…、だから働きすぎないでって言ったのに…」
正藤・正朝・沙織の母である涼子が言った。涼子はおしとやかな性格で、公的行事にもあまり顔を見せず、基本的に邸宅からもあまり出なかった。
「お父さん…、大丈夫、だよね…?」
「最悪の事態は、覚悟しなきゃいかんだろうな…」
沙織に問いかけに、正藤が答えた。正藤も権力欲が殆どなく、そのせいで異母兄である正顕失脚後も一切後継者候補に挙がらなかった。形式的に中央委員には名を連ねているが、就いている職は『国立興城中央図書館総長』という閑職であり、一日中本の虫になっている(時々外で読書しながら、市民と歓談することも)ことで有名であった。
そこに、担当医師が現れた。
「しゅ、主人の具合は…?」
「今は落ち着いておられます。しかし、これから暫く絶対安静にされないと…」
医師は、深刻な顔をして言った。
「僭越ながら、奥様よりお伝えしていただければと思うのですが…」
「はい」
「これからもう少し休みを増やさないと、次どうなるか分からないと」
「私も同感です。主人に伝えておきます」
翌日、正興が目を覚ました。
「ハハハ、やっぱり働きすぎたようだな」
「笑い事じゃないよ、お父さん!」
「そうだよ!今回、こんなに早く目を覚ましたのも、かなり運がいい方らしいよ」
「沙織も正藤も、そこまで心配するな。とりあえず、数日はこのままゆっくりさせてもらうよ」
「そういわずに、1か月位ゆっくりして。正興さん、こういうところは本当に真面目なんだから…」
「この状況で、そんなに長くゆっくりしていられないわ。本当は、一日でも早く職務に戻りたい」
「お医者様からも言われましたよ。次、また倒れたら…」
「そうは言われてもなぁ…」
結局、正興の意志は固く、1週間後に職務に復帰した。
「倒れてから10日で地方視察に行っちゃったけど、大丈夫かな…」
沙織は、国立興城中央図書館の総長室を訪れていた。基本的に正藤は、その部屋で一日中読書をしている。
「あの正朝も引き留めたのにな。それこそここは、正朝か沙織に任せても良かったと思うけど」
「私が?」
「言うて、沙織も中央委員の中でも上の方なんだろ?問題はなかったはずだぞ」
「正朝兄さんなら、何の問題もないと思うけど…」
「そうとも言い切れん」
「正藤兄さま?」
「あの性格、本当に直さないと、後を継いで一年も経たないうちに不満が噴出しかねない」
「…」
「正純伯父さんに至っては、最近色々、そのことについて父さんと話し合っている」
「どうして、それを兄さまが?」
「気分転換がてらに、お忍びで総長室に来るんだよ。どうやら俺は、中立だと思われているらしい。だって、正朝も時々スペイン語の文献、ここに借りに来るからな」
「そうなんだ…」
するとそこに、司書がやってきた。
「総長さん、岩松元帥がお越しです」
「噂をすれば…」
と、小声で正藤言いながら、親指を立てた。




